8月9日、午前7時。今年、予定どおり東京オリンピックが開催されていれば、服部勇馬(トヨタ自動車)は札幌で行なわれる男子マラソンのスタートラインに立ち、号砲とともに走りだしていたはずだった。 だが、服部の体は北海道にあるものの、強化合宿中で…

 8月9日、午前7時。今年、予定どおり東京オリンピックが開催されていれば、服部勇馬(トヨタ自動車)は札幌で行なわれる男子マラソンのスタートラインに立ち、号砲とともに走りだしていたはずだった。

 だが、服部の体は北海道にあるものの、強化合宿中でその最終日を迎えている。

「特別な思いはありません。延期が決まった時点で気持ちは切り替えていましたから」

 服部は淡々と話す。そして「今できること、今やるべきことに集中するだけです」と付け加えた。



ホクレン・ディスタンス網走大会10000mで自己ベストを更新した服部勇馬

 昨年秋、マラソンの開催地が札幌に変更されてから、服部は「東京でやる以上にハイペースへの対応力をつけないといけない」と語っていた。

 近年ではトラックのスピードを高め、その延長線上にマラソンを見据える選手が増えたが、服部は逆にジョグをベースにしてマラソンに挑むタイプ。「マラソンをジョグの感覚で走れるように」というテーマを持っている。

 練習では徹底的にジョグで距離を踏み、土台をつくったうえで最後の仕上げとしてスピードを乗せるスタイルだ。そのイメージを維持しながら、さらにスピードを高められるかがオリンピックに向けての課題のひとつである。

 結論から言えば、スピード強化は夏まで狙いどおりに成功した。7月15日に行なわれたホクレン・ディスタンス網走大会10000mで27分56秒32。これまでの自己ベストを10秒以上更新した。

 好記録の理由は2つある。ひとつは2012年ロンドンオリンピック10000m5位のビダン・カロキが今年度からチームに加入したこと。同種目で26分台のベストを持つカロキは練習の設定タイムも速い。彼とともに練習に取り組み、服部のスピードは確実に向上した。

「大切なのはマラソンの動きでスピードを上げていくこと。練習ではただ速いペースに乗るのではなく、1㎞2分45秒〜50秒ペースで余裕をもって動き、マラソンにつながるように意識していました。これまでは10000mのタイムに拘(こだわ)って練習する機会も少なかったですし、1㎞2分50秒を切るペースには恐怖心がありましたが、それを払しょくできたと思います」

 もうひとつは新型コロナウイルス感染拡大による影響で陸上競技場が使えず、土のグラウンドやクロスカントリーコースなど不整地での練習が増えたこと。「普段はあまり走らないような場所を走り、新しい発見がありました。そうした点もスピード向上につながったかなと思います」と服部は振り返る。

 ホクレン網走大会を見た佐藤敏信監督は服部のフォームの変化を感じたという。

「走りがコンパクトになった感じがあります。しかし、ピッチ走法なったわけではありません。上下動の動きも相変わらずないですし、上体はリラックスしたまま、コンパクトでかつスムーズにスピードが出せている印象でした。ペース変化にも対応できそうですし、マラソンに生かせる動きだったと思います」

 コロナ禍による練習計画の変更や、出場予定のレースが中止になったが、ここまでの強化は順調だと師弟は口を揃える。

 スピードの向上は、今後の練習やレースの取り組み方にも変化を与えそうだ。

「すでに始めていますが、スピードとジョグの感覚をいかにすり合わせていくか。そのイメージをつくっていきます。そしてスピード練習も高いレベルのものを続けていきたいです。今後も挑戦すべきところは挑戦していきます」

 昨今の情勢から先のプランはなかなか立てられないが、この冬、マラソンに出る意向はすでに固めている。網走での記者会見では「2時間5分30秒を切るレースに挑戦したい」と語っていたが、それもスピードへの恐怖心が払しょくされたからこそ。

「今年の東京マラソンを見ていても、みんな前半から積極的なレースをして好記録を出していました。自分はレースを壊したくないと考えてしまい、そこまで攻められませんでしたが、今は自分でもいけるんじゃないかと自信が出てきています」

 スピードをいかに実戦につなげるか。実際にマラソンを走ってみないことにはわからないと服部は言うが、手ごたえを感じている様子だ。

 たとえば、オリンピックで序盤からハイペースでアフリカ勢が仕掛けた場合、どう対応するのか。それともスローな展開で進みながら、どこかで急激なペースアップが起きた際にどう動くか。そうした実戦対策にも取り組む必要があるが、佐藤監督によれば、そこについてはもうちょっと先になるという。

「練習の基本的な部分は変えません。持久的な強さが服部のよさですから、ジョグを中心に、ペースを変えながら走る変化走もこれまでどおりやっています。ただ今後は20㎞、30㎞の中で一気にギアを上げていく練習などもやっていく必要はあるでしょう。具体的な方法は本人と話し合って決めていきます」

 途中でマラソンを挟めば、新たに見えてくることもあるはずだ。現時点で焦りはない。

◆MGC勝者・中村匠吾は周到な計画で才能が開花した

 今年1月のニューイヤー駅伝前に軽い肉離れを起こしたが、2月以降は練習が途切れていない。今後もケガをしないよう注意しながらマラソンランナーとしての土台を固めていくことに努め、その先に実戦対策を入れていく。

 来年の8月8日(東京五輪の男子マラソン開催予定日)、どんなイメージでオリンピックに臨みたいか。最後に聞いてみた。

「まずはこの1年間、身の丈にあったトレーニングをしながらも挑戦する気持ちを忘れないようにしたいです。でも練習中、欲が出てきたときにやりすぎないようにしないといけません。練習をしっかり積み重ね、本番では最大限、力を発揮できるイメージを持ってスタートラインに立てればと思います」

 直前の調整は福岡国際、MGCと2度の成功事例が示すとおり、自分の方法を確立している。これまでどおり、着実にレベルアップしていけば自信を持って臨めるはず。オリンピックを1年後に控えた今、服部はそう考えている。