島袋洋奨がホークス戦力外を経て母校へ>> かつて「負けないエース」と謳われたソフトバンクの先輩にあたる斉藤和巳氏(通算勝…

島袋洋奨がホークス戦力外を経て母校へ>>

 かつて「負けないエース」と謳われたソフトバンクの先輩にあたる斉藤和巳氏(通算勝率.775)には及ばないものの、石川柊太(しゅうた)の通算成績は今年7月28日時点で24勝9敗、通算にして.727となる。昨季はほとんど投げていないとはいえ、2018年8月7日から3年越しで8連勝中だ。

 その石川が投げる特徴的なボールが”パワーカーブ”だ。



今シーズン、ここまで3勝0敗と好調を続けているソフトバンク石川柊太

 常時140キロ台後半をマークする直球に対して、その球種は120キロ台。カーブといえば「ドローン」と弧を描くが、石川の投げるボールは「グイッ」と力強く曲がる印象だ。かといって、スライダーのような鋭さではない。

 一体、どんな投げ方をしているのか。

「握りは、ヤクルトで活躍されていた伊藤智仁(現・楽天一軍投手コーチ)さんのスライダーと同じです。ツーシームのように縫い目の細くなる部分に人差し指と中指を持っていくんですが、縫い目にかけるのではなくて左側にずらす。だから指の右部分が縫い目にかかっている感じですね。で、ひねるです」

 一般的にカーブは抜く感覚で投げる球種だといわれる。石川もそのように投げないわけではないが、「使い分ける」のだという。

「抜くイメージもあったり、縦に切るようなイメージや叩くようしてに投げることもあります。カウント球や決め球など、場面や相手打者にとって変えています」

 それにしても、あのパワーカーブの源流をたどって伊藤のスライダーに行きつくとは驚きだ。そもそもの出会いは大学時代まで遡る。

 伝授してくれたのは、創価大で石川のことをとくに買ってくれていた佐藤康弘コーチだった。入学前はまったくの無名で、セレクションで不合格になりかけたところを「ひょろっとした体型で、この球は逆にすごい」と監督に猛プッシュしたのが同コーチだった。

 その佐藤コーチは社会人野球のプリンスホテルで活躍していた頃、日本代表としてバルセロナ五輪に出場した。その時にともに日の丸を背負って戦ったのが、のちにヤクルトで衝撃的なデビューを果たす伊藤だった。そうした縁もあり、間接的に伊藤のスライダーが石川へと伝わったのだ。

「細かいことは覚えていないんですが、とくに今のようなボールをイメージしていたわけじゃないんです。もともとスライダーを投げられなくて、佐藤コーチから『こういう握りもあるんだぞ』と教わったのが最初だったと思います。伊藤さんのような速くて曲がるボールを求めたんですけど、僕が投げてみると大きく曲がるというか、曲がりすぎてしまうし、さほど球速も出ませんでした」

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 石川は、2013年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。最初の背番号は「138」だった。

 当時の取材ノートを見返すと<ベース盤の端から端を横切るほど曲がるスライダー>とメモしていた。石川はこのボールを「スライダー」だと認識していた。そして、これを決め球に配球を組み立てることに固執していた。

「だけど、僕のなかでは操れないボール。大きく曲がりすぎるし、スピードも中途半端だったし……」

 そこで石川は発想を変えた。それが入団4年目、2017年のことだった。前年シーズン途中に支配下登録を勝ちとり、一軍デビューを果たしたシーズンだ。

「『これはカーブなんだ』と考えるようにしました。カウント球にもできる球種。『大きく曲がってもいいんだ』とも」

 胸のつかえがとれた石川は迷いなく腕を振った。大きく曲がることも武器としてとらえたことで、思いきった考え方ができるようになった。

 右打者に対して投げる時は、バッターの顔を目がけて投げるのだという。「本当にぶつけちゃいけないですけど、それが僕のイメージです」と屈託なく笑う。自信にあふれた者にしかできない表情だ。チーム内からもその軌道には驚きの声が上がった。

 投手コーチが「オマエにしか投げられない球だ」と言えば、捕手の甲斐拓也も「ほかの投手とはまったく違う独特なボール」と言って背中を押してくれた。

 石川にとってパワーカーブとは──。

「僕にとっては、なくてはならないボールです。それがあって僕がある。自分の投球スタイルを支えるボールです。僕の場合、ストレートが高めにいくことが多い。それだけを見れば欠点ですが、打者はカーブをケアすることで高めの直球は打ちづらくなる。欠点を武器に変えてくれる球、それがパワーカーブです」

 ところで、パワーカーブという名称は報道陣から「何て書けばいい?」と催促されて、石川自身が言い出したのだという。そもそも日本球界で最初にパワーカーブという球種を口にしたのは、今から10年ほど前のダルビッシュ有だった。

 石川は、一昨年オフから同僚の千賀滉大とともにダルビッシュの自宅のあるテキサス州を訪ねて合同トレーニングを行なっている。

「ダルビッシュさんは常に探求心を持っていて、どうしたらよくなるのか、何がいいのかを常に考えることで洗練されて、それで今の自分があるという話をいつもしてくれます」

 新型コロナウイルスの影響で開幕が延期になった期間中、石川は千賀らとともに、これまでとは別の考え方の投球フォーム取得に挑戦した。最初はフルモデルチェンジまで考えたが、それは断念した。

「うまくいかないこともありますし、何が変わったというよりも、変わろうとしたことが大事なんじゃないかなと思います。挑戦したことで見えたものは絶対あるし、進むことを怖がったら何も残らないですから」

 昨年は自主トレ中に右太ももの肉離れに始まり、シーズン中は右ヒジ痛を発症して2試合のみの登板だった。だが今季、見事に完全復活を遂げてみせた。

「僕はまだ立場を確立されたピッチャーじゃない。危機感は常にあります。僕にできることは野球のことを第一に考えて、常日頃から生活すること。それくらいしないと、野球って甘いものじゃないですから……」

 食事をしていても自然と右肩を触ってしまうことが多い。大好きな「ももいろクローバーZ」のライブを楽しんでいる最中でも、曲の合間にはじつは野球のことを考えているのだという。

「こんな自分を応援してくれる人がたくさんいる。そこを裏切るわけにはいかないですから」

 このところ石川の先発日は土日に集中している。「週末ヒーロー」になるために石川は”パワーカーブ”という最強の魔球で、堂々とバッターに立ち向かっていく。