禁止されている物質や方法によって競技能力を高めようとするドーピングは、スポーツの公平性、公正性を歪める行為だ。ドーピングによって得られた記録や勝利は誰にも認められないばかりか、アスリートや競技、スポーツの価値をおとしめるものだが、一方でわれわれは「ドーピング」やそれを未然に防ぐ「アンチ・ドーピング活動」についてあまりよく知らない。

「ドーピングがなぜダメなの?」「日本人選手はドーピングとは無縁?」「うっかりドーピングって何?」ドーピングにまつわる疑問を日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の事務局長を務める浅川伸専務理事に聞いた。

(インタビュー・文=大塚一樹[REAL SPORTS編集]、写真=Getty Images)

なぜドーピングは「やってはいけないこと」なのか?

――国として国際大会への参加資格を停止されているロシアの話題をはじめ、違反行為、選手についてなど、ドーピングにまつわる報道は多くあるのですが、ドーピングやアンチ・ドーピングについて多くの人がよく知らないというのが現状です。いきなり「そもそも」の部分をお聞きしますが、ドーピングはなぜ禁止されていて、スポーツをする上でやってはいけない行為とされているのでしょうか?

浅川:このお話をするには、「スポーツはそもそもどういうものなのか」ということに立ち返る必要があります。スポーツ、競技の公正・公平とは何かといったら、すべての競技者が同じ条件下でプレーするという「イコールコンディション」であることが挙げられますが、視点をどこに置くかによって同じ条件下であるという前提が変わってきます。

 地理的な問題や経済的な事情から高地トレーニングができるチームと、できないチームがある。または国や地域によって身体的な特徴に大きな違いがある。高いところにゴールがあるバスケットボールやバレーボールなどのスポーツでは、身長差が大きな違いを生むことになりますよね。そうした違いまで不公平とするのか。同じようにアンチ・ドーピング活動についても世界中いたるところで均一に、厳密に行えているかという課題があります。極論ですが、イコールな条件を整えるということのみに視点を置くならば、規制を外してしまって、あらゆる方法でハイパフォーマンスを競うイベントをしたらどうか、それが本当のイコールコンディションじゃないかという議論もありますよね。

――ボディビルの世界では、事実上ステロイドの使用を認めているコンテストがあるとも聞きますね。

浅川:でも、それってスポーツの本質との関係性を考えたときに、それでいいんですかという視点が必要なんです。さまざまな議論がある中で、人工的な能力を追加した形で競うことが、スポーツの本質から離れていないか。僕らの領域でいえばアンチ・ドーピングは、単に条件が揃えばいいということではなくて、スポーツの本質をしっかり押さえた上で、アスリートがその競技に真剣に向き合った結果である「嘘の無いパフォーマンス」が発揮できる環境作りをしていく。みなさんがアスリートを応援したくなる気持ちが自然と生まれてくるような環境を作ることをアンチ・ドーピングの領域でやっていく。スポーツが本質から離れていかないための活動の一環なんですね。

もう「体に害がある」だけでは決定的な抑止力にならない

――ドーピングに関しては、不正という以上に選手の身体に害を及ぼす危険性もあります。実際に1960年のローマ五輪ではドーピングによる死亡事故が起き、オリンピックでの禁止薬物の取り締まりのきっかけにもなりました。

浅川:皆さんもご存知のように、「薬」は、適正な環境、条件にあるときに服用すれば病気の治療に役立ったり、私たちの生活を良くしてくれるものです。しかし、健常者が別の目的、例えばアスリートがパフォーマンスを伸ばすために不正に使用してしまえば、本来とは違う影響が体に起こってしまいます。

 私たちの組織、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)でも2001年の発足以来、アスリートに対して「体に害がある」ということをトッププライオリティとして伝えてきた時期がありました。アンチ・ドーピング教育の教材も、国内外問わずこの部分を強調するものが多かったのですが、ここ5年くらいは身体的な害に加えてという形になりますが、ドーピング行為がスポーツの価値をおとしめる、競技のフェアネスを奪うという論点が先に来るようになってきています。

――ここ5年の変化というのは、何かきっかけがあったんですか?

