ATPカップ出場、“現役最年長ランカー”松井俊英の現地発コラム第3回 男子テニスの国別対抗戦「ATPカップ2021」が2…

ATPカップ出場、“現役最年長ランカー”松井俊英の現地発コラム第3回

 男子テニスの国別対抗戦「ATPカップ2021」が2月1日にオーストラリアで開幕を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う、厳戒態勢で行われる団体戦に日本代表として参戦する42歳で“テニス界現役最年長ランカー”の松井俊英が大会中に「THE ANSWER」で現地発のコラムをスタート。

 第3回の今回は、大会側のシステムダウンで選手の練習予定が急遽中止や変更を余儀無くされるなどトラブルや、オーストラリアの新型コロナ対策の隔離ルールに対して、「公平さ」を求める選手側の訴えについて語ってくれた。

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 やはりコロナ禍で行われる公式戦は一筋縄では行かないようです。オーストラリア入国後、選手は基本2週間隔離になりますが、1日5時間だけトレーニングと食事用の外出が認められています。

 このスケジュールは大会側から前日夜に選手個々に通知されます。コンピューターが管理をしていたのですが、一昨日いきなりシャットダウンになりました。マニュアル管理にシフトになった影響で、午前中にトレーニングが割り当てられていた選手は全員キャンセルに。

 僕は午後4時からのスタート予定でした。スタッフの方が部屋をノックして、練習場のナショナルトレーニングセンターまで移動が20分。そこからオーストリア人選手と2時間コートで練習後、ジムでトレーニング。夕食を取って、ホテルに戻るという予定でしたが、実際に部屋迎えにきたのは5時半でした。

 システムダウンの影響で1時間半遅れです。そこから2時間練習かと思いきや、コートでの練習時間は20分。周りのコートはガラガラでしたが、係員が終了しろということで、ジムに移動となりました。3日ぶりの練習でしたが、怪我をしなくて本当に良かった。昨日もエスコート担当が遅れて、コート上の練習は2時間のはずが、1時間に短縮されてしまいました。大会側はかなりのパニック状態ですね。

オンラインミーティングでは外国人選手が公平さについて主張

 ジムはトレーニング駐車場のスペースに機材を置いて仮設状態。ソーシャルディスタンスはかなり確保されています。ジムの時間に選手とトーナメントディレクターのオンラインミーティングがありました。

 通常は大会側からのブリーフィングで終わるのですが、100人以上の選手が参加していました。外国人選手はそれぞれの主張をしていました。大きなテーマはトレーニング環境の公平さの確保でした。

 ATPカップと全豪オープン、その前哨戦に出場する選手は新型コロナウイルスの感染防止の観点からチャーター便移動が義務付けられています。搭乗3日以内のPCR検査で乗客は全員陰性だったはずですが、何便かのフライトの乗客で感染者が出てしまったことで、大問題になっています。

 僕や西岡選手の乗ったシンガポールからのフライトは異常なしでしたが、錦織選手や女子のアザレンカ選手の搭乗したロサンゼルスからのチャーター便で陽性者がホテルにチェックイン後の検査で出てしまいました。錦織選手ら72選手は自身が陰性にも関わらず、1日5時間の外でのトレーニングを禁じられてしまったのです。

 1日5時間のトレーニングができる選手とできない選手。そして、アデレードに振り分けられた選手とメルボルンの選手の間でもトレーニング状況が異なっている可能性が選手の間で取り沙汰されています。

「フェアであるべき」という主張や、「こんなルール聞いてなかった。聞いていたら来なかった」とブチまける選手もいました。「囚人でも1日2度外に出れるのに、なぜ出られないのか」と訴える女子選手もいました。

 外国人選手はそれぞれ主張しています。錦織選手らハードロックダウン状態で2週間後にいきなり試合に出なければいけない選手に対する措置を、テニス・オーストラリアも働きかけているようです。トーナメントディレクターは「選手からの意見を聞きたい。この状況を改善していきたい」と柔軟な姿勢を見せていますが、ビクトリア州政府の「市民の命を守らなければいけない」という基本姿勢を一貫して代弁しています。オーストラリアの新型コロナの感染者数の少なさはこの辺りの徹底した部分にあるのだろうと感じました。

 システムダウンと感染者の問題で大会側は相当なパニック状態ですが、集中は絶対に切らさずに準備を進めたいと思います。

■松井俊英(まつい・としひで)

 1978年4月19日、千葉県柏市生まれ。42歳。ATPダブルスランキング世界207位。シングルスランキング802位。私立八千代松蔭中学卒業後、カナダ・トロントのノースビュー・ハイツ・セカンダリースクールで単身語学留学を経て、ブリガム・ヤング大ハワイ校卒業。2000年にプロ転向後、06年、10年にデビス杯日本代表に選出。世界46か国以上を転戦し、19年には41歳で現役選手として世界最年長のATPランカーとなった。2年連続でATPカップ日本代表にも選出されるなど実力は健在。オンラインサロンも展開中。(THE ANSWER編集部)