12日の東京六大学春季リーグ戦、法大が早大に勝ち、連勝を飾った試合後の会見。試合について、ひと通り答え、質問が途切れた…
12日の東京六大学春季リーグ戦、法大が早大に勝ち、連勝を飾った試合後の会見。試合について、ひと通り答え、質問が途切れた。予定された10分間の会見もそろそろ終わり……という時だ。
青木監督が手を挙げ、切り出した。
「最後に一つ、いいですか?」
その表情は、神妙だった。
試合は死闘だった。序盤は法大・高田孝一(4年)と早大・徳山壮磨(3年)の両先発が息詰まる投手戦。6回に早大が7番・鈴木萌斗(3年)のタイムリーで先行したが、7回に法大は敵失が絡んで同点に追いついた。以降は両校とも救援陣が踏ん張り、1-1のまま延長10回から史上初のタイブレークに突入。表の早大が無得点に終わると、裏に法大が直前の守備からリーグ戦初出場となった神野太樹(3年)の犠飛でサヨナラ勝ちとなった。
最後は照明が点灯し、法大ナインの笑顔がカクテル光線に照らされた。
夕闇が覆った空の上に、青木監督にとっては特別な人がいた。冒頭の言葉に、こう続けた。
「今日は選手がよく力を出してくれたと思いますが、昨日、私が大学3年間お世話になりました山本監督がお亡くなりになられました」
山本泰さん。法政二を経て、法大でプレー。卒業後の74年からPL学園の監督に就任し、春2度、夏3度の甲子園に出場。78年夏には「逆転のPL」と言われるほど、劇的な勝利を重ね、初の甲子園制覇に導いた。その後は母校の法大で監督に就任。当時の教え子が、青木監督だった。プロ野球・近鉄、米大リーグ・マリナーズのスカウトとしても活躍した恩師の訃報が試合前日に届いた。75歳だった。
「本当に厳しく鍛えられました。甘さのない監督だったと思います」
思い出を語る青木監督はところどころ声を詰まらせ、目は潤んでいるようにも見えた。「ノックが本当に上手い方でした」。現役時代は遊撃手を務めた青木監督。三重高から入学した1年生は4年生に交じってノックに入り、山本さんが平気で2時間打ち続ける体力とともに、技術に驚いた。「そのテクニックが素晴らしくて、僕は守備に自信を持つことができて、その後の野球人生を歩めたのかなと思います」という。
卒業後は社会人野球のホンダ鈴鹿などで活躍し、富士大で監督も経験。青木監督にとっては、野球人生を切り開いてくれた恩人だった。ただ、この日は選手に気は遣わせまいと、ベンチに遺影を置いたり、喪章をつけたりせず、想いを心にしまい込んで試合に挑んだ。
「しびれるゲームでした」という死闘を勝ち切った指揮官は「天国で今日のゲームをしっかりと見届けながら、最後は力を与えてくれたんじゃないかと思います」と言い、山本さんに感謝した。
100年近い、長い歴史を持つ東京六大学。こうして恩師の教えと想いが脈々と受け継がれているのも伝統の証しであり、魅力でもある。
法大は12年秋の優勝以降の7年14季で優勝は18年秋の1度だけ。真夏の短期決戦。「常勝法政」の復活とともに、単独最多46度目を天国にいる偉大な先輩に届けるべく、残り3試合を戦い抜く。
<Full-Count 神原 英彰>