浅川:ちょっと乱暴な言い方になりますけど、トップアスリートのやっているスポーツ、激しいトレーニングが体にいいのかというと、なかなか難しいですよね。日本では痛み止めを打って試合に行くのが美談になる。甲子園の連投で肩を壊して若い才能が消えていくという話もあります。近年はそういうことが問題だという論調も生まれ始めましたが、無理をして体に負担をかけてもパフォーマンスを高めるという常識でやってきた選手が多くいる中で「体に良くない」というメッセージが歯止めになるのか。勝利や記録に貪欲な状態の時に、「体に害があるので」だけではなかなか届きにくいのではないか。これも選手のモラルや良心に頼る部分があるとは思いますが、世界中のアンチ・ドーピング活動は、体への害の話だけでなくスポーツの価値、自分が打ち込んできた競技へのリスペクトを打ち出すようになっています。

――禁止薬物の数が増え、風邪薬やサプリメントでも意図しないドーピング違反になるという問題も出てきているように思います。外から見ると、アンチ・ドーピング機関が選手を取り締まるという形に見えることもあるのですが。

浅川:日本においては、アンチ・ドーピング機関は警察のような権限があるわけではありませんし、公的、法的機関ではありません。世界的には公的資金で運営されていたり、行政機関に準ずるような権限を持っている機関もありますが、JADAに関しては100%民間の団体です。人によって受け止め方が違うと思いますが、「取り締まる」というニュアンスはちょっと違うかもしれません。

 禁止薬物についてもWADA(世界アンチ・ドーピング機構)が示す違反に該当する禁止表に掲載されている物質や行為がドーピング行為に該当するわけですが、そもそも禁止薬物が細かく掲載されているというより、物質を包括的に掲載している形なので禁止薬物の品目が非常に増えたということではないんです。

――新たなテクノロジーが出てきた時は、WADAが判断する?

浅川:WADA内に設置されている委員会で検証をしていますね。禁止表に掲載されるための議論がスタートするためには、

・物質又は方法が、それ自体又は他の物質若しくは方法と組み合わされることにより競技力を向上させ、又は、向上させうるという医学的その他の科学的証拠、薬理効果又は経験が存在すること。
・当該物質又は方法の使用が競技者に対して健康上の危険性を及ぼす、又は、及ぼしうるという医学的その他の科学的証拠、薬理効果又は経験が存在すること。
・3 当該物質又は方法の使用が本規程の序論部分にいうスポーツの精神に反すると WADA が判断していること。
(世界アンチ・ドーピング規程・第4条)

という3つの要件のうち2つを満たしていると判断される必要があります。この中でも特に科学的なエビデンス、効果の有無については検証が難しい場合がありました。

 例えば2000年代に入って、酸素カプセルが大きな話題になりました。高気圧環境を作り出し、高濃度酸素を吸入することで疲労の回復が期待できるというものです。当時は携行型のテントが主流でしたが、これをどう見るか、単に薬だけでなく、機器やトレーニング方法なども含めたものをどう判断するのかという議論は常にあります。酸素カプセルについては、仮に陸上競技のスタート前に電話ボックスのような酸素ボックスに入っていたとしても、スタートから数メートルで、その効果は消えるというレポートもありました。現在は、酸素自体の補給は違反とはならないとされています。

ドーピングで国として除外 ロシアはオリンピックに出られるのか?

――2019年12月のWADAの「ロシア選手団を4年間、国際的主要大会から除外する」という決定は大きな衝撃でした。ドーピングそのものはもちろん、データ改ざん、国家ぐるみの違反行為に対する厳罰だったと思うのですが、現在のロシアの状況はどうなっているんですか? 東京五輪には出られない?

