日本一の瞬間、ソフトバンクの平石洋介打撃兼野手総合コーチに訪れた喜びの源。それは、チームの「笑顔」だった。「一番はやっ…
日本一の瞬間、ソフトバンクの平石洋介打撃兼野手総合コーチに訪れた喜びの源。それは、チームの「笑顔」だった。
「一番はやっぱり、選手やスタッフ、球団に関わる全ての人の笑顔が見られたことですね」
自然に「勝利」より「笑顔」と表現するあたり、じつに平石らしい。「僕の評価なんかどうでもいいんです。チームのため、選手のためにやるだけ」と普段からそう語る指導者としての信念が垣間見られる。

工藤公康監督(写真右)と話す平石洋介コーチ
チームに笑顔が弾けた瞬間、平石は全身の力が抜け落ちたように安堵した。それだけ、プレッシャーとも戦っていたことになる。
平石のソフトバンクへの入閣は異例だった。
2019年に楽天で一軍監督を務め、チームを3位へと導いた。その指揮官が、この時点で3年連続日本一に輝いているパ・リーグのライバル球団から声をかけられ、移籍したニュースは、大きな話題を呼んだ。
シーズン終了後に加わった秋季キャンプから、球団は「リーグ優勝」「日本一」への覚悟を全面に打ち出す。その志高き常勝軍団から期待され、請われた身からすれば、意識せずとも重圧が働くのも無理はない。
平石が人知れず抱えていた感情を漏らす。
「そこにはいろんな決意があったわけですけど、やっぱり僕が来たことで順位が下がったり、楽天に負けるようなことがあれば『何言われるかわからん』という気持ちは、もちろんありました。開幕前もシーズン中も、そこまで意識するようなことはなかったですが、戦う上で個人的な感情は関係ないですから、悟られないように(笑)。ただ楽天だけじゃなしにね、優勝するためにはほかのチームにも勝っていかなければならないわけですから」
ソフトバンクは楽天に15勝9敗と大きく勝ち越したが、平石は「それは、選手のおかげです」と言い切る。実際、楽天のみならず、最終的に2位に14ゲーム差と地力で勝り、3年ぶりのリーグ制覇を遂げた。とりわけ、球界を驚愕させたのは日本シリーズだ。セ・リーグを連覇した巨人に4連勝。4試合で26得点4失点とねじ伏せた。
論者たちがソフトバンクの強さの源泉を探る。育成選手出身で象徴的な出世頭である、エースの千賀滉大や正捕手の甲斐拓也。投手陣は、マウンドに立つ選手のほとんどが最速150キロを超える。「育成面が優れている」と、そう称賛する声が大半を占めていた。
平石自身、ソフトバンク行きを決断した最大の理由に「強いチームを中から見てみたかった」と、興味を示していたほどである。1年が経ち、答えは出たのか?
「わからないですね」
これが、偽らざる回答なのだという。
「ほんと、わかんないんですよ。まだ、1シーズンしかやっていないんで、二軍と三軍のこともわからないことが多いですし。よく聞かれるんですけどねぇ......この質問、いつも答えに困るんですよ」
とはいえ、この1年で限りなく「答え」に近い骨格を捉えたことも、事実としてある。それは、ソフトバンクの伝統だ。
前身のダイエー時代まで遡れば、西武黄金時代を知る秋山幸二の背中を見続けた小久保裕紀がリーダーシップを発揮し、城島健司、川﨑宗則、松田宣浩と、生え抜き選手たちが先人たちのマインドを血肉とする----。
平石は楽天時代から、ソフトバンクがつくり上げる上質な「和」を感じていた。
「僕が現役時代を知っているのは小久保さんなんですが、試合前のシートノックからイニング間の内野のボール回し、守備での声出しだったり、本当に隙がない、いい姿勢を見せてくれていました。正直、練習量で言えば楽天のほうがソフトバンクよりやっていると感じますし、野球に対する意識だって引けを取りません。
ただソフトバンクは、今でも松田や(川島)慶三、長谷川(勇也)、柳田(悠岐)、(中村)晃とか、経験がある選手の多くが『今、自分は何をやるべきなのか?』ってことを理解して行動してくれているし、それを若手たちにしっかりと伝えてくれている。言動でチームを引っ張っていける、キャプテンのような存在が多いんです」
本塁打セレブレーションの"熱男"で知られる、チームきっての「元気印」松田や、彼とともにチームを盛り立てるムードメーカーの川島の振る舞いは顕著だ。
ほかの選手もアプローチは違えど、寡黙な長谷川や中村も率先して若手選手にアドバイスを送り、柳田にしてもミスをした後輩に「ヘコむな。思い切ってやればいいっしょ!」と背中を押す。
「柳田なら、若手時代に伸び伸びプレーさせてもらえたからそう言えたり。経験のある選手が言うべきことをわかっているんです」
こういった土壌が揺るがないのがソフトバンクなのだと、平石は唸る。だからこそ、懸念も拭えないのだという。
