あのスーパースターはいま(6)後編前編を読む>> 西ドイツに3度目のW杯優勝をもたらしたアンドレアス・ブレーメと、イング…
あのスーパースターはいま(6)後編
前編を読む>>
西ドイツに3度目のW杯優勝をもたらしたアンドレアス・ブレーメと、イングランドをW杯4位に導いたポール・ガスコイン。国民的英雄となった2人だが、現役引退後、スーパースターの面影はなかった。苦難とスキャンダルにまみれ、落ち着いた生活を取り戻すまでに長い年月がかかった。
一方、一度はどん底に落ちながらも、見事に復活をとげたのは、元オランダ代表のアンディ・ファン・デル・メイデだ。彼については現役時代から話をする必要がある。
ファン・デル・メイデは多くの優秀な選手を輩出しているアヤックスのユースで育ち、17歳でトップチームデビューしたエリート選手だ。代表ではU-15からすべての年代別カテゴリーを経験し、23歳でフル代表入りを果たしている。スピードがあり、テクニックに優れ、サイドでの1対1の戦いには驚異的な強さを見せた。プレーは正確で鋭く、現代的なウイングに必要なすべてを持っていると称賛された。
当時のアヤックスにはクリスティアン・キヴ、ヴェスレイ・スナイデル、ラファエル・ファン・デル・ファールト、ズラタン・イブラヒモビッチなど、未来のスターたちがそろっており、国内では2冠を達成している。イブラヒモビッチとは、どちらも優等生タイプではなかったこともあり、ウマがあった。

「オランダを代表するウイング」と呼ばれたアンディ・ファン・デル・メイデ
しかし、「時期尚早だ」と止めるロナルド・クーマン監督の反対を押し切り、イタリアのインテルに移籍した頃から、ファン・デル・メイデのツキはどんどん落ちていった。ファン・デル・メイデを呼んだはずの監督のエクトール・クーペルが、彼を見て開口一番、「こいつは誰だ?」と言ったのは有名な話だ。
ミラノに行って1週間後には、アヤックスのチームマネージャーに、「オランダに戻りたい」と電話している。10月に監督がアルベルト・ザッケローニになると、彼はほとんど使われなくなり、翌シーズンのロベルト・マンチーニ体制下では完全にベンチ要員になった。
ミラノには友達もいない。ファン・デル・メイデは憂さ晴らすかのように、夜遊びに出るようになった。
「1シーズン目には、出かけることはほとんどなかった。でも、もうプレーさせてもらえないと考え、夜遊びを始めた。サッカーから逃げるように酒を飲むようになった」
実は父親もアルコール中毒だった。ファン・デル・メイデ自身はそんな父が大嫌いで、アヤックスのユースに入った時は母親の名字を名乗りたいと希望したほどだ(結局それは却下された)。
ミラノでともに住んでいた最初の妻は、病的というほどの動物好きで、家に犬に馬、しまうま、オウム、亀、そしてラクダまで飼っていた。
「ある日、仕事から帰ってくると、ガレージの暗闇から変な声が聞こえ、そこにはラクダがいた」
2005年、ファン・デル・メイデはエバートンへの移籍が決まったが、妻は動物を飼える家がないと言ってミラノに残り、リバプールには単身赴任することになった。エバートンでの給料はインテルより良かったが、デイビッド・モイーズ監督もあまり彼を使ってはくれなかった。
そこでファン・デル・メイデはまた、夜の街に繰り出すようになる。フェラーリに乗り、有名なバーでまず一杯ひっかけては、近くのストリップクラブに通った。エバートンでの1年目はケガもあり、結局10試合しかプレーできなかった。酒とバカ騒ぎが日常となった。睡眠薬を飲まなければ眠れなくなった。睡眠薬は医者の処方がいるものだが、それだけでは足りないので、チームの医務室から盗んでいた。
そんな彼をチームはほとんど使わなくなり、それがまたフラストレーションとなって酒量が増える。ストリッパーの女性との関係がばれて、妻とも離婚した。チームの誰ともしゃべらず、誰も信用できず、悩みを相談することもできない。当然、契約は更新されず、結局エバートンでは24試合をプレーしたのみに終わった。
2009年にプレーするチームを失うと、状況はさらに悪化した。アルコールに加えてドラッグが生活に入ってきた。
「かつては『世界でもルイス・フィーゴの次にすばらしいウイング』とも称されていたのに、自分はその才能を無駄遣いしてしまったのではないかと無性に落ち込む」日々が続いた。それを忘れるために、「コカインをやり、酒を飲み、週に7日、パーティーで騒いだ」。
のちにファン・デル・メイデは『タイム』誌のインタビューでそう語っている。
「サッカーはもちろん、他の何にも集中できなくなった。乱痴気騒ぎだけが俺の人生だった。自分をコントロールできなくなった人間にとってリバプールは危険な町だった。俺はこの街に殺されると思った」
ある晩、彼は夜中に目覚め、愕然と悟る
「この町から去らなければならない。もし今、すべてを絶たなければ、生きていくことはできなくなると感じた」
引退から5年後、ファン・デル・メイデは「BBC」ラジオの生放送で当時をそう振り返っている。代理人に連絡すると、代理人は古巣のアヤックスで練習に参加できるよう取り計らってくれた。
2010年、ファン・デル・メイデはPSVと契約の一歩前までいったが、話はまとまらず、結局2011年の11月に正式に引退した。まだ32歳になったばかりであった。
引退後、彼は自分のこれまでの過去を洗いざらい告白した自伝を出版する。書くことですべての悪癖と別れることにしたのだ。やがて再婚し、娘も2人生まれ、平穏を手に入れた。
いくつかのテレビ番組に出演したのち、自分の才能に気がついたのか、2016年からユーチューバーとなった。「Bij Andy in de auto(アンディと車の中で)」というシリーズが人気で、かつてのコネを利用して、サッカー選手やその他の有名人を助手席に乗せてドライブしながらインタビューをするという内容だった。
悪童だっただけに、歯に衣着せぬ物言いと過激な発言が大人気で、今では22万7000人のチャンネル登録者がおり、BMWがスポンサーについた。ロメル・ルカク(インテル)がゲストの時には110万回再生、フレンキー・デ・ヨング(バルセロナ)は80万回再生。将来が有望視されているパトリック・クライファートの息子なども出演している。
かつてアヤックスで、ファン・デル・メイデとイブラヒモビッチとともに「悪童トリオ」を形成していたミド(アーメド・ホッサム)とは、3人でタクシーに無賃乗車して、足が速いので運転手を振り切った話など、当時の悪行を暴露し合っている。その一方で、「若い選手に突然大金を渡すのは危険だ」などと、自身の経験を踏まえて忠告もしている。
元オランダ代表のロイストン・ドレンテがエバートンへの移籍を決めた際には、こんな警鐘を鳴らした。
「リバプールは若者には誘惑が多すぎる。知らないうちにナイトクラブが魅了し、アルコールが降り注ぎ、コカインにおぼれる。それから女だ。やばいぞ!」