「当初はサッカーを教えようとしたんですよ。ところがサッカーを教えると皆嫌な顔をするんですよ」 「あんまり乗り気でなかった…

「当初はサッカーを教えようとしたんですよ。ところがサッカーを教えると皆嫌な顔をするんですよ」

「あんまり乗り気でなかったんだけども、たまたま子供たちが喜ぶように“靴飛ばし”をするようになった。そこから変化が出てきてね」

そう語ったのは、宮城県塩竃市で子供たちを指導する小幡忠義氏。塩竃FCというクラブを作り上げた、81歳の指導者だ。

「靴飛ばし」とは、誰もが子供の頃にやったことがあるのではないだろうか。ブランコに乗って勢いをつけてやった人も居るかもしれない。あの「靴飛ばし」だ。

文字通り「ボール」ではなく「靴」を飛ばす練習。当時を思い出せば、靴が前に飛ばず、前上に飛んでしまっていた人も居るのではないだろうか。その原因は、身体の使い方。蹴りのフォームが正しくない可能性が高いのだ。

「一番飛ぶ子が身体の使い方が上手いんですよ」と小幡氏が語るように、この動作はサッカーの基本であるボールを蹴る動作と同じだ。つまり、その動きを自然に体得している子は、サッカーが上達するのも早い。

小幡氏は「日本人選手は決定力がないと言われる中、“サッカーの王様”ペレのシュートモーションから着想を得た」と過去の取材で言っていたが、現代ではバルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシのシュートもその理想の形に近いと言えるかもしれない。

◆契機となった東日本大震災

サッカーを教えようとしていた小幡氏が、なぜ「靴飛ばし」を練習に取り入れるようになったのか。それは、今から10年前の東日本大震災が大きく関係していた。

当時、宮城県サッカー協会会長を務めていた小幡氏だったが、震災をきっかけに予てから掲げていた「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」という自らの理想を追い求め、震災後にすべての公職を離れることになる。

「いろいろなことがあって震災きっかけに引退した。今まで私は保護者と一切しゃべってこなかったのね。えこひいき的なこともあるから。試合に出られない人もいるじゃないですか」

「でも、ある方に相談して、そこから保護者と話をするようになった。何を目的にスクールをやるのかというところから話を始めたんですよ」

塩竃市生まれの小幡氏は、1964年に「仁井町スポーツ少年団」という小さな町の小さな少年団を創設。少年団は1982年に「塩釜FC」へと形を変えると、3期生として所属した元日本代表の加藤久氏(現京都サンガF.C.強化本部長)や、鹿島アントラーズで活躍するMF遠藤康、モンテディオ山形、ガンバ大阪などJリーグで活躍した佐々木勇人氏ら、多くのJリーガーを輩出してきた。

宮城県の町クラブからJリーガーを輩出しているともなれば、言わば育成のエリート。宮城県サッカー協会会長に就任したのも、その実績や行動力が買われたことが大きいだろう。

しかし、その時指導を受けている子供たちには、そんなことは関係なかった。これまでのやり方では上手くいかないと判断し、そこで偶然取り入れたのが「靴飛ばし」だったのだ。

◆「靴飛ばし」が生んだ変化

「靴飛ばし」で得た手ごたえは、その後の小幡氏の指導方針に大きな変化を生むこととなる。小幡氏が着目したのは身体の使い方。そして、またしても偶然「古武術」という1つの解にたどり着く。

「日本代表の監督に外国人が就任して練習すると、ほとんどがフィジカル弱いと言うんですよ」と語った小幡氏だが、ヨーロッパなどの恵まれた体格の選手たちに比べれば、日本人は体格でも劣り、フィジカル面の弱さが目立つことが多かった。

今となってはヨーロッパでプレーする選手も増え、フィジカル面で完全に負けるという場面も少なくなったが、以前は大人と子供ほどの差があったのも事実。しかし、民族的な差もあり一気に日本人の体格が良くなることはなく、その中で勝っていく必要が生まれた。そこで見出したのが「身体の使い方」だった。

「自分が理解したことしか教えない」というモットーを持つ小幡氏は、身体の使い方が重要となる「古武術」を学ぶため、その持ち前の行動力で身体技法の研究家・甲野善紀氏や方条遼雨氏、高橋佳三氏という専門家に教えを乞う。

小幡氏がその「古武術」を学び出したのは75歳の時。そこから、4年以上を費やし、メソッドを習得したという。2年前に小幡氏を訪ねた際、当時79歳の小幡氏との競り合いで敗れたことを今でも思い出す。「身体の使い方」は50以上の年齢差をモノともしないことを体感した。

「靴飛ばし」以外にも空手部出身でサッカー未経験者の小幡氏ならではの、「遊び」や「古武術」の要素を取り入れたユニークな指導法がいくつもあり、その効果は目に見えて子供たちに表れたという。

「やっぱり、子供たちにも教えすぎない。今までは子供たちを呼んで、『これやるぞ』と言ってもやらない。話聞かないと『ちゃんと聞け!集まれ!』と、そういう教え方をしていたのね」

