1960年ローマ大会から世界最高峰のスポーツの祭典として歴史を紡いできた「パラリンピック」。来年には同一都市として世界で初めて2度目となる東京大会が開催される。そこで世界トップのパフォーマンスで魅了してきた名選手&名勝負にスポットを当て、パ…

1960年ローマ大会から世界最高峰のスポーツの祭典として歴史を紡いできた「パラリンピック」。来年には同一都市として世界で初めて2度目となる東京大会が開催される。そこで世界トップのパフォーマンスで魅了してきた名選手&名勝負にスポットを当て、パラリンピックの魅力に迫る。

Vol.4/エレノア・シモンズ Eleanor Simmonds(イギリス)
【競泳(S6)/1994年11月11日生まれ】

13歳、衝撃のパラデビューから君臨し続ける世界トップの座

3大会連続でパラリンピックに出場し、金メダル5個を含む8個のメダルを獲得しているエレノア・シモンズは、今や世界を代表するパラスイマーだ。「軟骨無形成症」という先天性の障がいがあるシモンズが水泳を始めたのは、5歳の時。8歳の時には健常者と競い合うようになるほどのパフォーマンスを見せていた。すると、10歳の時に出場したパラ水泳の大会でその才能を見出され、パラリンピックを目指すエリートプログラムへの参加を促された。そして2006年、12歳の時には世界選手権の代表メンバーに抜擢され、国際大会デビューを果たす。

彼女が一躍“時の人”となったのは、08年北京。イギリス史上2番目に若い13歳で初出場を果たしたシモンズは、ダイナミックなストロークを強みに100mと400mの自由形で二冠を達成。400mでは世界記録を7秒以上も更新した。その年、BBCの「ヤング・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー」に輝くと、翌09年には史上最年少の14歳で「大英帝国勲章」を受賞した。自国開催のパラリンピック(12年ロンドン)をひかえていたこともあり、メディアの露出が増えたシモンズは、愛嬌のある笑顔がトレードマークとなり、国民から愛されるアスリートの一人となった。

その年、ヨーロッパの大会で5個の金メダルを獲得したシモンズは、翌10年世界選手権で金4、銀1、銅1のメダルを獲得するなど、その後も飛ぶ鳥落とす勢いで活躍し続けた。17歳で迎えた12年ロンドンパラリンピックでは、ロンドンの街の至る所に彼女のポスターが貼られるなど、最も注目のアスリートとして国民の期待を背負った。計り知れないほどのプレッシャーがあったことは想像に難くなかったが、“負けず嫌い”を自称する彼女は、その期待に見事に応えた。400m自由形と200m個人メドレーでは、いずれも世界新記録で金メダルを獲得。そのほか100m自由形では銀、50m自由形では銅メダルを獲得し、大観衆を沸かせた。

3度目のパラリンピックとなった16年リオでは、200m個人メドレーで同クラスの女子では初めて3分を切る2分59秒81の世界新をマークして金メダルに輝いた。

引退の危機を乗り越え、再び目指す世界の頂

しかしリオ後は、モチベーションを維持するのに苦労し、一時は引退も考えていた。当時について「夢を実現し、もう目的はなかった。プールに戻りたいとは思っていなかった。自分がどうしたいのか、気持ちを整理する時間が必要だった」と語っている。その後、アジアやオーストラリア、アメリカと海外旅行に出かけるなどして休養した後、17年12月に練習を再開した。

ふだんのトレーニングについて、コロナ禍の前の今年1月のインタビューでは、こう答えている。

「私は週に9回、水中トレーニングをし、そのほかジムとヨガをしています。月曜日なら、朝6時から8時に泳ぎ、9時から10時半までジムでトレーニングをします。11時くらいに一度自宅に戻って昼食をとって、午後は3時半から5時半までまた泳ぎます」

4度目となる東京パラリンピックで競技人生の終止符を打ち、その後は小学校の先生になることを望んでいるというシモンズ。イギリスの国民的ヒロインは、2021年に最高のフィナーレを迎えるつもりだ。