浅川:現時点ではロシア側が不服申し立てをしていて、確定に至ったわけではありません。また、この仲裁手続きが新型コロナウイルス禍で中断してしまっているというのが現状です。

 これまでの経緯を簡単に説明すると、2015年にロシアの国家ぐるみのドーピングが明らかになって、その後、ロシアの反ドーピング機関(RUSADA)が資格停止となっています。2018年9月になって、WADAはその処分を条件付きで解除して、RUSADAの資格を回復することを発表しました。解除の条件は、ロシア側がモスクワにある認定分析機関の検体やデータを全面提供すること。しかし、データ提出の期限だった2018年12月を過ぎてもデータは提供されず、翌年1月になってようやくデータが出てきたんですけど、そのデータが虚偽であることがほぼ特定されたんです。これを受けて、2019年9月にWADAがもう一度、RUSADAを資格停止とする決議をしました。

――延期になり、2021年の開催だとしてもロシアには出場資格がない。

浅川:この裁定の時点で、ロシア選手団としての東京大会への参加は認められないのですが、ただスポーツの世界には不服申し立てができる仕組みになっていますので、この決定に対してロシアが今、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に不服申し立てをしています。これに対する審議が、新型コロナウイルスなどの影響で11月に延期されています。

 これが現在報道などで公になっている事実で、私たちもそれ以上、なかなか実態として伝わってくる話はありません。審議自体をリモートでやる難しさがあると聞いていますので、新型コロナウイルスの状況によってはもしかしたらこのまま聴聞の決議が延び延びになって、2021年7月に開会式が設定されている東京五輪に、WADAによりRUSADAの資格停止処分が決議されているけど、その処分が確定はしていない状態のロシア選手団が現れるという可能性も考えられます。そんなことになると、制度設計上の信頼性を失う非常にシンボリックな事案になってしまうので、この状況は避けなければならないと思っています。

日本のドーピングは増えている?

――古くは旧ソビエト連邦、東欧圏の選手たちが国家ぐるみでドーピングを行い、国威発揚にスポーツを使っていたイメージがあるのですが、ロシアの場合もこうした理由から国家ぐるみのドーピングに手を染めたということでしょうか?

浅川:直接的な理由を断定するのは難しいですけど、ロシアの問題については、やはり国威発揚、対外的に自国の優位性を示すような発想があるんじゃないかといわれていますよね。

 2014年のソチが開催地に決定した後の(2010年)バンクーバー大会で(2006年)トリノ大会よりもメダルが少なかった(トリノ:金8、銀6、銅8、バンクーバー:金3,銀5、銅7)ことに対して、日本語的にいえば忖度した人たちがいて、何か行動をしたんじゃないかという報道もあります。

――日本でもオリンピックは注目度の高いイベントですが、それでもどこか遠い世界の話として捉えてしまいがちですが、近年は日本でも選手のドーピング違反が明らかになったり大きく報道されたりしています。日本人選手のドーピングは増えている?

浅川:日本の場合、1億3000万人の人口に対して7000検体の検査を行って年間約5、6件の違反が出ています。これは絶対値でいうと少ないとはいえます。しかし、比較的ドーピング検査に厳格に取り組んでいる北欧の国、例えば人口が500万人程度(532万人)のノルウェーで2000~3000検体の検査数でも違反の比率は日本と同じくらい。こうした数字を見て日本だけが少ないといえるかどうかという議論はあるでしょう。

――意図してない「うっかりドーピング」というケースがやはり圧倒的に多い?

浅川:そうですね。日本の場合は違反の8割から9割は「アスリートのリスク管理不足による違反」といわれていますが、意図的ではないかと疑われる事案もゼロではありません。ドーピング違反については国内外にかかわらず違反した選手が故意であることを認めないケースがほとんど。こちらが意図的だと判断して聴聞の場で主張しても、規律パネルの採決がすべてですからね。「意図的ではないドーピング」の定義というのはなかなか難しいんです。 

 例えば選手本人が結果や記録を求めて使用したわけではなくても、治療に使われた薬剤の使い方が、明らかに競技力の向上につながる使い方だった場合、これはもう意図的ではなかったとして、制裁を課さないとはできないんですね。日本で起きたことなので、偶然に偶然が重なって医療従事者も含めて「大事なところが抜けていた」「意図的ではないけど知識が足りなかった」で済ませてしまうと、日本はそれで済ませてしまうのかということになります。

――そもそも意図があるかどうかは、違反しているかどうかには関係ない?

