対談のラストを飾るのは、山本慶副将(スポ4=長野・屋代)、原遼太副将(スポ4=岡山・総社)、菅野空(教4=神奈川・川和)の3人。自身が最上級生になってからのこの怒涛とも言える1年間を振り返っていただいた。※この取材は11月15日に行われたも…

対談のラストを飾るのは、山本慶副将(スポ4=長野・屋代)、原遼太副将(スポ4=岡山・総社)、菅野空(教4=神奈川・川和)の3人。自身が最上級生になってからのこの怒涛とも言える1年間を振り返っていただいた。

※この取材は11月15日に行われたものです。

「準優勝できたということに関してはある程度合格点を与えられるリーグになった」(山本)


秋季リーグの総括をする山本

――秋季リーグ(=関東学生秋季リーグ)は準優勝という結果となりましたが、どういったようなリーグ戦になりましたか

山本4年目ですがはじめてのような感覚になったリーグ戦でした。戸惑いとかイレギュラーな部分が多くあったリーグ戦だったんですけど、結果としてはめっちゃ満足したわけじゃないですけど準優勝できたということに関してはある程度合格点を与えられるリーグになったんじゃないかなと思っています。

悪い試合があまりなかったかなというのがあって。試合数が少ないというのもあるとは思うんですけど毎年9試合ぐらい戦っていく中で良い試合があったり悪い試合があったりというのはあることなので、ただ今年はどの試合も流れが悪い時間帯はもちろんありつつも試合を通して悪い試合というのはなかったです。

菅野リーグが始まるまではインカレ(=全日本大学選手権)もなくて短縮リーグで入れ替え戦すらもかかってないという状況で、結構モチベーション上げるのが難しくて。まぁ言ってしまえば記念試合というかそういう扱いになってしまうんじゃないかなという中で、それでも試合が始まったら誰も負けたいと思う選手はいないと思うのでそうした中で結構充実したプレーができました。4年生としてもまとまれたんじゃないかなと。部内の温度差はあんまりなくてチーム一丸となって戦えたので。原くんも言っていたんですけど全部いい試合になったんじゃないかなと思います。

――充実したリーグ戦になった要因はどういったところにあると思われますか

チームがまとまったという面では1から4年生まで仲が良いというのは1つの要因かなと思います。いざこざはもちろんありますけど、今年の4年生は横のつながりが結構あって。かといって下の子たちに圧迫するような人もいないので接しやすかったのかなと思います(笑)。

山本初戦の日体大戦が大きかったかなと。あそこで勝てたのはかなりでかいと思います。去年のリーグでは春は同点で秋は6点差ぐらいで負けてインカレは2回戦で日体大と当たって2点差で負けてしまったのでどうしても勝ちたいという、去年の先輩方の借りを返すという意味でもリベンジしたいと言う気持ちが結構強かったです。それで試合は競ってはいたんですけど最後いい感じに逃げ切れたというところが俺たちも勝てるんだっていうモチベーションはそこで結構上がったのかなと僕は見てて思いました。

菅野4年生が結構仲良くて。まぁ僕が思っているだけかもしれないですけど(笑)。僕らの同期が11人もいて結構例年と比べたら多いのにそれでいて4年間もずっと一緒にいてなんでこんなに仲いいんだろうなっていう(笑)。あんまり嫌な奴もいないし。監督も結構熱心に指導というか僕たちを見てくださっていたのでそこで信頼関係を築けたのも大きいかなと思います。

――秋季リーグを通してどのようなプレー/役割をチームの中で果たせたと思いますか

山本去年はどっちかというとオフェンスメインで出ていたんですよね。ただ今年のチームとしてのメインテーマが速攻っていうのがあってそれで点を取りたかったので、そのためにはまずディフェンスで守らなきゃいけなくて。ハンドボールってディフェンス、オフェンスと選手を交代できるので昨年と同じ動きをできなくもないんですけど、その時間をちょっとでも減らすためにはどうしたらいいかということを考えたときに自分がディフェンスをできればその切り替えのスピードが速くなると思って。なので今年は結構ディフェンスを頑張ろうって思っていました。今までよりビデオを見ていたりだとかBチームの人たちとかに対戦相手と同じようなプレーをしてもらったりだとかめちゃくちゃ対策をしました。でその効果が一番出たのは東海大戦です。エースが僕のマッチアップの相手ですごいキーマンだったんですよ。だからこれを抑えれば勝てると思ってめちゃくちゃ本気でやりました。まぁ別にこれまで手を抜いていたわけではないんですけどね(笑)。ただその試合は本当にディフェンス10:オフェンス0ぐらいの気持ちでいって、結果として前半その人を0点に抑えられました。そこで自分もやればできるかなという自信がついたというか。やっぱり僕の今年の役割はオフェンスというよりディフェンスだったかなと思います。あと理玖(前田理玖、スポ4=福井・高志)とか遼星(阿南遼星、スポ4=大阪・大体大浪商)とかみんな点を取れるので僕が点を取る必要もないかなという風に今年は感じられていたという意味でもディフェンスを頑張れたのかなと思います。

