「我々はチキ(・ベギリスタイン)とクライフが提案した4-2-1-3から、ライカールトが好んだ4-3-3へと練習を重ねてき…

「我々はチキ(・ベギリスタイン)とクライフが提案した4-2-1-3から、ライカールトが好んだ4-3-3へと練習を重ねてきた」
このフレーズは代39代FCバルセロナ会長、サンドロ・ロセイのものだ。彼は著書『現実世界へようこそ』の中でそう言っているが、もしそれが本当だとしたら、彼は何度繰り返しても二度と議論されることのない、いくつかの絶対的な真実や結論に疑問を投げかけている。
バルサでは、ダブルボランチは常に非常に悪い味方をされてきた。もしそうでなければ、今すぐにクーマン、あるいは(故ボビー・)ロブソンに質問してみると良い。それがグアルディオラ率いるシティの資産となったことは、嫌々ながらの偶然である。実際、バルサの何人かの監督は4-2-3--1に頼ってきたが、最高のエピソードは4-3-3と共に綴られている。
■ライカールト、ダーヴィッツとチャビの飛躍でスイッチオン
ライカールトは、ウイングなしの4-4-2を起用していた(ラドミル・)アンティッチのチームを引き継ぎ、4-2-3-1のシステムを起用。その時のチームはロナウジーニョがいたにもかかわらず、成績の降下ととともにスタートした。
しかし、ダーヴィッツの移籍は驚くべき影響をもたらした意外なキーとなった。そしてライカールトの加入で、チームは4-3-3のシステムで再編成された。その変化は、現在と未来にとって極めて重要なものとなった。特にチャビはダブルボランチの位置から、インサイドハーフとして数メートル前にポジションを移したことで、自分の居場所を見つけたからだ。
そこから彼はチームのコンパスとなり、偉大なプレイメーカーとなった。ロナウジーニョは、より多くのスペースを見つていた偽ウイングとしてプレーするようになった。そしてダーヴィッツはチームにアグレッシブさとバランスをプラスした。数ヶ月後、予期せぬことだったがレンタル終了となりオランダ人MFはチームを去ることになる。ただ、それでもチームのはすでにスイッチが入っていた。
■グアルディオラ、システムによるポジショナルプレー
グアルディオラは、最初のプレシーズンでメッシのトレーニングを見たとき、彼らが歴史を作るだろうことはわかっていたと話す。そして、彼らは確かに歴史を作って見せた。ペップは継続して4-3-3を起用したが、スタイルを進化させた。システムの変更があったが、ポジショナルプレーは共通点だった。
忘れることのできない右サイドでのアウベス、チャビ、そしてメッシの間で生まれる化学反応に世界が魅了され、彼らの最高のインスピレーションの中にペップはバルサを築いた。ブスケツのワンボランチ、異なる高さでプレーする2枚のインサイドハーフのチャビとイニエスタと共に構築される4-3-3だった。
グアルディオラの大きな貢献の一つは、メッシをウイングから、偽9番へとポジシィンを変更したことだった。メッシのポジションが変わったことだ。それは中盤のバルサ、FWを置かない3-7-0という彼の極端な戦術の提案である。しかし、常に新しい色合いを加えようとすることで、ペップはセスクに合うよう3-4-3に頼ってしまう。選手と監督、お互いの失望だった。
■ティト、チームの色合いを引き継ぐ
メッシ、セスク、ピケの有名なジュニアユース時代の監督だったティト・ビラノバは、セスクの最高のパフォーマンスを取り戻そうとした。そして、それを実現させる。そのために、多くの試合で4-3-3から4-2-2-2へと変更。セスクとメッシをサイドに開きペドロやアレクシス(・サンチェス)のような選手の後ろに配置。そしてブスケツとチャビがダブルボランチを形成。ティトは4-2-3-1にも頼っていた。
監督の病によって記憶されたシーズンの中で、チームはチャンピオンズリーグで敗退。何かペップのバルサとは違い少し垂直なバルサだが、それが偉大なメッシの惰性を維持し、ラ・リーガを支配する。