「それからは、『いいや、聞かないなら聞かないで、こっちで遊ぼう』とやると、次から本気になって聞く、準備をするんですよ」

「みんな体つきも違うんだから、遊びを利用したサッカースクールだから、疲れたら休んでいいぞ、自由にやんなさいと。自由な環境を作ったんですよ。そうしたらめちゃめちゃ上手いのが出てきたの。これなんなんでしょ」

サッカーが上手くなるためにはサッカーの指導は要らない。その根本となる身体の使い方、そして何よりも子供たちが興味を持つことをさせることで、好奇心をくすぐり、結果に繋げていった。

◆相棒はiPad

そんな小幡氏の練習中の相棒は、意外にもiPadだ。80歳を過ぎながらも、最新のデジタル機器を活用し、指導に活かしていく。しかし、使い方は決して高度ではない。

「俺はサッカーのプレーできないじゃないですか?だからiPad持って行って、世界一流のプレーを子供に見せる」

小幡氏がiPadを使って行っているのは、世界のトッププレーヤーのプレー映像を見せるだけ。しかし、子供たちはスター選手たちの真似をする。それをキッカケに、自ら練習に励み、上達していくのだ。スポーツをやったことがある人は、誰もが憧れたトップ選手の真似をしてきたことと同じだ。

「一流になるためには一流のプレーを知る必要だ」というのは小幡氏が指導者になった当初からの考え。大卒初任給が2万円前後という時代に、当時50万円もするビデオデッキを購入した。もちろん、トッププレーヤーのプレーを見せるためだ。それが両親にばれて勘当されたという逸話もある。

その思いは今も変わらず、ビデオデッキがiPadへと進化。小幡氏の指導法の1つである「目で育つ」ことは今でも重視している。

「俺が加藤久を育てたと言われるよね。あれは俺が育てたわけじゃないの。あいつらに映像をみせたんですよ。教育は教えるんでなく、目から入ってくる」

「自分の体を有効利用するというか。自分の体のパワーをどう伝えるか、サッカーならボールにどう伝えるか。そのためにYouTubeもめちゃくちゃ見てるんですよ。その中で理解できたことだけを子供たちに伝える」

「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」を己で体現し、「今が一番楽しい」とまで語る小幡氏だが、その契機はやはり10年前の震災だった。

「こういういろいろなこともできるのもね。震災後に会っていろいろ指導を受けたり、震災を契機に、俺の進むべき道を変えてくれた。震災で亡くなった人たちのためにもそういうことを伝えていきたい。その思いで、今は遊びまわっています」

「だから、いろいろなことを皆に助けてもらって、嫌なこともあったし、辞める時もいろいろなことがあって自分で身を引いて…。でも今は神様にこっちの仕事をしなさいと指示を受けたんだと思った」

今なお指導者であり続ける小幡氏だが、「教える」という言葉をあまり使わず、「伝える」「育てる」「遊ぶ」という言葉を選ぶのが印象的だ。

「(教えるというより)今は伝えるみたいな感じ。『こうやってみたら』とか『こういうやり方はどう』とか。やるかやらないかはその人次第」

「育てるのは時間がかかるし、チームは次の試合のための準備になるんですよ。これがなくなっただけで、今の中学3年生でも、ものすごい伸びてるんですよ」

中学3年生であれば、震災当時は4歳か5歳。小幡氏は小学生を教えているため、震災後に指導を受けたことになる。

「教え子の今年中3の子のうち、3人が(今のチームで)キャプテンをやってるんだ!やっぱりやってきたことは間違いなかったんだなってさ」

数多くのJリーガーを輩出した実績がありながらも、そのこと以上に教え子が中学校のチームでキャプテンを務めることを嬉しそうに語るその姿に、小幡氏の本質を見た気がした。

震災を機に、「教える」から「伝える」へ大きく舵を切った小幡氏だが、「地域に根ざしたスポーツクラブをつくる」「子供たちを育てる」という原点は変わらない。古武術もiPadもビデオデッキも、それらを実現した行動力も全てはそのためということだろう。

◆81歳小幡忠義の挑戦

あれから10年が経ち、81歳になった小幡氏だが、「これから」の目標についても教えてくれた。

「子供だけでなく、高齢者も。ドイツに行った時の話が忘れられなくて。ただ高齢者の人は中々SNSをやっていなくて、伝えるのが難しい。だから身近なところからやってます」

前編でも記述したように、ベガルタ仙台の発足にも携わった小幡氏は、1993年にドイツを訪れた際、「人間が変わった」と語るほどの当時の日本とは比べ物にならない「素晴らしいスポーツ環境」をみて、「健全なる精神は健全なる体に宿る」という精神を目の当たりにする。そして、国、ひいては地域に根ざしたクラブを目標とするようになった過去がある。

これまでは塩竃で子供たちの育成に携わることで、「地域に根ざしたクラブ」の実現のために尽力してきた小幡氏だが、「高齢化社会による医療費の増加、さらには“正しい体の使い方”を意識した自らが健康になった」という経験をもとに、高齢者の健康促進にも貢献したいと考えが芽生えたという。

81歳の小幡氏が高齢者の健康促進のために活動する。不思議な話にも聞こえるが、これが小幡氏らしさと言える。これからも指導者・小幡忠義の進化は止まらない、塩竃から発信し続ける。