「THE ANSWER スペシャリスト論」バレーボール・大山加奈「THE ANSWER」はスポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「TH…

「THE ANSWER スペシャリスト論」バレーボール・大山加奈

「THE ANSWER」はスポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。元バレーボール日本代表の大山加奈さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、バレーボール界の話題、自身のキャリアからスポーツ指導の哲学まで定期連載で発信する。

 今回のテーマは「選手、指導者から母へ」。昨年9月、双子の妊娠を公表し、2月に出産を控える大山さん。引退後はバレーボールの普及に尽力し、育成年代に指導、講演を行う一方、スパルタ指導などスポーツ界の問題に声を上げ、常に子供たちに寄り添うメッセージを発してきた。そんな大山さんが今度は母になり、子育てに思うこととは――。不妊治療を経て、生まれてくる我が子へ想いを明かした。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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「パワフルカナ」と呼ばれた名アタッカーが「ママ」になる。

「双子はリスクも高く、今の週数なら、もう管理入院していることも多いそうですが、私の場合はありがたいことにすごく順調です。(愛犬の)だいずの散歩も行けているくらい。すごく恵まれていると感じます。先生もびっくりするほどの順調さで『(身体が)大きいからかな』と言っていましたが、私も初めて心から『大きくて良かった』と思っています(笑)。

 一方で、出産が近づいてくると考えることも変わってきます。今までは母体も高血圧、糖尿病になりやすかったり、私は現役時代の怪我で腰に不安があったり、また双子の場合はどちらの子が育たなかったり。そういうリスクへの不安が大きかったですが、今度は私はちゃんと子育てをしていけるのかという不安が生まれてきて、今の楽しみと不安は半々ですね」

 1月9日。オンラインで取材に応じた大山さんは率直な思いを口にした。

 小・中・高、すべてで日本一を経験し、高3で日本代表デビュー。同い年の栗原恵とともに「メグカナ」コンビでスター選手となり、アテネ五輪に出場した。長年の持病だった腰痛の影響もあり、26歳で引退後はバレーボールの普及に尽力し、全国の子供たちに指導、講演して回った。一方で、バレーボール界のスパルタ指導、勝利至上主義といった問題に声を上げ、常に子供たちに寄り添ったメッセージを発信してきた。

 そんな大山さんが自分の子を持つ。2月に予定する出産の間近。「正直、実感はまだそこまでないんですが……」と笑ったが、母になることへの想いを問うと、大山さんらしい答えが返ってきた。「今まで子供たち、その保護者の方と関わらせてもらってきて、私が母になることでまた違った視点で物事を捉え、関わることができる。そこが楽しみなんです」。さらに深みのある指導者になることにイメージを膨らませる。

 バレーボールの指導の経験は豊富といえど「ママ1年生」。もちろん、子育てとは勝手が違うことは理解している。

「バレーボール教室、単発のイベントで出会う子供は、こうやって接しようとある程度の理想を持ってやっていますが、毎日の子育てとなると、そうはいかないと思います。その分、より保護者の方の苦労が分かるようになります。指導者の方は子供たちと単発ではなく、ずっと関わっていく形は子育てに近いものがあり、そういう方たちの気持ちがより分かるようになると思っています」

大山さんが憧れる理想の女性と母・久美子さんから受けた影響

 妊娠が分かると、周囲からは当然のように「子供にはバレーボールをやらせるの?」という質問を受けた。

「本人がやりたいといえばやってもらってもいいですが、いろんなことにチャレンジさせてあげて、その中で自分が夢中になれるものを見つけてもらいたい想いがすごくあります。私は出産後も仕事を続けるので、バレーボールの現場に行き、子供がバレーボールを目にすることは多いと思います。

 でも、決して狭い世界じゃなく、広い世界を見せてあげたいです。本人がやりたいと言ってやるのならばいいのですが、親がやっていたからやる、ということでは面白くないし、成長につながらないと思うんです。本人が夢中になれるものが一番ですし、そういうものを見つけてもらいたいので」

 子供の自主性を尊重し、可能性を伸ばすことが第一。それは、バレーボール指導の心がけと変わらないものだった。

 大山さんにとって、理想の女性がいる。丸山(旧姓江上)由美さん。84年ロサンゼルス五輪女子バレーボール銅メダルのメンバーだ。引退後は実業団の指導者も歴任。同じく実業団の指導者だった貴也さんと結婚し、娘の丸山紗季はVリーグで活躍中である。

「江上さんに憧れるのは、すごく筋が通っていて、凜とされている。でも、温かい。すごく優しくて、いろんなところに目が届いて、心配りができる。あんなにすごい方なのに、あまり表に出さない。誰にでも分け隔てなく接するけど、根っこは強い。そういう女性になりたいと思っていました。

 母としても娘さんがVリーグでプレーして、旦那さんが監督・コーチをしている。でも、そういう場面になると、一歩引いて母として応援している感じがすごく伝わってくる。本当に娘さんを愛していて、一番のサポーターになっている感じ。ああいうお母さんになりたいと私も思っています」

 自分を育ててくれた母から受けた影響も大きい。17年にすい臓がんにより55歳の若さで亡くなった久美子さんは一つの指針になっている。「うちは3人姉弟ですが、分け隔てなく愛してくれていたこと。それが、いつも伝わってきました」と思い返す。

「そういう無償の愛というか、その部分はすごく尊敬していました。私たちはすごい量を妹(未希)と食べるので(笑)、そのごはんを用意するだけでもう尊敬に値します。自分がごはんを作る立場になると、あの量をよく毎日作っていたなと思いますし、それは愛がないとできないものなので。食費はどれくらいかかっていたんだろうと思います。

