進学校で教師を目指していた岩政大樹氏「大学でサッカーを続ける気はなかった」 現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”…
進学校で教師を目指していた岩政大樹氏「大学でサッカーを続ける気はなかった」
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。
離島で生まれ育ったゆえに苦労したことを前編の「不利な環境の乗り越え方」で語ってくれたが、後編は「部活と学業の両立」。離島にある自宅から片道1時間半かけて通った高校時代、入試直前まで部活動に励みながら一般入試で東京学芸大に合格した岩政氏ならではの部活と学業の両立とはどんなものだったのだろうか。
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岩政氏が高校進学の際に選んだのは、県内屈指の進学校であり、山口県でベスト8に入るサッカー部がある県立岩国高校だった。自宅がある周防大島町からは片道約1時間半の距離。「頑張れば通える」と進学を決めた。
山口県は、サッカー自体は盛んではあるものの、Jリーガーを輩出するような、いわゆるサッカー強豪校はない。当時、Jリーガーを本気で目指す人は高校で、鹿児島実業や長崎県の国見、サンフレッチェ広島ユースなど、県外のサッカー強豪校やJリーグクラブのユースチームに進むのが一般的だった。現に、岩政氏の1学年下に当たり、のちに浦和レッズに入団した田中達也は、東京の帝京に進学した。
高校生になり、ようやく県選抜に入れるようになった岩政氏は、当然ながら「Jリーガーになろうとは一切考えていなかった」という。
「大学でも、もともとはサッカーを続ける気はありませんでした。サークルに入って、週に1回ぐらいボールを蹴るのかなと。周りもそういう感じだったし、その頃にはもう将来は教師になろうと決めていたので、高校で順調に勉強ができれば広島大学の教育学部、もしくは、山口大学の教育学部にいこうと思っていたんです。そのどちらも当時のサッカー部は強くなかったこともあって、大学でサッカーを続ける気はなかったんです」
当時の岩政氏の頭のなかに「東京学芸大学」の文字は出てこない。それどころか、サッカーを真剣に続けるのは高校で終わりにしようと考えていた。それが、なぜ東京学芸大学へ進学し、サッカーを続けることになったのか。そこには、不思議な縁ともいえる、2つの理由があった。
“引退”と位置付けた国体を怪我で欠場 不完全燃焼で揺れ動いた気持ち
全国大会に進むレベルではなかった岩国高校サッカー部は、冬の高校サッカー選手権大会の本戦には出られない。そこで「大学までサッカーを続けない僕らにとっては最後の大舞台」と位置付けた10月の国体(国民体育大会)を、岩政氏は選手としての最終目標に掲げた。
「当時の国体は高校3年生が出場する大会だったので、県選抜に選ばれ続けて、国体に出たい! と思っていました。Jリーガーになった今思えば、なんであんなに国体を目指していたのか分からなくなりますけど(笑)。それでも当時は、国体のメンバーに入るということはすごいことだったんです。だからそこを目指して、高校3年間サッカーをやり切るつもりでした。順調に進んで、最後、国体のメンバーに選ばれて……」
しかし、アクシデントが岩政氏を襲う。国体に出発する2日前だった。第五中足骨を骨折し、国体には出られなくなってしまった。「怪我をしてからの数週間の記憶がほとんどない」。そう語るほど、ショックは大きかった。
諦められなかった岩政氏は、国体の2週間後に始まった選手権予選でスパイクのなかでギプスをはめたまま試合に出た。「スタメンで出させてくれ」と懇願したが、さすがにそれは叶わず。「すごく痛かった」が、なんとか最後の10分間に出場した。
