プロ野球のキャンプインが2月1日に迫る。3年連続Bクラスと低迷する西武は今オフ、桑原将志外野手(32)石井一成内野手(3…
プロ野球のキャンプインが2月1日に迫る。3年連続Bクラスと低迷する西武は今オフ、桑原将志外野手(32)石井一成内野手(31)と10年ぶりにFA補強を成功。全体的に活発な補強が目立った。中核を担った広池浩司球団本部長(52)は何を思って動いたか。熱い仕事ぶり、職業観がにじむ補強の深層に迫る。【取材・構成=金子真仁】
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11月24日夜、広池本部長は球団施設にいた。FA交渉をする桑原から間もなく電話が来る-。事前に知ると、気配を殺して動いた。「とにかく周りに聞かれたくないの一心でした。誰もいないところに行きました」。人知れず、チームを変える吉報を受け取った。
「何と言ったらいいか、不思議な感覚というか。うれしかったですけどもビックリしたというか。本当に来てくれるんだって。『あ、すごく大きいことを今、1つなしとげられたんだな』って思いました」
翌25日夕方に報道陣に公表するまで「西武、桑原獲得へ」の気配をみじんも察知させなかった。過去、他球団のFAでは交渉経過を公開するケースもあった。
「その都度公表するメリットをあまり感じなかったのが正直なところです。桑原選手もすごくベイスターズファンから愛されている選手。1つ1つ交渉過程を公表していくと、いろいろな声が集まるでしょうし」
その後の石井も含め、球団として10年ぶりにFA選手の獲得に成功した。話題になった「20枚のプレゼン資料」も含め、交渉の戦略はほぼ1人で考えた。
「言葉を交わすのは初めてでした。なぜ獲得したいのか、数字的なものも含め裏付けは資料で可視化できていたので、あとは気持ちを正直に伝えようと。対面なので取り繕ってもしょうがない。自分らしく。だから前夜に眠れない、とかまではなかったですね」
でも誠意は伝えたい。誰かに見せる努力ではないにせよ、交渉会場近くには3時間前に到着した。「私、そのタイプなので。準備があるなら、歩いて行ける距離のところで。交通事情もいろいろ発生しますし、大事なイベントがある時はとにかく早く着いておくのはやっています」。
立大を卒業し、全日空に入社した。羽田空港で地上職を1年半、務めた。出発ぎりぎりに来た客と2人でスキー板を持って全力疾走したこともある。
「空港はいろいろなトラブルがあります。飛行機の遅れが天候理由であっても、時にはお客さんから叱られます。でも言い返すことは絶対できない。冷静に。そうすると、相手の背景を1歩引いて見ることができるようになったんです。一瞬で人の思いや背景を見るクセがつきました」
編成の重責を担う今も、根っこは変わらない。FA交渉は平常心で対応できたが「眠りが少なくなったのはありましたね」と明かす。FAの人的補償だ。28人のプロテクトリスト作りも全責任を負う。
「名簿を提出するまでは『どうしようか』。提出してからは『誰に来るんだろう』って。想像してもしょうがないんですけどね。桑原選手という素晴らしい選手を獲得したら、今の制度上はそうなるのは分かった上なんですが、いざやってみると、かなりキツかったですね…」
横になれば絶対に考え込んでしまう-。対策に「究極に眠くなるまで布団に入らない」を実践。仕事をしたり、家族と話したり。寝付くのは早かったが、朝4時前後に起きてしまうことも増えた。夢も見た。
「『この選手が(人的補償で)選ばれた、みたいになって。それで起きました。2回くらい。両方とも選ばれたのは過去の選手でした。だから『そんなわけねえよな』って気づけて』」
リストも何度も考えた。「秋元副本部長と1日1回は相談しました。変わるわけないのに何度も見て。にらめっこして」。最終局面でも5パターン以上で悩み抜いたという。
DeNAに人的補償で選ばれた古市には「守ってあげられなくて、ごめん」と声をかけた。「古市に電話する時は、どう切りだそうとかすごく考えました」。努力も成長も実直な人柄も知っている。相手の背景を感じ、少しでも思いが伝わるように。
今井は抜けたが、補強にまい進した。源田、外崎ですら安泰ではないチームが動き出す。「これ以上ライオンズファンに悲しい思いをさせられない、待たせられないという思いが先に立ちました」。競争を激化させ、チームの成長スピードを上げる-。多くの獅子党はこの動きに賛同した。例年以上の期待感に包まれて2月1日を迎える。
「毎年1月31日でメインの仕事はいったん終わります。自分(の動向)も目立つ必要はない。2月1日になるとホッとする。選手と全く逆なんですよね。サイクルが。でもしっかりチームを観察します。コミュニケーションはずっと取りまくります。長期的に見て、ライオンズの進化はこれで終わりじゃないので」
◆広池浩司(ひろいけ・こうじ)1973年(昭48)8月29日、埼玉県越谷市生まれ。全日空退社後、97年に広島の入団テストに合格し、翌98年ドラフト8位で入団。リリーフ左腕として通算248試合に登板。引退後、西武の打撃投手に。多くの職務、役職を経て25年から現職。2月1日には取締役球団本部長に昇格。