次代を担う存在として、今年12年目を迎える今宮健太は、彼らの意志を継ぐ者としての自覚がうかがえる。しかし、さらに下の世代となると、まだ適任が見当たらない。そこで、後継者として平石が白羽の矢を立てた選手が、24歳の栗原陵矢である。
本来は捕手だが、昨季は打撃を生かすためにファーストと外野を中心に出場し、プロ6年目で初の規定打席に到達。17本塁打と持ち味を見せ、日本シリーズではMVP獲得と、大ブレイクを果たした強打者である。
その期待の若手に、平石はこう促している。
「まだ試合をこなすので精一杯かもしれないけど、今のおまえはそれが当たり前。ただ、これから本当の意味でレギュラーとしてチームを引っ張っていくために、今、経験のある選手の振る舞いをしっかり見とけ。そこから、自分にできることを実践していこう」
栗原は、平石がソフトバンクのユニフォームに初めて袖を通した2019年秋のキャンプで、"ひとめぼれ"した選手だった。「ものが違う」と確信したという。
構えた雰囲気、バットを振る力にタイミングの取り方、スイングの軌道......。楽天の指導者時代から個人名を出すことを嫌う平石が、意図的にメディアで栗原の名を連呼したのは、「絶対に一軍の舞台で結果を出せ」と、本人に知らせる狙いもあったのだという。
結果を見れば栗原の飛躍は明確だが、平石は「毎日練習につき合ったくらいで、大したことはしてないですよ」と謙遜する。
仮にそうだとしても、平石は栗原をはじめとする選手たちが、良好な状態でグラウンドに立てるよう、舞台を整えるために力を尽くしたのは間違いない。極端に言うならば、そのためなら監督であろうとも戦ったのである。
ソフトバンクは昨季、レギュラーシーズンで100通り以上の打線を組んだ。多くは工藤公康監督が決めたというが、それも森浩之ヘッドコーチ、立花義家打撃コーチの4人でミーティングを重ねたうえでの決定である。
平石も「ここは」と感じれば、積極的に自らの考えを主張した。そういった背景があるからこそ、栗原にせよ、1番や2番、5"Ôといったように打順が変わろうとも、大きくコンディションを崩すことなくパフォーマンスを発揮できたわけである。
工藤は一部で「独裁的」と表現されることもある監督だ。しかし、実際のところは、他者の意見を制圧してまで自らのやり方を強引に進めるような人間ではない。
「独裁......。良くも悪くも、監督ってそういうもんじゃないですかね......」
平石が言葉を選びながら慮る。
「オーダーを決めるにしても、工藤監督はコーチの話を聞いてくれましたしね。そこで意見が割れて、監督が自分の考えを通したそうだったら、僕が絶対に折れました。だって、監督なんで。僕が監督をやっていた時も、コーチの意見を尊重したことで『自分が思ったとおりにやっておけばよかった』と後悔することがありました。最終的に決定して、責任を負わなければいけないのは監督です。後悔だけはしてもらいたくないですからね」
一軍監督を経験したからこそ、平石は潜在的に工藤とつながることができ、臆することなく意見交換を繰り返すことができた。
それは、ひいてはソフトバンク全体として、後悔を削減したり、事前に回避する作業でもあるのではないだろうか。
今年、オプションとして栗原にサードを守らせるプランを進めるのも、そのひとつだ。
「ベテランであっても、やれるのであれば当然、試合に出るべき」との考えを持つ平石からすれば、現時点でサードのレギュラーは松田であることに変わりはない。だが、故障などの不測の事態や数年後を見越した際に、バックアップは不可欠となる。守るポジションは増えるが、平石は栗原に適性があると見定め、昨年から練習をさせているという。
平石は今季、打撃コーチ専念となる。だが昨年蒔いた種を、ヘッドコーチとなった小久保へと、すでに託している。
現役時代、抜群のキャプテンシーで常勝軍団の礎を築き、指導者としても日本代表監督として2017年のWBCで指揮を執ったレジェンド。その存在は、「今のチームにとって大きなプラス」と、平石は声を弾ませる。
「小久保さんが入ってくれたことによって、またいいものがチームに引き継がれると思います。今年の僕はバッティング専門ですから、あまり出しゃばらずにね(笑)。ただ、意見を求められれば、最善の努力はしますよ」
ソフトバンクの基盤が、また強固になる。
首脳陣が外連味のないブレストを展開させ、選手に還元していく。チームの和がさらに広がり、今年も栗原のような"超新星"が誕生するかもしれない。
そして、ソフトバンクの「強さ」の正体を探求する平石の旅も再スタートを切る。リーグ優勝と日本一、ソフトバンクが放つ至上の「笑顔」。それこそが、平石が求める答えにたどり着く、確かな道筋となる。