サッカー選手としての最後の試合は、選手権予選の2回戦だった。土日で、2回戦と3回戦が組まれており、2回戦で負けたら、翌日に開催される模試を受けなければいけなかった。勝てば、模試には行かなくていい。しかし、チームは2回戦で敗戦。翌日の模試に行かなければいけなくなった。「引退と思っていた区切りが、そういう形で終わって……」。消化不良を抱えたまま、翌日の日曜日、岩政氏は両親の車で模試を受けに岩国高校まで行った。しかし、岩政氏は模試を“初めて”サボった。
「校門をまたいだけど、何を思ったか、模試をサボったんです。人生で一度もサボったことなんてなかったのに。両親にも言っていなかったことですけど、1日中、岩国の町を徘徊して、模試が終わる頃にまた高校に戻ってきたんです」
そして、大学でサッカーを続けることを両親に伝えた。
そこから2週間、岩政家では家族会議が始まった。岩政氏自身も、毎日のように気持ちが揺れ動いたという。別にJリーガーになるわけでもないのに、そこまでして何でわざわざ大学でサッカーを続けるのか。ここまでずっとサッカーをやってきたのに、こんな不完全燃焼のままで終わっていいのか。そんな相反する気持ちが毎日行ったり来たりしていた。
最終的には、「サッカーをもう一回、本気でやってみたい」「国体で味わうはずだった全国を味わわずにやめることはできない」と急遽、11月に進路を変更した。
導かれるように広島大学から志望変更した理由とは
新しく決めた進路は、東京学芸大学だった。同じ国体メンバーだった選手がチームメートに話していた「筑波大学を受験するけど、ダメだったら、東京学芸大学を受ける」という会話がずっと引っかかっていた岩政氏は、山口に戻ると東京学芸大について調べた。すると、志望校に決めていた広島大と偏差値がほぼ同じ。しかも、広島大の2次試験の受験科目が英語と数学なのに対して、学芸大は数学のみ。「めっちゃラクやん」。そう考えた岩政氏をさらに後押ししたのは、学芸大のサッカー部が関東1部リーグにいたことだった。
「筑波も考えたけど、当時の僕は無名だったので、仮に筑波に行っても試合には出られないだろうなと。その分、学芸大は募集人数自体が少ないので、無名の僕にもチャンスがあるんじゃないかって思ったんです。そういうのをいろいろ考えると、これはもう行くべきだと言われているんじゃないかと」
岩政氏は何かに導かれるように東京学芸大学を受験し、見事合格した。
とはいえ、11月までサッカーに打ち込んでいた部活生が、どうやって国立大学に、しかも一般入試で合格できたのだろうか。「特別、受験勉強らしいことはしていなかった」と口にする岩政氏が当時やっていた勉強法は、現役時代に理路整然と守備戦術を語っていた彼らしい、目標から逆算した実にロジカルな方法だった。
「実は僕、高校は普通科に入学したんですけど、2年生の時に理数科に転科するという事件を起こしたんです(笑)」。岩国の理数科は偏差値が高く、普通科の生徒にとっては「違う集団」という感覚だった。1学年9クラスあるなかで、理数科は1クラスだけ。3年間同じクラスの、1年をすでに過ぎているクラスに途中から入る生徒は誰もいなかった。
「3年の国体を目指すと、11月まで選手権予選がある。他のみんなは6月のインターハイ予選で引退するのが一般的だったけど、僕は1人だけ11月までやると決めていた。となると、勉強をどうするか。理数科は普通科と比べて勉強の進み具合が半年早い。3年の半年間を理数科に入ることで、補えるんじゃないか」
岩政氏の目論見は的中した。理数科へ転科したことで、2年生の段階で3年生までの授業は終わることになる。ただし逆に言えば、理数科では終わっているが、普通科では終わっていない箇所がある。そこについては独学で勉強した。おかげで、3年生になって「慌てて受験勉強をした記憶はなかった」。
とはいえ、授業の進みを早めただけで合格できるほど、国立大受験は甘くはない。さらに岩政氏は、自宅のある離島から片道1時間半、往復3時間かけて通学していた。居残り練習もせず、電車に飛び乗り、島の最寄駅で両親の迎えの車に乗って自宅に戻ると、すでに夜の8時を過ぎていた。本気でサッカーに打ち込んで帰宅し、ご飯を食べて、勉強するなんて、「これは無理だな」とすぐに理解した。