僕は去年、春秋とずっと試合に出させてもらっていて、ただ今年は結局1試合しか出られませんでした。まぁそういった面で見たら試合に貢献できたという事よりかはチーム内の紅白戦とかで去年出場していたものとしてBチームに入ってやっていたということが今年の役割だったのかなと思います。

菅野僕はリーグ戦が始まってワンポイントのオフェンス専門で出るということがすごく多くて僕としてはもうちょっと試合を通して出たかったので不本意ではありました。ただ(リーグ戦が)始まったらすごい自分の役割だけに集中をして一番点をとりたい場面とか大事な時に点が取れるようにそれだけに特化して対戦相手のキーパーを研究してその仕事だけを集中してこなすように意識をしていました。それがどこまでできたのかは分かりませんがシュート確率としては100%でした。まぁ僕、2本しか放ってないんですけどね(笑)。

――リーグ戦での個人やチームでの反省点は何かありましたか

山本うーん、ないね(笑)。

菅野まぁ強いて言えば、試合数が少なかったのでしょうがないと思うんですけど僕たちは去年から試合に出させてもらっていたメンバーが多いので下の代の子たちに(公式戦での)経験をさせてあげられなかったということが来年に向けてのことで言うと反省点だったのかなと思います。

山本東海大戦とか結構前半に点差がついて後半は(下級生を)出したかったんですけど、そこで東海大に追い詰められてしまったので。本当は出せたけど出せなかったというところが反省点にはなってしまうと思います。

前年度弱かったら次の年は割と上までいけると言う最近の流れがあって。僕らが1年生の時の4年生だった西山さん(西山尚希、平30社卒)の代の時はまぁそんなに成績は残せていなくて。

菅野あんまり名前を言わないほうがいいんじゃないかな(笑)。

僕らが2年生の時の4年生の代はインカレでベスト4まで行ってて、3年生の去年は全然駄目で今年いいっていう流れがあるので。また今年は4年生主体のチームでしたが、そういった面では来年このままの流れで行くと心配と言うのはあります(笑)。

山本まぁそれにつなげると僕らが2年生の時に2個上の代が春リーグ(=関東学生春季リーグ)を優勝してくれたっていうのがあって。一応僕たちは優勝を経験しているんですね。優勝するという事はどんなことか、優勝するチームはどういったチームかということを僕らは唯一経験できている代なので、そう考えたら今年は優勝できるチャンスがあって、しょうがないことではあるんですけど後輩たちに優勝と言う景色を見せてあげられなかったという事でちょっと悔いは残りますね。やっぱり全然違うので優勝したか、しないかで。

――今季リーグでは4年生のみならず下級生の活躍も目立ったリーグ戦となりましたが、来年度、下級生に期待したいプレーは何かありますか

山本まぁ僕で言ったら1個下に佐藤(佐藤法俊、スポ3=長野・屋代)っていう左利きのシューターがいるんですけど。同じ高校出身なんですよ。本来だったら僕のポジションって基本的に左利きが多いんですけど、まぁいろいろあって今僕がやっていて(笑)。ただ彼はすごいんですよ。まだその力を存分に発揮してはないんですけど練習とか見ていたりするとまぁすごいなと思っています。ポテンシャルは全然僕より高いので来年はラストイヤーなので彼が活躍している姿を僕は見たいなと思っています。

菅野やっぱりディフェンス頑張ってほしいですね。後はやっぱりサイド陣。今は怪我しているんですけど陸生(奥村陸生、スポ3=神奈川・法政二高)とか3年生とかで復帰すると思うのでとりあえずもう皆に頑張ってほしいですね。

やっぱりキーパーの中村くん(中村匠、スポ3=千葉・市川)には頑張って欲しいなと思っています。彼が3年生で僕らが4年生で、今まで4年生が声をかけて引っ張っていったという部分があるのですが、来年最上級生として精神的にも自立しなきゃいけないと思います。そういった面では彼が自立してくれればチームとしてもそれこそディフェンスが安定するのかなと感じています。

「今まで10年ハンドボールをやってきた中でこの4年間が一番楽しいと思えています」(菅野)


4年間の自身の成長を振り返る菅野

――今年度で引退されてしまいますが、率直に今までの4年間を振り返ってみていかがですか

山本高3の時に大学を選ぶという段階で色々と選択肢があって。その数ある選択肢の中で最終的に早稲田大学を僕は選んでその結果仲間にも恵まれて練習環境や指導者の方とかOBの方とかにもいろんな方に恵まれて4年間、早稲田でやってきてすごい良かったなっていうのが率直な感想です。