浅川:そうなんです。故意かどうかは違反の成立要件には関係ないんです。意図性は処分の重さや資格停止期間に関わる部分なので。

――アスリートたちは「知らなかった」では済まされないということですよね。日本でもカヌーの代表選考に絡んで、対戦相手に禁止薬物を混入させるという事件も起きていますよね。

浅川:カヌー連盟では、その後会場にセキュリティーカメラの設置などの対策を強化しています。常に言われていることではありますけど、自分が口にするものの管理、確認を徹底する意識も重要です。インフラ整備や意識付けも重要な要素ですが、最終的にはやっぱり選手本人のモラルの問題になってくる部分もあります。どれだけ仕組みを作ってインフラを整えてもそこの部分は選手たち本人の自覚に帰着していきますからね。

これからのアンチ・ドーピング活動は「教育」が鍵

――日本においてはJADAを中心にアスリート、指導者への教育で倫理観を養っていく方向で。

浅川:日本だけでなく世界共通ですよね。ドーピング検査のもつ抑止力と、教育によるロールモデルの構築が重要です。

 ルールをどんなに厳しくしても、人間がやることですから、アスリート、コーチ、関係者、競技にかかわるすべての人が「ルールを超えてでも勝つことを盲目的に肯定すること」「何かを犠牲にしてでも勝たせることに価値を見出すこと」自体がおかしいという環境を作っていかなければ。

 2021年にはWADAの定める世界規程が改訂されます。この改訂の目玉は、「教育を義務化する」ことなんです。今後はアンチ・ドーピング教育の責務が拡大して、検査同様に国際基準が定められるようになるんです。 

 教育は定量的な活動ではなくて定性的な活動でもあるため、なかなか成果を測りにくいものではあるんですけど、ルールや検査を厳しくするだけではスポーツの醍醐味、本質が維持できません。

 英語では「Values-Based Education(バリュー・ベースド・エデュケーション)」という言い方をしますが、これからのアンチ・ドーピング機関には、価値を伝えることで未来のアスリート、社会を担う人材を教育していくことが求められるようになります。

――アンチ・ドーピングについては、トップアスリートだけでなく、10代のアスリート、レベルを問わずスポーツに取り組む子どもたちにも重要なものになっていくというお考えですね。

浅川:JOC(日本オリンピック委員会)や各地方自治体が行っている講習会などで、10代前半の子たちに教材を提供したり、スタッフがお話しする機会をいただいたりと連携はすでに行っています。さらに平成25年度からは、高等学校で実施される新学習指導要領の体育理論の中で「オリンピックムーブメントとドーピング」が盛り込まれているんですね。日本は学校教育でアンチ・ドーピングを教えることに踏み込んでいる国際的に見ても非常に稀有な国なんですよ。文化、歴史的なこともあって、日本ではスポーツが学校教育の中にあって、保健体育の教員というヒューマンリソースもすでにあります。アンチ・ドーピングに関する教育の活動が世界的に本格化していく中で、子どもたちに対する教育の分野では日本は非常に先進的というか、国際的にも評価されている部分なんです。

――スポーツの価値を伝えることでアンチ・ドーピングの意義を教育、啓発していくということですね。

浅川:人間の価値判断の基礎は10代前半頃までに身に付くといわれています。その時期にスポーツを通じて相手をリスペクトしたり、ルールを尊重したり、リーダーシップを発揮するような経験、そういう考え方に触れる機会を作ることがとても重要だと思うんですね。リスペクトやルール順守もそうですが、順位や記録、勝利だけではなく、自分たちの有利を一方的に勝ち取ることを良しとしないフェアネスのような考え方は、スポーツ界のロールモデルであると同時に社会のロールモデルにもなり得るものです。

 私たちがこれから行っていく教育は、スポーツにおけるアンチ・ドーピングを通して、社会のロールモデルを育てていく、スポーツを通して社会を豊かにしていく切り口になっていくということ、価値教育であるということを強く意識しています。

<了>

PROFILE
浅川伸(あさかわ・しん)
1969年生まれ、群馬県出身。日本アンチ・ドーピング機構 事務局長。筑波大学卒業後、商社に入社。2003年、財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA)へ転職。2004年のアテネ五輪では、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の教育啓発活動メンバーとして参加。2016年、2020年東京五輪招致のため、IOC評価委員会に対するテーマプレゼンターを務めた。