毎日の行き帰りで予習復習をして、テスト勉強は2週間前から計画的に
そこで考えたのが、電車の移動時間を勉強に充てることだった。行きの電車では、その日ある授業の教科書を読み、帰りの電車では、その日の授業で書き写したノートを確認する。宿題が出ると、「休み時間に全部終わらせた」という。
「要は予習復習ですよね。そうやってコツコツやっておくと、授業の入りが全然違うわけです。予習をしないで授業に入ると難しくて全然分からなかったけど、内容は理解できなくてもいいので、授業の前に教科書に目を通しておく。そうすると、先生が授業で説明してくれるので理解しやすいんです。それだけやっておいて、あとはテスト前に集中して落とし込むという感じでした」
テスト勉強は2週間前に始まる。まずは計画表を作成する。2週間でやらないといけないことを洗い出し、そこからいつ何を勉強するか、はめ込んでいく。実は2週間あれば、1日にやらないといけないことはそんなに多くはない。そのため岩政氏は「毎日夜の11時ぐらいには寝ていたし、遅くまで勉強を必死にやった、という日は一日もなかったですね」と振り返る。
岩政氏の勝因は、自分の実力を見定めて、早めに目標を決めて、そこに向けて計画的に努力したことだ。「高校に入ると、目標値も分かってくるし、模試を受けることで自分のレベルも分かってきた。だからバリバリひたすら勉強しなくても、予習復習で頭に入れて、センター試験で規定の点数を取れるレベルに到達できるように勉強していた」。
というのも、当時の岩政氏の中心にあったのがサッカーだったからだ。「とにかく勉強を部活とどう両立させるか」という考えのもと、サッカーをするために必要なもの、やらなきゃいけないものをやる。そこに離島という不利な条件も相まって、「他の人と同じにはできない。だから3年間回せる方法でやらないといけなかった」という考えに至った。
生粋のセンターバックは、リスク管理も完璧だった。どんなに綿密に計画を立てていても、イレギュラーが発生し、計画が崩れてしまうことがある。しかし岩政氏は「もちろんその日は設けています」と軽くかわした。
「できない日があることは想定していたので、だいたい金曜日にその日を設けていました。その週にできなかったもの、終わらなかったものを“移す日”。逆に言えば、木曜日までにきちんとできていれば、金曜日は遊び放題なんです。だからそれをモチベーションにやっていたところもあります(笑)。この“移す日”を設けてからは、気持ちもラクになって、スムーズに勉強できるようになっていきましたね」
部活と学業の両立は、スポーツに打ち込む学生にとって、避けては通れない課題だ。しかし、岩政氏は言う。「両立って、できるかできないで語る人が多いですが、僕はそのレベルではないと思っています。高校生までは『やります』と決めれば、できるんです。要は、やるか、やらないか、なんですよ」。
人生は、選択の連続。自分で選択してきたからこそ、今がある。「両立したほうが、人生はトクですよ」。人生の先輩は、そう誘い掛ける。やるか、やらないか――。さあ、アナタはどっちを選びますか。
■岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日、山口県生まれ。山口県立岩国高校を卒業後、一般入試で東京学芸大学に入学。大学卒業後に鹿島アントラーズに加入した。プロ1年目からセンターバックとして出場を重ね、シーズン後半にはスタメンに定着。在籍した10年間で、リーグ優勝(3回)、Jリーグカップ優勝(2回)、天皇杯優勝(2回)、ゼロックススーパーカップ優勝(2回)など“常勝軍団”の一員として活躍した。その後、タイリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て、2018年に現役を引退。現在は上武大学サッカー部監督として指導者の道を歩み始めている。(THE ANSWER編集部)