「仲間か・・・」。は4年間共に戦った同期への思いを尋ねられると、一呼吸をおいた。そして、頰を緩ませながらこう答えた。「僕を六大学優勝チームのマネージャーにさせてくれてありがとう」。チームメートと笑顔で写真に収まる豊嶋(前列右から2番目) …

 「仲間か・・・」。は4年間共に戦った同期への思いを尋ねられると、一呼吸をおいた。そして、頰を緩ませながらこう答えた。「僕を六大学優勝チームのマネージャーにさせてくれてありがとう」。


チームメートと笑顔で写真に収まる豊嶋(前列右から2番目)

 大学野球の華である東京六大学リーグ。その中でも、数々のスター選手を輩出してきた早大に憧れを抱く球児は少なくない。豊嶋もその一人だった。「早稲田の野球部に入りたいとずっと言っていた」。1年間の浪人生活を経て、晴れて早大野球部への入部を果たす。

 しかし、入部後の豊嶋を待っていたのは厳しい現実だった。甲子園で名をはせ、プロから注目を集めている同期がいる中、一般受験で入部した豊嶋に課されるのは「野球じゃないこと」。朝早くから夜遅くまでグラウンドの整備や走り込みに明け暮れた。「何とか生き残らないと」という思いでいっぱいだった1年生時代を『どん底』だと振り返る。

 そんな豊嶋に1年冬に大きな分岐点が訪れる。早大野球部は新チーム始動前に1年生から2人マネジャーを出さなければならない。マネジャーへの就任、それは同時にユニフォームを脱ぐことを意味する。神宮でプレーする日を夢見て、厳しい練習に耐える人間にとって、あまりにも重すぎる選択だった。マネジャー候補として名前が挙がる中、マネジャーに立候補するか否か自問自答を繰り返した。年が明けるまで悩み抜いた末、豊嶋はついに宣言する。「(マネジャー)をやります」。自らの選手人生を捨て、『チームのため』生きることを選んだ男の決断に涙を流す者もいた。そして、この時、仲間たちと1つの約束を交わした。『みんなで日本一になる――』。

 マネジャーに就任してからは、選手時代のような肉体的過酷さこそないものの、経験したことのない業務に奔走した。スケジュール管理や金銭面の管理、連盟との連携…。膨大な仕事量に加え、その責任の大きさに寮から逃げ出してしまおうと考えることもあった。それでも豊嶋は、選手はどうしたいか、どうしたら喜んでくれるかを第一に考え、陰に徹して働き続けた。


立大1回戦でベンチ入りする豊嶋

 そして、その姿は選手たちを奮起させる材料になっていた。「選手を引退したやつらの分も背負う」。副将のはミーティングでこう呼びかけた。一人はみんなのために、みんなは一人のために—―。ベンチに入れない4年生、打席に立てない4年生の思いをのせ、チームは優勝へと突き進んでいく。

 優勝決定戦となった慶大2回戦、豊嶋はこの日、球場内で主務の業務にあたっていた。試合終盤、ベンチ裏にいると、突然地鳴りのような歓声が耳に入る。が雌雄を決める一発をバックスクリーンに運んだのだ。逆転に成功し迎えた9回裏、の球がキャッチャーミットに収まるごとに一塁側スタンドのボルテージは高まる。そして、15時52分。慶大・最終打者のバットが空を切った。

 明治神宮大会が中止になったことで、日本一を決める舞台はなくなった。しかし、最後まで泥臭く戦い栄冠を手にした早大野球部は日本一のチームであり、ひたむきにチームを支え続けた豊嶋は日本一の主務だろう。3年前、仲間たちと交わした約束は、上限いっぱいに埋め尽くされた神宮の杜で果たされた。

(記事 望月清香、写真 早稲田大学野球部提供、望月清香)

コメント

豊嶋健太郎主務(スポ4=愛知・南山)

――優勝おめでとうございます!改めて、優勝を振り返っていかがですか

優勝という実感があんまりないです。まだ実感が湧かないです。今日も目が覚めて、昨日の出来事は夢じゃなかったのかなって思って。優勝できて良かったなと思います。

――しびれる展開が続きましたが、どのような思いで試合をご覧になっていましたか

慶大2回戦は自分ではなく牛島(詳一朗副務、社4=大阪・早稲田摂陵)がベンチに入っていたので、牛島に「俺の分まで死ぬ気で声を出してくれ」と言って自分は気を送り続けてテレビ越しで眺めていました。

――蛭間選手が逆転本塁打を放った瞬間の気持ちは

その時ちょうどベンチ裏に行っていて、打った瞬間を見ていなかったんですけど、みんなが「わー」ってなっていて、見たらホームランになっていたので、うれしくてずっと叫んでいました。

――試合中は主務としてのお仕事があったのですか

昨日は勝った場合は優勝報告会だったり、納会という野球部の今年のチームの締めの会があって、そういったところでいろいろと準備をしないといけなかったので、あまり試合には集中できなかったです。

――優勝の余韻に浸る余裕もないという感じでしょうか

できれば浸りたかったんですけど、次の仕事が控えていたのでそこはなるべく気持ちを抑えてやらないとと思ってやっていました。

――優勝を果たした一番の要因は何だと思いますか

みんなが言っていると思うんですけど、チーム全体が『絶対に勝つ』という気持ちを持って、本当に一つになれたことが大きいと思います。そうなれたのは、4年生の杉浦を中心とした人たちが本当に熱心に動いてくれて、そのことで周りも動くようなチームづくり、組織づくりができたからだと思います。

――以前の対談で「引退までに思い残すことなくやりたい」とおっしゃっていましたが

思い残すことはないです!本当に1年生はどん底から始まって最後は優勝という最高のかたちで締めくくることができたので、経験できることは全部経験したのかなと思います。

――改めて、早大での4年間を振り返っていかがですか

自分は高校の時に早稲田を志して入部したんですけど、昨日は本当に早稲田で良かったなって心の底から思えた瞬間でした。

――最後に、4年間一緒に戦った仲間への気持ちを聞かせてください

仲間か…。僕を六大学優勝チームのマネージャーにさせてくれてありがとう。その気持ちが一番です。