悪童フットボーラー伝説(2) 子どもたちに夢や希望を与えるプロサッカー選手は、世界中から尊敬の眼差しを向けられる存在だ。…

悪童フットボーラー伝説(2)

 子どもたちに夢や希望を与えるプロサッカー選手は、世界中から尊敬の眼差しを向けられる存在だ。しかし、サッカー選手も聖人君子ばかりではない。様々なトラブルを起こすフットボーラーを、ファンは親しみを込めてこう呼ぶ。「悪童」。世間を騒がせてきた悪童たちを紹介する今コラム、第2回は女性トラブルで話題をかっさらったこの3人だ。



イカルディ(左)の握手を完全に無視するマキシ・ロペス(右)

 今からおよそ10年前、国を代表するフットボーラーの女性スキャンダルが巻き起こった。

 イングランド代表のウェイン・ブリッジと別れたばかりの元恋人ヴァネッサ・ペロンセルが、同代表の主将を務めていたジョン・テリーを自宅に何度も招き、深い仲になったとする記事をタブロイド紙が報じ始めた。

 マンチェスター・シティ所属のブリッジは、チェルシー時代にテリーと同僚で、代表でもチームメイト。ブリッジとペロンセルとの間には、当時3歳の息子がいた。

 英国の悪名高きタブロイド紙にとって、これは格好のネタ。さっそく事実の裏づけのない憶測が流布されるようになった。

 テリー側は即座に動き、これに関する報道の差し止めを求めて裁判を起こした。だが、言論の自由に反すると判断され、差し止めは却下されてしまう。テリーもペロンセルも「情事と言われるようなことはしていない」と強く否定したが、それ以降もタブロイド紙の醜悪な報道には拍車がかかっていった。

 とくに、ペロンセルに関する報道はひどかった。「フットボーラーのグルーピー」「金目当ての元ランジェリーモデルのあばずれ」などのレッテルが貼られ、自宅を特定できるサテライト写真や地図まで掲載された。

 さらには、噂に基づく過去の男性遍歴や、両親の離婚、父親の自殺といったプライバシーに関わることまで報じられていった。むろん、常に自宅は記者たちに囲まれ、ドアのブザーは鳴りっぱなしだったという。

 いずれにせよ、この件によってブリッジは代表から引退し、テリーは代表主将の任を解かれている。そして2010年2月、プレミアリーグのチェルシー対マンチェスター・C戦の前に、かの有名なシーンが起きた。

 プレミアリーグではフェアプレーの一環として、試合前に全選手が相手と握手をすることになっている。だが、ブリッジはテリーから差し出された手を握らず、素通りしていったのだ。真実はどうあれ、ブリッジからすれば、騒動を起こしたテリーの手は握れなかったのだろう。

 ブリッジの同僚カルロス・テベスは「もしアルゼンチンでテリーがしたようなことが起きたなら、その人物は殺されるだろう」と語り、ブリッジを擁護した。だが、彼の同胞には、もっとあからさまに仲間の妻を奪った選手がいる。

 マウロ・イカルディ----。

 現在パリ・サンジェルマンに所属するアルゼンチン人ストライカーは、2012年にサンプドリアでシニアデビューを果たした。その後、9歳年上の同胞マキシ・ロペスが同クラブにローンで加入してくる。

 ロペスは可愛い後輩の面倒を見るようになり、アルゼンチン流のバーベキューなどによく招いていたという。だが、イカルディはそこでロペスの当時の妻ワンダ・ナラと出会い、のちに三角関係に発展してしまうのだ。

 ナラはアルゼンチンのテレビタレントで、イカルディもその顔を知っていた。当初は友人の妻として接していたようだが、次第にふたりは惹かれ合っていった。

 イカルディが現地メディアに語ったところによると、アプローチしてきたのはナラのほうだという。2013年にインテルに移籍したイカルディがプレシーズンツアーに出発する際、ナラから直接連絡があり、「アメリカでiPadを買って来てほしい」と頼まれたというのだ。

 そこからふたりは接近し始め、イカルディによると、ワンダはその頃すでにロペスとの関係を終わらせようとしていたらしい。だからだろうか、彼らはロペスとワンダの間に生まれた3人の子どもたちと一緒に撮った写真をSNSに投稿するなど、恥も外聞もない行動を続けてロペスを憤慨させた。

 その後、ナラはロペスと離婚し、2014年にイカルディと結婚。イカルディは自身の腕に、ロペスの3人の子どもの名前のタトゥーを入れている。後日談として、ロペスは2014年のサンプドリア対インテル戦でイカルディとの握手を拒んだ。

 ブリッジとテリーの件と同様に、アルゼンチンでも代表チーム内に多大なる影響が及んだ。

 ロペスはリーベル・プレート時代にハビエル・マスチェラーノと、バルセロナ時代にリオネル・メッシと親交を深めていた。アルゼンチン代表の重鎮ふたりはロペスを擁護。そして、イカルディの行動には憤怒した。

 そのためか、イカルディは代表に選ばれて当然の能力を持ちながら、水色と白のシャツを着る機会は極めて限定的となる。現在27歳にして代表通算8試合1得点にとどまっており、すでに「元代表選手」と表記されることもあるほどだ。テベスが言ったように、実際に殺されてはいないものの、代表選手としてのキャリアは死んでしまったと言えるかもしれない。

 代表選手もお盛んなら、たびたび女性問題が持ち上がってしまう代表監督もいる。それは現在、ウェールズ代表を率いるライアン・ギグスだ。

 元マンチェスター・ユナイテッドのウイングは今年11月1日の夜、自宅でパートナーと口論になり、その女性を暴行した容疑で逮捕された。その原因は、別の女性(またもランジェリーモデルだ)との親密なテキストメッセージにあったとされている。

 本人は容疑を否認しているが、ウェールズ・フットボール協会はギグス監督を一旦、代表チームから離れさせ、11月の代表戦3試合はアシスタントコーチに指揮を執らせることにした。

 プレミアリーグきってのドリブラーとして活躍した現役時代のギグスは当初、家族想いのクリーンな紳士として知られていた。しかし、キャリアの晩年にとんでもない事実が明るみになってしまう。

 今から9年前、美しい妻とふたりの子どもを持つギグスは、妻のほかにふたりの女性と関係を持ち続けていたことが発覚......。しかも、そのうちのひとりは、実の弟の妻だったのだ。またその関係は、妻が最初の子どもを身ごもっていた頃に始まり、そこから8年間も続いていたという。

 これにより、ギグスは妻と離婚。世間からは「フットボール界のタイガー・ウッズ」と揶揄された。

 それでも、ギグスは懲りずに多くの女性と関係を重ね、先ごろ逮捕までされる始末。マンチェスター・U時代の同僚アンドレイ・カンチェルスキスによると、「ギグスはいつまでもバチェラーライフが忘れられない」ようだ。ちなみにギグスは今月、47歳の誕生日を迎える。