全日本選手権後のアイスショーでアンコールのSP演技を披露する羽生結弦 新型コロナウイルス感染拡大を受け、羽生結弦は感染リスクを考慮し、グランプリ(GP)シリーズの欠場を決めた。自身の行動を自粛することで、ファンやメディア、関係者らが移動に伴…



全日本選手権後のアイスショーでアンコールのSP演技を披露する羽生結弦

 新型コロナウイルス感染拡大を受け、羽生結弦は感染リスクを考慮し、グランプリ(GP)シリーズの欠場を決めた。自身の行動を自粛することで、ファンやメディア、関係者らが移動に伴う感染のリスクを減らしたいという配慮もあった。

 そうした中、出場を決めた12月25〜27日の全日本フィギュアスケート選手権。だが、感染の第3波の中での開催となり、「自分が出てもいいのか」との葛藤があったと、競技前日の公開練習後に吐露していた。そして、5年ぶりの優勝を果たした後も、その思いは消え去っていないと話した。

「僕の望みはとても個人的なことなので、貫いてよかったのかとの葛藤は今でもあります。ただ、自分としては、もし(来年3月の)世界選手権が開催されるのであれば、(大会に向けて)近づいておかなければ今後が難しいという思いがすごくあった。コロナ禍の暗い世の中でも、自分自身がつかみ取りたい"光"に手を伸ばしたという感じです」

 開催されることになれば、世界選手権で2022年北京五輪の国別出場枠が決まる。そうした大切な大会への出場権を争う全日本選手権に、日本男子フィギュアを牽引する者の責務として参加した面もあったのかもしれない。

 外出自粛時期には、これまでにないほど精神的に落ち込むことがあったという。コロナ感染を避けるために国内に残り、細心の注意を払いながら練習や生活をする状況。自分の指導のためにカナダからコーチに来日を依頼するべきではないと考え、コーチ不在のリスクを承知しながらも、ひとりで練習することを選んだ。



「少しでも心が温まれば」と演技する羽生

「前のシーズンに宇野昌磨選手がひとりでGPシリーズを戦っていた姿を見て、コーチがいない難しさは感じていました。また、自分自身もファイナルでコーチがトラブルで同行できず、ショートプログラム(SP)をひとりでやってうまくいかなかった経験もありました。これだけの長い期間をひとりでやるという中で、迷いや悩みもすごくありました」

 羽生は「精神的にはどん底まで落ち込んだ時期もあった」と振り返る。4回転アクセルの練習の衝撃で足に痛みが出て、他のジャンプもどんどん崩れた。トリプルアクセルさえ跳べない時期もあり、「これからどんどん技術が落ちていくのだろうか」との思いがよぎり、負のスパイラルに陥ったという。

「自分がやっていることがすごく無駄に思える時期が長かった。トレーニングや練習の方向を考えるだけでなく、新しいプログラムの振り付けも考えなければいけなかったり、自分で自分をプロデュースしていかなければいけないプレッシャーもありました。応援してくれる人たちの期待に、本当に応えられるのか。そもそも自分は4回転アクセルを跳べるのかと......。

 それに、入ってくる情報では他の選手が皆すごくうまくなっているようだったので、自分ひとりが取り残され、ただ暗闇に落ちていくような感覚になった時もありました。『ひとりは嫌だな』『疲れたな』『もうやめようか』とも思ったりして。

 でも、エキシビションの『春よ、来い』と、ノービス時代の『ロシアより愛をこめて』を滑った時に、『やっぱりスケートが好きなんだな』と思ったんです。スケートじゃないと自分はすべての感情を出し切ることができないな、と。だったらもうちょっとわがままになって、誰かのためではなく自分のためにも競技を続けてもいいのかな、という気持ちになれた。そこでちょっと前に踏み出せました」

 その後、カナダのコーチに連絡を取る余裕もでき、周囲の状況も見えるようになってきたが、制限のある環境で練習する苦しさ、難しさもあった。それでも、コロナ禍で寝る暇もなく頑張る医療従事者らや失業や減収で生活が苦しい人たちがいることを思うと、自分の苦しみの小ささを感じ、悩むよりも自分のできることを考えた。

「今、スケートができること自体、本当に恵まれていることなんだなと思いました。苦しかったかもしれないけど、こういう状況だからこそ、自分の演技が明日までではなくてもいいから、その時だけでも、演技が終わった後の1秒だけでもいいから、見ている人たちの生きる活力に少しでもなったらいいなと思いました」

 アスリートが何かできるとしたら、競技する姿、戦う姿を見せることではないか。そうした思いを持って出場した全日本選手権だったからこそ、羽生の姿には「決意」のようなものが感じられた。

 首位発進したSPは、認定されなかったスピンではなく、GOE(出来栄え点)加点を取っていたジャンプの内容に納得していなかった。羽生が厳しい自己評価をすることはこれまでにもよくあったが、今大会は今まで以上の厳しさを漂わせていた。

 SPの『レット・ミー・エンターテイン・ユー』は「すべてを見どころにしたいと考えた」と羽生が話すように、持っている技術を要素以外のつなぎにも詰め込み、途切れることなく演じ切り、観客とも一体になろうとするプログラムだ。フリーの『天と地と』では、戦国武将・上杉謙信が抱いた、戦いの中での葛藤を自らとリンクさせ、羽生の今の心象風景を緊張感の中で見せようとした。

 葛藤の末に出場を決めた全日本ゆえに、そして、このような世の中だからこそ完ぺきな演技を見せたいという強い決意を感じた。自分の演技を観てくれる人たちが笑顔になる瞬間を少しでも増やしたい、という気持ちがプログラム全体に表われていた。

 12月28日のメダリスト・オン・アイスで、羽生は一歩踏み出すきっかけになった『春よ、来い』を滑った。彼自身が『天と地のレクイエム』とともに、自分らしさや自分の色を出せていると説明していたプログラムだ。演技後の場内インタビューで羽生は「(『春よ、来い』は)この時期にピッタリというか、何よりもこの世の中に一番伝えたいメッセージだったので。少しでも(観客の)心が温まるように演技をしました」と話した。

 いつかは春が来る。

 その時へ向けて、しっかりと一歩を踏み出したいという、羽生結弦の強い意志を感じさせる全日本選手権の3本のプログラムだった。