9月5、6日に熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で日本パラ陸上競技選手権大会が開催された。好記録を出す選手が多く、1個の世界記録、9個のアジア記録、16個の日本記録が誕生。そんななか、メディアの注目を集めたひとつが、女子100mT64(片脚下腿…

9月5、6日に熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で日本パラ陸上競技選手権大会が開催された。好記録を出す選手が多く、1個の世界記録、9個のアジア記録、16個の日本記録が誕生。そんななか、メディアの注目を集めたひとつが、女子100mT64(片脚下腿切断など)で髙桑早生が使用していたスポーツ用義足の板バネ「KATANAΣ(カタナシグマ)」。総合スポーツメーカーのミズノと、福祉機器メーカーの今仙技術研究所の共同で開発した、これまでにはなかった新たな発想の下で生まれたカーボン製板バネだ。

髙桑は2012年ロンドン、16年リオデジャネイロと2大会連続でパラリンピックの決勝に進出したスプリンター。100m、200mのアジア記録保持者で、来年の東京パラリンピックでも活躍が期待されている。

今大会での結果は、13秒76。「一から走りを見直してつくりあげている」ということもあり、自己ベスト更新とはいかなかった。本人も「まだまだいろいろと不足している」と辛口のコメントだったが、それでも決して悪い走りではなかった。今後、細かい技術の習得によりトップスピードをさらに高めていくことは必須だが、これまでによく見られた後半のバタつきは少なかったように感じられた。

スムーズな走りの要因のひとつとして考えられるのが、新しい板バネだ。公式戦では今大会初めて使用した「KATANAΣ」について、髙桑はこう感想を述べている。

「これまでは、体格の大きな海外の選手たちが使用しているのと同じ海外製の板バネを使っていたのですが、(157cmと)体が小さい私には少しサイズが大きいということは以前から言われていたんです。それに比べて『KATANAΣ』は日本人の体格に合うようにコンパクトに作られているので、とても扱いやすい。走っていて、無理のない板バネだなと感じています」

今年7月から本格的に練習に取り入れたため、「KATANAΣ」を履き始めてまだ日が浅い。髙桑がこの板バネをどのように使いこなし、どのような走りをつくり上げていくのか、あるいは結果を出すことができるかは未知数だ。それでも公式戦で使用したことを考えると、この板バネに可能性を感じていることは想像に難くない。

近年、世界のパラ陸上界では、オットーボック社(ドイツ)とオズール社(アイスランド)の板バネがトップシェアを誇っている。その“二強時代”に風穴を開けようと、今、日本国内では国産の板バネの開発が活発に行なわれている。

そのひとつが、ミズノと、今仙技術研究所との共同プロジェクトだ。はじまりは7年前の2013年。同年9月に東京オリンピック・パラリンピック開催が決定したことを機に、ミズノでは自国開催の祭典に向けて、さまざまなプロジェクトが動き出し始めた。そのひとつとして、ミズノのグループ会社ミズノテクニクスでは自社のカーボン技術を用いて、パラリンピック競技のアスリートを支える用具の開発ができないかという話が浮上していた。

一方、今仙技術研究所では日常用義足が主流だったが、07年頃からスポーツ用義足の開発にも着手。08年北京パラリンピックでは同社の板バネを使用した山本篤が男子走り幅跳びT42(片脚大腿切断など:現在はT63)で銀メダルを手にしている。しかし北京後は、オットーボックとオズールがシェアを伸ばし、日本人のトップアスリートたちもこぞって両社の板バネを使用し、好記録を生み出していた。

それでも現場に行くと、さまざまな声が聞こえてきていた。今仙技術研究所の義肢装具士・浜田篤至氏によれば、要望が多かったひとつがスパイクソールだった。一般的に義足アスリートは市販のスパイクのソール部分を自分で切り取り、削って厚さを調整したうえで板バネの先端に接着していた。しかし、それではすぐにはがれてしまうというトラブルを抱えていた。

さらに機能的にも、板バネで走るための最適な専用ソールが求められていたため、今仙技術研究所としては、板バネだけでなくスパイクソールを含めた開発を手がけたいと考えていた。そこで同社が白羽の矢を立てたのが、高度なカーボン技術を持ち、スポーツシューズも手掛けるミズノだった。

