異能がサッカーを面白くする(1)~強シューター編日本代表やセリエAで強烈なロングシュートを決めていた中田英寿 その昔、ヤ…

異能がサッカーを面白くする(1)~強シューター編



日本代表やセリエAで強烈なロングシュートを決めていた中田英寿

 その昔、ヤクルトスワローズの遊撃手だった池山隆寛は、「ぶんぶん丸」と呼ばれていた。バットを思い切り振り回す打撃フォームに由来した異名だ。ゴルフではフルスイングすることを俗に「マン振り」と言う。そしてブライソン・デシャンボーなど実際に飛距離が出る人は、「飛ばし屋」と称される。テニスならば「ビッグサーバー」がいる。220~230キロのスピードを出せるとされるミロシュ・ラオニッチ等が、その代表的な選手になる。

 サッカーで言うならば、強シューターだ。足の甲(インステップ)でどれだけパンチの効いたキックを繰り出せるか。日本人ナンバー1は釜本邦茂さんだろう。引退して35年以上経過するが、釜本さんを越える強シューターは出現していない。この間、右肩上がりの成長を遂げてきた日本サッカーだが、シュート力だけは成長分野から外れていた。

 あえて挙げるなら、次の4人になる。日産自動車、清水エスパルスで活躍した長谷川健太(現FC東京監督)、名古屋グランパスなどで活躍した左利きの元日本代表、平野孝。そして中田英寿と本田圭佑になる。

 中田のキックが光った試合としてまず記憶に残るのは、雨中の一戦となった2001年コンフェデレーションズ杯準決勝オーストラリア戦(6月7日)だ。決勝ゴールとなったFK弾は、濡れたピッチ上を水切りショットのごとく滑るように伸びていった強烈な一撃だった。

 その約1カ月前には、強烈なキックで欧州を震撼させていた。

 デッレ・アルピで行なわれたユベントス対ローマ戦(セリエA第29節)。後半途中からフランチェスコ・トッティに代わって出場した中田が放った2本のミドルシュートだ。1本目はネットを揺るがすゴールとなり、2本目は、ユーベGKエドウィン・ファン・デル・サールにセーブされたものの、ヴィンチェンツォ・モンテッラがプッシュ。中田のこの2発で、ローマはそこまで0-2でリードされていた試合を2-2の引き分けとした。

 ローマとユーベはこの時、優勝を激しく争っていた。勝ち点は63対57。ローマが残り5試合で6ポイント、リードしていたが、0-2のまま終わっていれば、両者の差は勝ち点3。1ゲーム差に詰まっていた。ローマが勝てば優勝に大きく近づき、負ければ優勝争いが混沌とする、まさにこのシーズンの天王山に当たるビッグマッチで、中田の右足は火を噴いた。

 同年3月24日。パリで行なわれた親善試合のフランス戦と言えば、日本代表が0-5で大敗した試合として記憶されるが、中田はフランスゴールに右足のインステップで強シュートを見舞っている。ゴールこそならなかったが、強敵相手に孤軍奮闘した姿は、いまだ脳裏に鮮明だ。

 本田圭佑は右膝を手術するまでは強シュートを武器にしていた。記憶に残るゴールは2つある。

 ひとつはCSKAモスクワに移籍した09-10シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)決勝トーナメント1回戦セビージャ戦だ。ルジニキで行なわれた初戦は1-1。サンチェス・ピスファンで行なわれた第2戦(3月16日)も、後半の途中まで1-1(合計スコア2-2)のイーブンで推移していた。本田の左足が炸裂したのは後半10分。FKからの一撃だった。GKを強襲しながらゴールに吸い込まれていった決勝弾は、強シュートでもあったが球筋がブレでいたことも確かだった。

 本田はその3カ月後に披露したFKでは、山なりの緩いキックでゴールを決めた。見るものをアッと驚かせた2010年南アフリカW杯グループリーグ第3戦デンマーク戦(6月24日)の先制弾である。

 35メートルの超ロングシュートと言えば、それまで強シュートと決まっていた。それが、この頃からブレ球が主流になっていった理由は、ボールの作りの変化と深い関係がある。ボールはより軽くなり、強いて言えばバレーボールに近づいた。その結果、GKにとって脅威となるブレ球が蹴りやすくなった。強シュートの価値は必然的に低下。強シューターが生まれにくくなった原因のひとつと言いたくなる。

