その外見から会うまで怖い印象だった。だが取材場所に現れた彼は、屈託のない笑顔でジョークを交えながら優しく質問に答えてくれた。2AW所属のプロレスラー・タンク永井選手。前編は彼の生い立ちについて。 --永井選手がプロレスに興味を持ったのは…
その外見から会うまで怖い印象だった。だが取材場所に現れた彼は、屈託のない笑顔でジョークを交えながら優しく質問に答えてくれた。2AW所属のプロレスラー・タンク永井選手。前編は彼の生い立ちについて。
--永井選手がプロレスに興味を持ったのは、いつごろですか?
タンク永井(以下、永井):僕がプロレスに興味を持ったのは中学生の頃ですね。友達で勧められて、深夜の新日本プロレスを観たのが始まりです。1999年頃で闘魂三銃士が活躍していました。今年、新日本が明治神宮野球場で野外大会を行いましたが、21年前の神宮大会を学生時代に観戦してますね。
当時、佐々木健介さんが好きでした。友達と試合会場の駐車場で騒いでいたら、長州さんにメチャクチャ怒られた記憶がありますね(笑)。橋本真也さんが新日を離れ設立したZERO1も、よく観に行きました。
僕は千葉出身、今は老朽化で試合が行われませんが、地元の千葉公園体育館によく行っていた記憶があります。
--中学生の頃からプロレスラーは目指していたのですか?
永井:目指していなかったですね。当時はガリガリで、身長も小さくクラスで前から2番目。
学校でプロレスごっこはしてましたけど、プロレスラーになるという頭はなかったですね。
--小さい頃、なにかスポーツしていましたか?
永井:中学の時、サッカー部。サッカーグラウンドの空いた場所でプロレスしてましたね(笑)。そして高校で柔道を始めました。闘魂三銃士に憧れていましたから。武藤敬司選手と橋本真也さんは柔道がベース、その影響も大きいですね。
--でも大学では柔道ではなく…
永井:大学時代はアメフトをやりました。その頃、ボブサップさんに憧れていたので。テレビで観て「ボブサップ、メチャクチャ強い!だったらアメフトやればメチャクチャ強くなれる」と思ってアメフトです(笑)。
当時、東京農業大学のオホーツクキャンパスで北海道に住んでいて、アメフトの試合後は身体中怪我で動けなかったです。複雑骨折やむち打ちとか当たり前でしたね。
ただ、そこで身体は頑丈になりましたね。高校入学時に55kg、高校卒業時に70kg。大学で82,3kgに増えました。
--その頃、将来プロレスラーになろうと思っていましたか?
永井:大学の場所が網走だったので、ほとんどプロレス観戦してなかったんですよ。ただ大学4年生になり将来を真剣に考えた時、レスラーになろうと。
大学卒業後、千葉に戻りスポーツジムで働きながら、全日本プロレスの入門テストを受けたけどダメでした。そこで「まだまだ自分は鍛えが足りない」と思い、自衛隊に入隊しました。
--自衛隊は、入隊中に様々な資格を取得することができますよね。
永井:そうなんですよ。ただ2年間で辞めてレスラーになる予定だったので資格取得しなかったですね。
--もったいないですね。
永井:教官に「大型免許どうする?」と誘われたのに全部断ってしまいました。今考えると後悔しています(笑)。その後、2年を過ぎる前に新日本プロレスの入門試験があり合格し、入門しました。
--その件でタイチ選手とSNS上でやりとりがありましたよね?
永井:以前ありましたね(笑)。新日本には練習生として1ヶ月半いました。メチャクチャ厳しくて、ある日山本小鉄さんに説教されて心が折れて辞めてしまいました。今思うと小鉄さんの言葉も、「それでも這い上がってこないとレスラーとして通じないぞ」と愛情だったんです。でもあの頃の僕は理解出来なかったですね。
--そのあとは、どうしたのですか?
永井:(少し沈黙があり)半年くらい、引きこもってました。
--えっ(笑)
永井:自分で何をしたいか分からなったんですよ。ずっとやりたかったプロレスの世界に入った。でも、それで挫折して。実家の部屋に引きこもっていました。
--その半年は部屋で何をしていたんですか?
永井:本を読んでましたね。東野圭吾さんとか。メチャクチャ面白いじゃないですか。時間があるので真夜中、ずっと(笑)
ダメなのは分かっていたんですけど、なかなか前に進めませんでした。引きこもりしつつ、友達と飲みには行っていたんです。
--引きこもってないじゃないですか(笑)。
永井:そうですね。「ただ仕事をしていない人」でした(笑)。
引きこもって半年経つ頃、「このままではダメだ」と思い、近所のハローワークに行き仕事先を探しました。そして映像制作の会社に就職しました。テレビ番組とかの制作会社ではなく、結婚式とか子供の発表会の撮影をしてDVDにするとか。カメラ持って撮影し編集作業まで一通りこなしましたね。
--どのくらい勤めていたんですか?
永井:1年くらいですね。当時26歳で、制作の仕事をしていると時間が過ぎるのが早かったんです。このまま流されるように仕事して過ごしているのかと。でもやっぱりそういう生活は自分に合いませんでした。
ある時「もし好きなプロレスをやるなら、ここしかない!」と思い、ダメ元でKAIENTAI DOJOの門を叩き、テストに合格して入門しました。
<後編につづく>
<インフォメーション>
2AW、12月28日「GRAND SLAM in 後楽園ホール」
タンク永井選手はCIMA率いる#STRONGHEARTSのメンバーと6人タッグマッチで激突。詳細は2AWウェブサイトをご確認ください→https://www.2aw.jp
タンク永井Twitter→https://twitter.com/tank_nagai
タンク永井ブログ→タンク永井は不完全燃焼防止装置付→https://ameblo.jp/tanknagai/
取材・本文・写真/大楽聡詞
写真提供/2AW
撮影協力/牛バル こじまや 千葉店