元プロ野球選手が高校生を指導する現場に立ち会ったことがある。 元プロ選手の実技と言葉に目を輝かせて見入る高校球児たち。…
元プロ野球選手が高校生を指導する現場に立ち会ったことがある。
元プロ選手の実技と言葉に目を輝かせて見入る高校球児たち。それは映画『フィールド・オブ・ドリームス』のワンシーンのような、ほんのりと胸が温まる光景だった。
今年12月、イチロー氏(シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が智辯和歌山の野球部を3日間指導したことが話題になった。現在もトレーニングを欠かさず本質的には「現役選手」であるイチロー氏の動き一つひとつが、智辯和歌山の選手たちにとって大きな学びになったに違いない。

智辯和歌山での指導を終えたイチロー氏(写真右)と同校監督の中谷仁氏
プロ・アマの関係は雪解けが進んでいるといっても、いまだプロ球団に在籍している人間は高校球児に指導ができない状態が続いている。現在もマリナーズに在籍しているイチロー氏はその功績が考慮され、特例としてオフシーズンの間だけ高校生への指導が認められた。
プロ・アマの完全な雪解けのカギを握る存在こそ、両者の実情を知る元プロの監督だ。現在、多くの元プロ指導者が高校球界で後進の指導にあたっている。
イチロー氏が指導した智辯和歌山の中谷仁監督も、元プロ指導者である。
1997年のドラフト会議で阪神に1位指名された中谷監督だが、不幸にも目を故障したこともあり華々しい活躍はできなかった。それでもひたむきな人間性は誰からも評価され、15年の現役生活を送った。
2017年からは智辯和歌山のコーチに就任。それ以来、往時の勢いを失っていた同校は息を吹き返した。2018年春にはセンバツ準優勝するなど、再び全国トップクラスの実力校に。2018年夏の選手権終了後には、恩師である高嶋仁監督の後を継いで中谷監督が就任した。
智辯和歌山といえば、高嶋監督時代は打撃力を重視した野球が特徴だった。中谷監督は恩師の魂を受け継ぎつつ、捕手らしい緻密さをミックスさせた。
中学時代には遊撃手だった東妻純平(現DeNA)の強肩を見込んで捕手転向を提案し、心得を叩き込んでいる。東妻は高校時代、このように語っていた。
「中谷監督からは『ピッチャーを立てるのがおまえの仕事だ』と言われています。主役はピッチャーだと。最初は自分の結果ばかりが気になって、ピッチャーにも厳しく言ってしまっていたんですけど、それではかえって(萎縮して)投げてくれないことに気づきました。周りが見えるようになって、ピッチャーのよさを引き出せるようになってきたと思います」
現在チームには高校屈指のスラッガー・徳丸天晴、思い切りのいいスイングが魅力の渡部海(1年)、投手には安定感のある中西聖輝と役者が揃う。中谷監督が甲子園で胴上げされる日も近いかもしれない。
2017年夏の甲子園は、ベスト4に進出した4校のうち2校が元プロ監督だった。東海大菅生(西東京)の若林弘泰監督と天理(奈良)の中村良二監督である。
若林監督は苦労人として知られる。現役時代は投手として中日に入団したものの、故障に泣き31歳で退団。サラリーマン生活を経て、37歳にして教員免許を取得するため大学へ通った。東海大菅生に赴任した当時は元プロ指導者に対する規定があったため、2年間は野球部の指導ができなかった。
元プロ野球選手が教員として野球部を指導する場合でも、かつては教員として10年勤めなければ指導できないという極めて厳しいルールが存在した。その期間は10年から5年、2年と徐々に縮まり、2013年には大幅に改定。元プロ選手が3日間の研修会を受講すれば、たとえ教員でなくても指導者資格が回復できるようになったのだ。若林監督は規定が緩和される前の、雌伏の時期を経験している。