 それから10年、ブレ球は必ずしも流行っていない。だからといって強シューターも増えていない。中途半端な状態にある。あえて現代の強シューターを挙げるならクリスティアーノ・ロナウドか。

 かつてはゴロゴロいた。筆者の目に最初に飛び込んできた強シューターは、1970年代に主にリーズ・ユナイテッドのFWとして活躍したピーター・ロリマーだ。『ダイヤモンドサッカー』(テレビ東京系)でお茶の間観戦を通して知った選手だが、何と言ってもパンチ力が抜群だった。「サンダーボルト」の異名をとる、常に右足を大きく振りたがっている、ぶんぶん丸風の選手だった。その初速は90マイル、約145キロと言われた。

 88年の欧州選手権を制したオランダ代表の主力級4人組と言えば、マルコ・ファン・バステン、ルート・フリット、ロナルド・クーマン、フランク・ライカールトを指すが、強シューターはフリットとクーマンだった。

 クーマンの右足が炸裂した試合として記憶されるのは、ウェンブリーで行なわれた1991-92のチャンピオンズカップ決勝だった。バルセロナ対サンプドリア。0-0で迎えた延長後半7分、バルサがFKのチャンスを得ると、クーマンが登場した。そこで目にも止まらぬ高速弾が炸裂した。バルサを初の欧州一に導く劇的な一撃だった。

 フリットは、クーマンの一撃に沈んだサンプドリアに、1993-94と94-95シーズン在籍していた。急傾斜で密閉性の高いそのホームスタジアム、ルイジ・フェッラーリスで、フリットが自慢のドレッドロックヘアを振り乱すように強シュートを放つと、スタンドはズドンという炸裂音とともに震撼した。

 当時のイタリアは、現在とは異なり世界中のスターが結集していた。強シューターの数もそれに応じていた。最も馬力に溢れていたのは、フィオレンティーナのCFとして活躍したガブリエル・バティストゥータ。フリットの炸裂音も凄かったが、バティストゥータも負けず劣らず、だった。

 当時の「ガゼッタ・デッロ・スポルト」紙は1995シーズン当時、初速が140キロ台を示す強シューターはさらに3人いると報じた。

 ローマ、サンプドリア、ラツィオ、インテル等でプレーしたシニシャ・ミハイロビッチ。パルマで1シーズン(1995-96)プレーしたフリスト・ストイチコフ。そして同シーズン、インテルでプレーしたロベルト・カルロスだ。

 想起するのはトゥルノワ・ド・フランス。1998年フランスW杯のプレ大会だ。舞台はスタッド・ジェルラン(リヨン)。1997年6月3日、対フランス戦の出来事である。前半21分、ブラジルが得たFKはゴールまで35メートルあった。そこに登場したのがロベルト・カルロスだ。

 左足で放ったスライス気味のインステップは、向かって右ポストの内側に当たってゴールに飛び込んでいった。針の穴を通すコントロールショットでありながら、おそらく140キロは超えていた。スライスも掛かっていた。こう言ってはなんだが、その場で目撃したことを自慢したくなる一撃だった。

 だが、筆者が実際に目撃したブラジル代表選手でナンバー1の強シューターはロベルト・カルロスかと問われると、ノーと答える。該当者は1994年アメリカW杯で左SBとしてスタメンを飾ったブランコだ。

 その7月9日、ダラスのコットン・ボウルで行なわれた準々決勝対オランダ戦といえば、大会一の名勝負として記憶されるが、2-2で迎えた後半36分、決勝ゴールとなるFKを打ち込んだのがブランコだった。

 そのポスト右隅に吸い込まれるように飛び込んだ左足の一撃は、言い方は悪いが、悪魔的であり殺人的。見ていて恐ろしくなるキックだった。

 筆者はその翌年、ブラジルに渡り、フラメンゴでプレーしていたブランコの、その恐怖の左足キックを再度、拝んでいる。放った場所はハーフウェイライン付近。距離にして50メートルはあった。ズドン! 相手のゴールネットは予想外の一撃に慌てるように激しく揺れた。

 今日のサッカー界に欠けている強シューターという異能の素材。その復活を願わずにはいられない。