これぞ、「魂のタックル」の勝利である。1日の関東大学ラグビー。日本ラグビーのルーツ校、慶大が伝統の猛タックルで強力な明大の攻めを分断した。ロスタイム。最後の最後、1年生フルバック(FB)の山田響が劇的な逆転ペナルティーゴール(PG)を決め…

 これぞ、「魂のタックル」の勝利である。1日の関東大学ラグビー。日本ラグビーのルーツ校、慶大が伝統の猛タックルで強力な明大の攻めを分断した。ロスタイム。最後の最後、1年生フルバック(FB)の山田響が劇的な逆転ペナルティーゴール(PG)を決めた。



明大を破って喜ぶ慶大の選手たち

 13-12。新型コロナウイルス感染症対策のため入場制限(上限8千人)された秩父宮ラグビー場では、約7千人のマスク姿の観客が総立ちでスタンドから拍手を送る。グラウンドでは、黒黄のタイガージャージの選手たちが歓喜で跳びはね、からだをぶつけあった。

「ほんと、4年生の努力の勝利かなと思います」。オンライン会見。就任2年目の元日本代表の栗原徹監督は言葉に実感をこめた。

「4年生が、コロナ禍の自粛期間中、主体的に部の運営をやってくれました。そのおかげで、自ら考えて動くことが、例年よりできているのかな、と思います。何よりも選手全員が果敢にチャレンジしてくれたのがうれしいですね」

 最大の勝因となったタックルの強化策について聞かれると、監督は黒マスクの下の顔をほころばした。

「慶応大学(1899年創部)には120年の伝統がありまして、僕が何も言わなくてもみんな、タックルをよくするんです。120年の先輩方の努力の重みが彼らのからだに乗り移っていたのかなと思います」

 試合前、栗原監督は大相撲でいえば、明大を「横綱」、自分たちを「小結」に例えていたそうだ。でも、からだが小さくとも、鍛え、信じ、考え、挑みかかる気概があるなら格上にも対抗できる。地を這うタックル、バチバチと音が聞こえてきそうな肉体の衝突、しかも組織的に相手との間合いを詰める連係も備わっていた。監督は言葉を足した。

「タックルはすばらしかった。とくに組織ディフェンスが向上した印象があります」

 タックルで相手を一発で仕留めるから、ジャッカル(タックルで倒れた選手のボールを奪い取るプレー)も決まる。ターンオーバー(相手ボールの奪取)は相手の5本に対し、慶大は8本を数えた。

 勝負のアヤは後半15分頃だった。慶大フッカー(HO)の原田衛が、突進してきた明大フッカーの田森海音の足元に突き刺さる。足をかく。倒す。すかさずフランカー(FL)今野勇久がジャッカルを試みる。田森がボールを離さず、ペナルティーキックを得た。

 これを敵陣ゴール前のタッチに蹴りだし、ラインアウトからボールを列の後方に合わせ、フォワードが黒黄ジャージの塊となって押しに押した。トライをもぎ取る。ゴールも決まって、10-7と逆転した。

 そして、10-12とされてのロスタイムだった。またもブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)で反則をもらった。ゴールから25mあたりの右中間。極度の重圧の中、PGをルーキー山田が落ち着いて蹴りこんだ。

 実はロック(LO)の相部開哉(あいべ・かいと)主将はまだ、試合時間が残っていると思っていたそうだ。「入ったら、残り時間を使うため、どうしようかなと考えていました」と笑った。

「(ノーサイドに)びっくりしました。我慢し続けてよかったな。自分たち(試合メンバー)23人だけじゃなく、部員全員の努力が報われたな、と思ったんです」

 地味ながらも猛タックルを連発した177cmのロック、北村裕輝はこうだ。

「もう、うれしくて。苦しい時間帯もあって、うまくいかないこともあった。でも、これまで準備してきたことを、80分間、やり切ることができました」

 明大の長身ロックに対抗するため、ラインアウトでは低い前方に合わせるなど工夫していた。それが奏功した。

 慶大は創部120周年目の昨季、大学選手権の出場を逃した。22年ぶりの屈辱だった。慶大で大学日本一も経験した栗原監督にとっては、試練のスタートとなった。

 サントリーでエディー・ジョーンズ氏(現・イングランド代表ヘッドコーチ)ら名指導者の元で育った栗原監督は、伝統にこだわらず、早大のコーチを務めていた元東芝の三井大祐氏をバックスコーチに招いた。科学的なラグビー理論や戦術を学生に落とし込み、自主的な成長を促した。

 昨季、不振だったことで、新チームのスタートはどこよりも早く、昨年12月にスタートできた。基礎体力、基本スキルの習熟にあてた。相部主将は「今年のチームはポジティブにとらえれば、他チームより準備期間が多くなりました」と説明する。

「結果として、全体がコロナの影響で準備期間が短くなった中、自分たちは(相対的に)長く時間をとれました。(昨年)12月に始めた分、基礎の部分を土台として固めてきたので、そこが今、生きているのかなと思います」

 新型コロナの影響で、慶大は他チーム同様、3月末から5月まで、全体の活動を自粛した。6月初めから日吉のグラウンドでほぼ自主練習に近い形で練習が再開され、7月から本格的な練習ができるようになった。伝統の山梨・山中湖の「地獄の夏合宿」は中止となったが、新型コロナの感染症対策を施しながらの練習でチーム力は徐々に上がってきた。

 9月中旬には明大と合同練習をやり、30分ハーフの実戦練習では「パニック状態で、やられました」(栗原監督)。やっとで10月に始まった異例のシーズンでは、初戦で筑波大に敗れ、練習は厳しさを増した。

 ことしは形骸化しがちなチームスローガンは掲げず、「常に全力で」「指摘し合う」という行動指針を定めた。相部主将はこの日、「挑戦」を強調した。

「チャレンジャー・マインドで挑みました。自分たちにフォーカスし、最高の結果になった。課題もいっぱいあったので、これから修正していきたい」

 勝っておごらず、負けてひるまず。タイガー軍団復活へ、ひたむきな慶大のチャレンジがつづく。