翌14年8月からプロジェクトがスタート。翌15年には試作品第一号の開発コードネーム「α(アルファ)」が完成した。さらに改良を重ね、16年には大腿切断、下腿切断の両方の人に対応した「KATANAβ(カタナベータ)」と、国産初の板バネ用スパイクソールを完成させ、一般販売に漕ぎつけた。

重さが海外製の約3分の1と軽量化を追求したソールは、市販の接着剤で簡単に板バネに貼り付けることができ、しっかりと固定できる機能的なものだった。選手にも好評で、同年のリオパラリンピックでは山本が使用し、再び銀メダルに輝いている。

一方、板バネ「KATANAβ」は“土踏まず”をコンセプトに設計された。これ以前に今仙技術研究所が独自に作った板バネはローマ字の「J」のような形状をしていたが、「KATANAβ」はつま先から土踏まず部分にかけて波を打ったようなカーブ状に設計されている。走行時の接地部分を一定にすることで、地面からの反発も安定して得られ、扱いやすさを追求した。

「トップアスリートだけでなく一般の義足ユーザーも、さらには大腿義足の人も下腿義足の人も使用できる広範囲に対応したものとして開発しました」と浜田氏。海外製のものと比べると低価格のため、今もビギナー選手たちに愛用されている。

一方、「KATANAβ」を使用するトップアスリートは出てこなかった。モニターとしてテスト走行をした髙桑からは、「とても履きやすくて歩く分にはいいのですが、走るにはちょっと違いますね……。試合で使うのは難しいです」と言われたという。

その後、「β」の改良版「Γ(ガンマ)」を市場評価用として開発するなど何度も試行錯誤を重ねた結果、まったく新しいアイデアの下、開発されたのが「KATANAΣ」だ。

最初に目を引くのが、板バネの先端部分に設けられた空気孔。これまでにはなかった発想で、世界初のデザインとなっている。この空気孔により軽量化だけでなく、板バネを振り出す際に生じる空気抵抗の約31%削減を実現させた。加えて空気孔を設けたことによる強度低下を防ぐため、最先端のカーボン材料の選定や積層設計が追求されている。

髙桑が初めて試合での使用を決めたことからも、「KATANAΣ」の性能の高さがうかがい知れる。

「お互いにアイデアを出し合いながら、いいものを作り出すのは楽しいし、やりがいがある」と語るミズノ研究開発部の宮田美文氏と浜田氏。共同プロジェクトが成功している背景には、ミズノと今仙技術研究所に共通した思いがあるからだ。

「『国産だといいですね』とか『国内メーカーとしてどうですか?』という質問をよく受けるのですが、高性能な製品を作ろうとしているのは海外メーカーも同じ。ただ一番の違いは、日本人同士だからこそのきめ細やかなコミュニケーションができるということ。日本人ならではの感性も理解しやすいからこそ、選手に最適なものを提供することができる。それが我々国産メーカーの利点でもあり、使命だと思っています」

そして、もうひとつの思いを2人はこう語る。

「トップアスリートだけに提供するものではなく、トップアスリート用に開発するうえで得られる技術を、たとえばこれから走りたいと思っている障がいのある人たち向けに活かしていきたいと思っています。もちろん東京パラリンピックで国産の板バネを使ってもらえたらうれしいですよね。でも、本来の狙いはそこではありません。東京パラリンピックを見て『自分もこんなふうになりたい』と子どもたちが憧れを抱いた時に、国産で手の届くスポーツ用義足があれば、その夢を後押しすることができる」(浜田氏)

「スポーツ品に限らず、将来的には高齢者が元気に歩いたり走れたりすることにも役立てられたらなと。私たちの技術や製品が、元気で明るい日本社会を作り出すモノになることが最大の狙いです」(宮田氏)

元気で明るい日本社会に寄与したい――そんな思いが込められたミズノと今仙技術研究所の“モノづくり”への挑戦は、これからも続く。

*本記事はweb Sportivaの掲載記事をバックナンバーを配信したものです。