今月24日のことだった。FIFA(国際サッカー連盟)はサッカー界の“KING”ペレ80歳の誕生日を祝うメールを発信した。ペレが生まれたのは1940年10月23日のこと。日本式に言えば「傘寿」のお祝いとなる。 これまでFIFAが選手個人につ…

今月24日のことだった。FIFA(国際サッカー連盟)はサッカー界の“KING”ペレ80歳の誕生日を祝うメールを発信した。ペレが生まれたのは1940年10月23日のこと。日本式に言えば「傘寿」のお祝いとなる。

これまでFIFAが選手個人について出すメール(リリース)は、近年では16年のヨハン・クライフ(68歳で没)のように、どちらかというと訃報の方が多い印象が強い。まして個人の誕生祝いのリリースは極めて稀だろう。それだけペレが偉大な選手であることの裏返しと言える。

YouTubeで放映されているFIFA TVでは、ペレ自身が元気な姿で登場しているが、太っても痩せてもいなくて、現役時代とそう変わらない元気な姿を見せている(ただしAFPによると昨年はパリで腎臓の問題で入院し、現在は股関節の問題で歩行器を使う必要もあるそうだ)。

そして驚かされたのは、キングの誕生日にお祝いのメッセージを寄せたスーパースターの豪華さである。

まずは70年メキシコW杯の優勝チームからは、監督のマリオ・ザガロ、清水の監督も務めた“またぎフェイント”の名手リベリーノ、「白いペレ」と言われたトスタン、快足FWのマリオ・セザール・リマ。変わったところではサントス時代のチームメイトで、91年~93年にかけて読売クラブ(現・東京ヴェルディ)の監督を務めたぺぺも元気な姿を見せた。

ブラジルのレジェンドはさらに続き、説明不用のジーコ、94年のW杯優勝メンバーで磐田の黄金時代の礎を築いたドゥンガ、02年W杯優勝メンバーのキャプテンを務めたカフ-、得点王のロナウド(相変わらず太っている)、現役時代と変わらないカカらが祝福のコメントを寄せていた。

祝辞は海外からも寄せられ、ブラジル(優勝5回)に次ぎ4回の優勝を誇るドイツ(西ドイツも含む。以下同)からはK・H・ルムメニゲ、シュバインシュタイガー、「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」と歌を贈ったユルゲン・クロップが登場。最初にクロップを見たときは、その口ひげからゲルト・ミュラーかと思ってしまった。

ジダンは昔と変わらないものの、メガネ姿のリネカー(86年メキシコW杯得点王で、Jリーグの黎明期に名古屋でプレー)は痩せていたせいかすぐには分からなかった。変わったところではカメルーン代表のサミュエル・エトオも祝福のコメントを寄せている。

ただ、残念だったのはブラジル勢以外に目を向けるとペレと同期の選手が登場していないことだった。例えばドイツならフランツ・ベンケンバウアー、メキシコW杯決勝で対戦したイタリアならサンドロ・マッツォーラなど、まだ存命の往年の名手はいるはずだ。それとも、トライしたが取材できなかったなにかしらの理由があったのだろうか……。

改めて言うまでもないが、W杯を3度優勝したのはペレしかいない。58年(スウェーデン)、62年(チリ)、70年(メキシコ)と、17歳の若さでデビューし、現役時代の12年間に全盛時を迎えられたことが大きな原因だろう。もしも66年イングランド大会で悪質なファウルからケガをしなければ(グループリーグで敗退)、さらに偉大な記録を達成していたかもしれない。

それに比べて4回の優勝を誇るドイツ(54年、74年、90年、14年)とイタリア(34年、38年、82年、06年)は、戦後の優勝期間が最も短いドイツにしても74年と90年の16年間だけに、連覇しないと達成できない難記録でもあることが分かる。

この74年と90年では、ベッケンバウアーが選手(74年)、監督(90年)として優勝する偉業を遂げた。ザガロ(58年と62年は選手として、70年は監督として優勝)に次いで2人目で、今後この記録を更新しそうなのは98年フランスW杯で優勝したジネディーヌ・ジダンくらいしかいないかもしれない。

話をペレに戻すと、99年に実施された読者アンケート「20世紀の偉大なサッカー選手100人」で堂々の1位に選ばれている。こちらのエピソードに関しては、機会があったらこのコラムで紹介したい。