 一方で、バレーボールに関しては一切、口を出さない人でした。ただ、応援はすごく張り切ってしてくれるし、毎日の練習の送り迎えをしてくれました。全力で応援してくれているということは伝わっていました。試合に勝とうが負けようが、家に帰ってからの態度は変わらないし、どんな結果であってもいつも一緒。それに救われていました」

 36歳になり、今度は自分が我が子に愛を注ぐ立場になる。「だから、もし生まれてくる子供がスポーツをやるのであれば、いつも同じように結果に関わらず、受け入れてあげることは受け継いでいきたい」と自覚を深めている。

 母になることへの想いを語ってくれた大山さん。ただ、母になるまでの過程に苦労があった。不妊治療だった。

不妊治療を経て、生まれてくる我が子への願い「多くは望まない、2つだけ」

 31歳だった15年に一般男性と入籍。子供ができにくい体であることは結婚に合わせ、婦人科で行ったブライダルチェックで知った。

「薄々は感じていた」という。小6で腰痛を発症して以降、怪我と隣り合わせの人生。腰を手術していたこと、痛み止めの薬を日常的に飲んでいたことも原因だったと思っている。「やっぱりなと納得する部分があった一方、まだ31歳でショックも大きかったです」と率直な想いを明かす。

「一番つらかったのは身近な人たちの妊娠・出産を心から喜べない自分がいた時でした。友達、先輩で本当は喜ばないといけないし、喜びたいけど、100%素直に祝福できていない時に自分の心の狭さ、小ささを感じて、自分が嫌になったような気がして……そこがとてもつらかったです」

 子供ができないことをバレーボール界の先輩に茶化され、傷ついたこともある。ありとあらゆる療法を試した。心と体はもちろん、金銭面の負担も小さくない不妊治療。夫には体を考慮し「そこまで頑張らなくても」と言われた。期間が長引くほど「もう、やめようか」と心は揺れたが、しかし。

「(愛犬の)だいずを飼い始めてからは『だいずがいればいいや』という気持ちでいました。養子縁組について調べた時期もあります。でも、自分の子供ってどれだけ可愛いんだろうと。他人の子供でもあんなに可愛いのに自分の子供だったら……。それを知りたくて、感じたくて」

 それが「子供を持つことを諦められない一番の理由になった」という。ただ、バレーボールで小・中・高で日本一になり、五輪に出場。努力を実らせ、成功体験を得てきた人生だった。不妊治療は頑張ったから、必ず努力が実るものではない。その現実は、嫌というほど感じた。

「いくら頑張っても努力しても実らない苦しさはありましたし、不妊治療は諦めた時、最後の治療にしようと決めた時にできたパターンが多いという話をよく聞きました。だから、頑張りすぎちゃいけない。そう見たり聞いたりすると、どう心を持っていけばいいのか。自分の人生はとにかく目標を達成すると信じて努力するものでしたが、不妊治療ではそれが正しいものじゃないと感じ、その心の持ちようがすごく難しかったです」

 知らせは、突然だった。不妊治療を始めて5年。大山さん自身も「今回もダメかな」と期待せず、病院に行った時、妊娠を告げられた。その瞬間、頭は真っ白に。医師の話が全く入らず、ひと通り聞いた後で「すみません。もう一回、お願いします」と言った。それほど、信じられなかった。

 不妊治療が実ったことについて「自分は恵まれていると思います。頑張っても頑張っても授かれずに悲しい想いをされている方もいます。だから、恵まれています」と言う。だから、同じように子供を持つことを願い、不妊治療を続ける女性に寄り添い、メッセージを送る。

「私から不妊治療で悩まれている方に言えることがあるとすれば、頑張りすぎないこと。子供を望んでいるからこそ、できることは何でもやりたくなるし、藁にもすがる思いで試したくなるし、毎月生理が来る来ないで一喜一憂する。でも、一番は自分を大切にしてあげてほしい。

 頑張りすぎて疲れてしまって、心も体も疲弊してしまっては、良い方向に行かないと思います。時に自分を甘やかして、ご褒美をあげながら。私は病院に行った時、美味しいランチを食べると決めて、そんな風に治療を乗り越えてきたので。まず、自分を大切にしてほしいです」

 バレーボールの名選手から母となり、新たな人生を歩み出す大山さん。生まれてくる2つの命が時を経て、やがて大人になる頃、どんな風に育っていてくれることが幸せだろうか。母として我が子に願うことを聞いた。最後まで、大山さんらしい温かさにあふれていた。

「何よりも自分のことを好きであってほしい。私も20歳くらいの頃、バレーボールをしていない自分には価値がないとか、五輪に行けなかったら何も残らないと思っていた。だから『どんなあなたでも素敵だよ』と伝えてあげたいと思いますし、そう思っていてほしいとも思います。

 もう一つ、私はバレーボールをやってきたおかげで一生の仲間、辛い時、苦しい時にそばにいてくれる仲間ができました。子供にもそんな仲間を作ってもらいたいです。自分を好きでいてくれること、いつもそばにいてくれる仲間がいること。多くは望まないので、その2つだけです」

■大山加奈/THE ANSWERスペシャリスト

 1984年生まれ、東京都出身。小2からバレーボールを始める。成徳学園(現下北沢成徳)中・高を含め、小・中・高すべてで日本一を達成。高3は主将としてインターハイ、国体、春高バレーの3冠を達成した。01年に日本代表初選出され、02年に代表デビュー。卒業後は東レ・アローズに入団し、03年ワールドカップ(W杯)で「パワフルカナ」の愛称がつき、栗原恵との「メグカナ」で人気を集めた。04年アテネ五輪出場後は持病の腰痛で休養と復帰を繰り返し、10年に引退。15年に一般男性と結婚し、昨年妊娠を公表した。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)