2009年に晴れて東海大菅生の監督に就任して以来、若林監督は毎年安定して甲子園を狙えるチームに仕上げている。
高橋優貴(巨人)らを輩出したように投手育成に定評がある一方、ノックの名手でもある。練習中には厳しい声かけをしながら選手の闘争心を引き出していく。
今夏の独自大会では3年生主体でチームを構成するチームが目立つなか、東海大菅生は下級生を含めたベストメンバーで臨んだ。その背景には、ただ実力至上主義というだけではない、若林監督の愛情があった。
「ウチはまったく例年どおりやっています。お情けでベンチに入れるのはどうなのかなと思っているので。3年生の甲子園はなくなりましたが、それは1、2年生にとっても1回なくなったのは同じこと。ただ、ベンチ入りメンバーの入れ替えはできるので、試合展開によってはあまり出番のなかった3年生も使おうと思います。それは例年もやっていることですから」
今秋の東京都大会では優勝を飾り、来春のセンバツ出場を確実にしている。1年生には将来性抜群の大型右腕・鈴木泰成もおり、若林監督のもとどこまでスケールアップできるか楽しみだ。
天理の中村監督は高校時代に主将として全国制覇に導き、ドラフト2位で近鉄に入団している。珍しい左投右打の強打者として知られ、ウエスタン・リーグでは通算110本塁打を放つなど活躍した。だが、11年間の現役生活で一軍では1本もホームランを打つことができず、引退している。
その後は藤井寺リトルシニア、天理大の監督などを経て、2015年から母校の監督に就任。2017年には有望選手が集まりながら全国の舞台で結果を残せずにいた天理を、27年ぶりに甲子園ベスト4へと導いた。
選手個々の持ち味を引き出す手法は、プロで苦労した経験が生きているのだろう。今秋の近畿大会は準々決勝で大阪桐蔭に大差で敗れ、来春のセンバツ出場は微妙な情勢。それでも来年のドラフトの目玉になりうる大器・達孝太を擁するだけに、天理から目が離せない。
チームを甲子園へと導いた元プロ監督は他にもいる。今春に鹿児島城西を初の甲子園(大会は中止となり、今夏に選抜交流試合が開催)へと導いた佐々木誠監督。自身も甲子園準優勝投手で、早鞆(山口)を甲子園に導いた大越基監督など。
来春に甲子園に登場する可能性があるのは、矢上(島根)の山本翔監督である。
福岡の伝統校・東筑から2001年ドラフト5巡目で広島に進んだものの、一軍出場のないまま2010年に退団。2013年から2年間は広島経済大の監督を務めた。
2017年からは過疎化に悩む邑南町(おおなんちょう)からの依頼を受け、矢上の指導にあたっている。矢上に限らず、島根県の郡部は地元の生徒が減少しているため、国内留学制度「しまね留学」で県外から寮生を募っている。
矢上は隣県・広島からの越境入学生も多く、地域の厚い支援を受けて2019年秋には島根県大会で優勝。今秋も県大会ベスト4に進出して中国大会に出場している。その実績が評価され、来春センバツの21世紀枠の中国地区推薦校に選ばれた。
もし出場校に選ばれれば、あらためて山本監督の手腕と、元プロの高校野球監督が地域社会にもたらす影響力がクローズアップされるだろう。
高校野球界には最新のトレーニング理論や技術論を学んでいる、勤勉な指導者も多い。だが、プロの世界でユニホームを着て、野球を生業として生活した体感は経験した者にしか語れない。
最高峰の技術と経験を持つ者が、高みを目指す若者を教える行為が悪いことであるはずがない。スカウト行為につながる禁止事項を設けるなど細かなルールづくりは必要ながら、イチロー氏の指導が「特例」とならない状態こそプロ・アマ間の正常な関係といえるのではないだろうか。
高校球界での元プロ監督の活躍は、そんな正常な関係を取り戻すための大いなる前進と言えるかもしれない。