3年生の早慶戦の時に、来年自分たちの代もこの早慶戦をやったらあと1年しかないんだということが結構自分の中で印象に残っていて。今年は本当にコロナで今までの半分もないぐらいハンドボールができたかできてないかになってしまって、練習をしない期間も多かったので本当にこの1年があっという間でした。だからもうあの時から1年経ったんだっていうのを今、思い出していますね。4年間が本当にあっという間だったなということを後半にかけていくにつれて強く思うようになりました。

菅野僕はすごい楽しかったです。プレイヤーとしてはあまりぱっとしないというか去年まで全く試合も出場できていなかったのでそういった面では悔いは残ってしまうのですが、総じて今まで10年ハンドボールをやってきた中でこの4年間が一番楽しいと思えていますね。

――4年間を通してどういったところが一番成長できたと思われますか

菅野僕は中学高校まで結構キャプテンをやることが多くて。あまり強いチームではなかったんですけど。ただ大学に入って周りを頼ることができるようになったというか11人もいてみんないいやつなので「何かやってくんない?」とか頼んだり、自分であまり背負い込みすぎないというか周りに助けてもらえるような性格になったかなと思います。

山本僕はこの4年間が一番ハンドボールにのめり込めたかなっていうのが正直あって。まぁこの2人はそうでもないと思うんですけど、前田とか島田とかほんとにハンドボールが大好きなんですよ。

菅野そうでもないって、お前なんだよ(笑)。

一同(笑)。

山本別にこの2人がどうとかっていうよりあの2人が度を越えて好きなんですよ。意味としては特に(前述した)2人が(ハンドボール好き)ってことです(笑)。もちろん僕もハンドボール好きなんですけど僕より好きなやつが現れて。しかもたくさん(笑)。そんな奴らに感化されたのか知らないですけどハンドボールの動画とか見るようになったりだとかハンドボールへの愛がより深まった4年間だったのかなというふうに思います。やっぱりハンドボールに対してより真摯に向き合えたと言うところは成長と言えると思います。

僕基本的にめちゃくちゃ自由な性格なので(笑)。ほんとに悪く言ったらジコチューなので(笑)。

山本それはほんとに間違いない(笑)。

ただ残り4年間しかないと考えたときに、まぁ怪我をしている時だったりとか何かの用事があって練習に行けない時があったりしたら自分の時間を削ってトレーニングしたりというのはあったかなぁって思います(笑)。そこは成長したかなとは思っています。

――最高学年になってから意識/行動の面で何か変わったことはありましたか

山本僕は去年から試合に出させてもらっていたので、去年は結構好き勝手じゃないけど自分がやりたいこと、特にオフェンスとか。どっちかと言うと自分が活躍したいという思いが強かったんですけど。今年、副キャプテンとして務めさせてもらったりだとか最高学年として行動する中でチームを勝たせるためにはどうしたらいいかっていう気持ちは去年と比べたらだいぶ大きくなったような気がします。去年とかは負けたとしても自分が結構点とか取れていたら満足していたところがあったので。自分が仮に点が取れていなくてもチームが勝てたとしたらすごい喜べたし、そういう意味ではチームのことを思えるような気持ちは高まっていったと思います。

菅野僕は4年生になって変わった事はほんとに特になくて。1個だけ自分の中で決めていた事は僕たちの代になったときに遼星は僕たちの代のキャプテンなので何かあった時は必ず遼星を立てようという風には思っていました。キャプテンが舐められるといいチームにはなれないので最終的には絶対に遼星の意見を尊重しようと思っていました。

僕は自由気ままな性格なので、最高学年になったときにあんまりにも自由すぎると内部分裂の元になってしまうので(笑)。そこは出さないように個人的には気をつけていたつもりです(笑)。

――原さん、山本さんは副将でしたが、チームを引っ張る中で苦労した点などは何かありますか

僕は個人的には遼星と慶にほとんど任せていた部分があるので、練習のことを考えるということよりかは割とそういう上の人間の人に対しての後輩の意見を聞くというのは、フランクにでも探っていたりもしました。内部での衝突が生まれないように後輩の純粋な意見を聞き出すということは大変だったかなと思います。

山本もう1人副将がいるのにめんどくさい仕事を押し付けられていました(笑)。

――菅野さんから見てお二人の副将としての働きぶりはどのように見られていましたか

菅野素晴らしかったですね(笑)。正直みんなの前に立って仕事をしようというような立ち振る舞いはしていなかったのであまり働きぶりではわからない部分もあったんですけど。ただチームのために働いてくれていたんだなと今、話を聞いてすごい感動しています(笑)。

