インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若…

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文・写真=斎藤寿子

 車いすバスケットボール女子日本代表候補の一人、北間優衣(カクテル)。同じ兵庫県出身で、全国障害者スポーツ大会ではチームメートとしてプレーする古野祥子(Brilliant Cats)は「適応力が高く、すごくいろんなことを考えている選手。一緒にプレーしていて刺激を受けることが多い」と語る。今や女子日本代表の主力として活躍している北間。彼女には、今も忘れることのできない一戦があった。

授業での楽しい思い出から始まった“バスケ人生”


 北間がバスケットボールを好きになったのは、小学生の時。当時、体育の授業では、車いすユーザーの“北間ルール”が設けられ、みんなと一緒にスポーツを楽しんでいた。なかでもバスケは特別に楽しかったという。

「バスケだけは、ほかの友だちとほとんど同じルールでできたんです。子どもながら、本当の意味で一緒にやれている感じがして、心から楽しむことができたスポーツでした」

 そして中学校では、バスケ部に入部した。当時、1年生の1学期は全生徒がどこかのクラブに在籍しなければならず、「どうせ入るなら好きなことをやろう」と選んだのがバスケだった。

 しかし、体育とクラブ活動ではやはり違っていた。北間はほとんど練習に加わることができず、マネージャーのような存在だった。友だちがどんどんうまくなっていく姿を見ながら、「私もバスケがしたい」という思いが募っていった。

 そんな北間の気持ちを察した顧問の先生が、ある日、こう言ってくれた。

「北間、そんなにバスケが好きでやりたいのなら、車いすバスケをやってみたらどうだ?」

 すぐに地元のクラブチームの練習を見学に行った。初めて見た車いすバスケは、予想以上に激しく、少しだけ怖さを感じた。しかし、それ以上に強かったのは「私もやりたい!」という気持ちだった。

 その後、さまざまな人の紹介により、2007年に関西を拠点とする女子チーム「カクテル」に加入。現在、日本女子車いすバスケットボール選手権大会(18年より皇后杯を下賜)6連覇という最強軍団の一員として活躍中だ。

初めての予選パラで痛感した代表の重み


 北間が初めて日本代表候補の強化合宿に招集されたのは、カクテルに加入して2年後の2009年。その翌年にはアジアパラ競技大会(中国)のメンバーに選出され、代表デビューを果たした。

 その後も、海外遠征メンバーの常連となっていった北間だが、代表としての実感はなかったという。「今は経験を積ませるためにメンバーに選ばれているけれど、絶対に負けられない予選のような大舞台には、私のような下手な選手は呼ばれないだろう」。そんなふうに思っていた。

 ところが、11年に韓国で開催された、ロンドンパラリンピックのアジアオセアニア予選のメンバーに北間は抜擢された。青天の霹靂と言っても過言ではないほど、彼女には大きなサプライズだった。しかし、本当の青天の霹靂は、この後に待ち受けていた。

 当時、アジアオセアニア地区の女子は、オーストラリアと日本が2強を誇っていた。08年北京パラリンピックでは銅メダル争いをした両国にとって、予選通過は当然のこととして捉えられていた。

 ところが、大番狂わせが起きた。日本が当時は格下だった中国にまさかの逆転負けを喫し、パラリンピックの出場を逃したのだ。中国が歓喜の渦に包まれる中、日本は泣き崩れた。

「私自身もまさか負けるとは思っていなかったので、本当に大きなショックを受けました。試合後のロッカーでの雰囲気は今でも忘れることができません。“あぁ、これが代表として戦うということなんだな”と初めて実感しました。そしてこんな大事な大会に呼ばれたのだから、私も代表としての自覚を持って頑張らなければいけないと、覚悟を決められた試合でもあったんです」

 あれからちょうど10年後の21年、ついに女子日本代表がパラリンピックの舞台にカムバックする。チームとしては3大会ぶり、北間にとっては初めての出場だ。

「結果を出すべきところで、力を発揮するのが代表」と北間。東京パラリンピックでは、あの時の先輩たちの分も、喜びの涙を流すつもりだ。

(Vol.5では、北間選手が注目している選手をご紹介します!)