■タタ・マルティーノ、自分自身のものではない代償
タタ・マルティーノのバルサは、オリジナル版の悲しいコピーのようなものだった。史上最高のバルサの波に乗ろうとしたアルゼンチン人監督だったが、波はそのバルサを先に連れ去ってしまった。マルティーノは惰性を保って、できるだけ触れないようにした。
そのシーズンはメッシとネイマールをどう共存させるかという問題があった。監督はクラシックな4-3-3には変更を加えず、プレスを取り戻すことが必要だった。彼がバルサで指揮をとっている間は、ダイナミズムを求めていること、そしてライバルたちにインテンシティで負けない事を繰り返し口にした。
マルティーノはどちらも得ることはできなかった、一度も彼のチームとは何かを見せたことはなかったし、マルティーノは自分を失望させた時の苦い思いを今でも覚えている。
■ルイス・エンリケ、ストライカーのバルサ
ルイス・エンリケは、中盤のバルサから、ストライカーのバルサへとパラダイムの変化をもたらした。チャビとイニエスタで私たちをお腹いっぱいにすることから、メッシ、スアレス、ネイマールのトライアングルについて話がやまなくなるまでに変化をもたらした。
ルイス・エンリケの最高のシーズンは、4-3-3と共にメッシが右ウイングに復帰したことで、ライカールトの時代から当時に至るまで起きなかったことだ。実際、あれはスアレスとメッシの試合中の会話の中から生まれたものだった。彼らはポジションを変え、多くの結果を得た。
グアルディオラのように、ルイス・エンリケも進化するチームを望んでいるし、パリでの大惨事の後、彼は3-4-3に頼っている。チームを復活させたシステムだが、被害者の一人であるジョルディ・アルバのような選手たちとの間で緊張感が生まれた。選手が疲労困憊の時は、守備時に4-4-2を敷く可変型の4-3-3に頼った。
■バルベルデ、プラグマティズム(実用主義)の問題
バルベルデが最初に出くわす問題は、ネイマールの放出である。そして、この監督は現実的な視点から問題を解決しようとする。4-4-2でコンパクトに、そして引いて守る。前線にはメッシと共に試合を決めるスアレスを置いた。こうして彼はスーパーカップのマドリー戦で崩れそうに見えたバルサをなんとか復活させた。彼はシーズン中盤にコウチーニョを獲得するまでこのようにチームを指揮し、後のデンベレの復帰によって4-3-3に戻した。
しかし、そのシステムを起用しても4-4-2に近づけるようなニュアンスで指揮している。特にアウェイの試合で、パウリーニョやアルトゥーロ・ビダルのようなスタイルを持っている選手起用を好んだ。
■セティエン、夢から悪夢へ
キケ・セティエンは本質の復活を宣言してバルサへやってきて、クラブを告発して去っていった。セティエンは少年のような熱い意気込みと共にやってきたが、それは長くは続かなかった。
選手たちとの間に大きな距離があることに気づくのに時間を使った。彼の3-5-2のシステムから選手たちが求めていた4-3-3へ変更するのに時間がかかった。いくつかの悪い結果が決定づける。
セティエンは、バラバラになってしまったものを修復するために自分の哲学を捨て、自らの思想から一歩引いたところから始めた。彼は成功せず、リスボンではすべてが吹き飛んでしまった。あれは悪夢だった。
■クーマン、ボビンレース
クーマンはバランスの悪いメンバーを最もよくごまかせるシステムを模索してきた。メッシ、グリーズマン、コウチーニョ、デンベレのような選手をスタメン起用するために、4-2-3-1のフォーメーションを採用している。興味深いことに、クーマンはオランダ代表のような他のチームにおいては、システム変更を何度も繰り返してきたが、一方バルサでは頑なに変えようとしない。彼は自分の持っている選手に一番合うシステムを見つけたと思っている。しかし何度も何度も繰り返し結果を出せないでいる。それはもはやシステムの問題ではない。