一同(笑)。

――早大に入ってから一番印象に残っている試合はありますか

山本2年生の時のインカレの筑波戦です。この試合にはバックグランドがいろいろあるんですよ。まず春季リーグは勝てて、でも秋季リーグはボコボコにされてしまっていた状態で、インカレの対戦表を見たら筑波大が同じブロックにいてっていう(笑)。その当時、筑波大はもう完全に優勝候補で、もはや一強でした(笑)。で、試合が始まったらやっぱり前半は7点差ぐらい付けられてしまったんですけど、なんだかんだそこから徐々に詰めていって結局、後半はブザーが鳴る前に1点入れて逆転して勝ったっていう試合だったんですよ。終わった瞬間にみんなで抱き合って。応援席の保護者もベンチに入れなかった人とかもみんな含めて一体感が出ていて勝利を噛み締められた試合でした。

菅野やっぱり僕も一番印象に残っているのは筑波戦ですね。ハンドボールの試合の中で一番熱かった試合なんじゃないかと思います。

僕はそれこそ去年の早慶戦ですね。試合開始のブザーが鳴ったと同時に去年の4年生のたけしさんが泣き出していたので(笑)。ハンドボール人生の中でやっぱり最後の試合と言うのはかなり思いが詰まっていた試合なのかなと外で見て思いました。

菅野僕も早慶戦は運営の部分で関わっていたのでかなり思い出深い試合ですね。結構、去年の試合はいい試合ができていたので。ただあともう一つ挙げるなら一年生の時のインカレの関学戦ですね。あの試合が僕がハーキーやってきた中で一番ウケてて(笑)。

山本ハーキーがわかんないんじゃない(笑)?

菅野試合前に1年生が試合出る人たちの前で気合を入れるために一発芸をやると言うものですね(笑)。まぁ試合前の儀式的なものなんですけど。僕が担当みたいに1年生の頃はなっていて、それが人生で1番ウケたって言う(笑)。

「早慶戦は華やかなプレーをしたい」(原)


早慶戦の意気込みを語る原

――引退試合となる早慶定期戦では、どういったようなプレーをしていきたいですか

菅野僕は今怪我をしているので、早慶戦までに間に合わせられるように頑張りたいです(笑)。

僕ってあんまり華やかなプレーがなくて、結構泥臭いプレーするんですけど早慶戦は華やかなプレーをしたいです(笑)。僕はディフェンスで出ることが多いので、僕が点をとるとなぜか周りが盛り上がるんですよね。

菅野もうほんとに年に一回、あるかないかなんで(笑)。

山本ほんとにレアケースすぎてね(笑)。

――最後に意気込みをお願いします

山本10 年間ハンドボールを続けてきて一応これで引退と言う区切りのつくところではあるので出し切りたいし楽しみたいです。その上で勝ちたいです。

競った試合の方が楽しいは楽しいんですけど、ただ去年は競りすぎて負けるかもみたいな雰囲気に一瞬なっていて、それは嫌なのでそこは点差が圧倒的につくような試合にしたいなと。大差がつく中での楽しさも味わいながら最後までやり切りたいなと思います

菅野僕はまぁハンドボールをやる事は人生で最後だと思うので、社会人になったらバスケ始めたいと思っています(笑)。最後のハンドボール楽しみます。

――ありがとうございました!

(取材・編集 高橋さくら、手代木慶)


これまでの4年間を振り返ってみての一言を書いていただきました!

◆山本慶(やまもと・けい)(※写真中央)

1998(平10)年12月1日生まれ。172センチ。長野・屋代高出身。スポーツ科学部4年。質問に対してとても簡潔にわかりやすく答えてくださる聡明な姿が印象的でした!今年は副主将を務めたこともあって自分の成績よりもチームの成績を考えて試合に臨むことができていたそうです。最後の試合となる早慶戦では力を出し切りたいと意気込んでいました!

◆原遼太(はら・りょうた)(※写真左)

1997(平9)年6月2日生まれ。170センチ。岡山・総社高出身。スポーツ科学部4年。自他ともに認めるマイペースな原選手ですが、今年は副主将として陰ながらチームを支えていました!普段はディフェンスとして出場することの多い原選手ですが、早慶戦では華のあるプレーをしたいと意気込んでいました!

◆菅野空(すがの・そら)(※写真右)

1998(平10)年11月9日生まれ。172センチ。神奈川・川和高出身。教育学部4年。10年のハンドボール人生の中で大学4年間が一番楽しかったとおっしゃっていた菅野選手。現在けがをされていますが、早慶戦が最後のハンドボールになる菅野選手のプレーに期待です!