18歳の堂林翔太が語っていたことの記事はこちら>> 開幕から打ちまくって打率が4割を超え、「鯉のプリンスが覚醒した」…
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開幕から打ちまくって打率が4割を超え、「鯉のプリンスが覚醒した」ともっぱらのカープ・堂林翔太。新型コロナウィルス禍で直接のインタビューは叶わないものの、質問を託してくれれば堂林に聞いてくれるとのこと。さっそく質問を用意して、広報担当者に託した。
ちなみに聞き手を代わりに務めてくれたのはカープの広報、河内貴哉さんだ。國學院久我山からドラフト1位でカープに入団し、21試合連続無失点を記録したこともあるサウスポーだ。2015年限りで現役を引退、その後は一軍広報を務める河内さんが、預けた質問を堂林にぶつけてくれた。以下はそのやりとりである。

今シーズン、開幕から好調を続けている堂林翔太
―― 今年の打席の中で、今まで思うようにできなかったことが『できた』と感じたバッティングと、その時に『できた』と思った今の堂林さんが大切に考える技術の肝を教えて下さい。
「難しいなぁ……やっぱりナゴヤドームでのホームラン(今シーズン第2号)は、そんなに振らずにあそこまで飛んだという、すごくいい感触のあった打席だったと思います」
―― ピッチャーは誰だっけ?
「梅津(晃大/ドラゴンズ)です。インサイド寄りのフォークを右中間に……シチュエーションも(カウントが)3-2で、ランナーがスタートを切る状況でした。ランナーが松山(竜平)さんだったということもあったので(笑)、三振はできないなと思って、とりあえず前に飛ばそうと思いました。そうしたらあの(内角の)球を右中間へ、しかもホームランになったので、あれは手ごたえのある打席でしたね」
―― その時にできたと思った、今、大切に考えている技術の肝というのは。
「技術というか、僕は今まで強引に引っ張りにいくというバッティングだったんですけど、インサイドの球でもセンターに打ち返す、センター中心のバッティングをしようとした、その結果がああいうバッティングにつながったと思っています」
―― ドラフト後、中京大中京の校舎でインタビューさせていただいた時には、『右バッターとしてシーズン200安打を打ちたい』と話して下さいました。今も日本人の右バッターでは山田哲人選手の193安打が最多です。インコースはレフトへツーベース、アウトコースは右中間へホームランを打てるバッティングを目指したいとおっしゃっていた高校時代の堂林さんが今、そのバッティングを目指すために身につけなければならない、必須の技術は何だとお考えですか。
「それもさっきの話と変わらないと思うんですよね。センター中心に、来た球に対して素直に打ち返す。それが全部レフト方向とかに偏ってしまうときもあるんですけど、だいたい練習でそういう偏った打球方向になってしまっていたら、それはあまりよろしくない状態、という感じです」
―― 高校時代は、インコースはレフトへツーベース、アウトコースは右中間へホームランというバッティングだったということだけど、今はコースでわけるということに関してはどうなのかな。
「センターを基本にして、たまたまレフトに飛んだ、たまたま右方向に飛んだ、という感覚ですね。センター方向を意識して、打球方向はボールに聞いてくれ、という感じです」
―― 試合に出られず、結果も残らなかった昨年から学んだり感じたりしたのはどんなことでしょうか。うまくいかないときに自分を前に進める考え方や、自分を励ます言葉などを聞かせて下さい。
「練習するしか、具体的なものは見つからないですね。練習するしかない。あきらめないでやること。それが一番シンプルで、いいと思います」
―― 自分を励ます言葉はありますか。
「単純に、子どもたちの顔を見ていたら、頑張ろうって思えますけどね」
―― パパですね(笑)。
「パパです。3児のパパですね(笑)」
―― 『鯉のプリンス』と呼ばれることについて、今はどう感じていますか。かつては三振写真展が開催されたほどの絵になるプレーヤーである堂林さんが、カッコいい、美しいと感じるのはどういうプレイヤーですか。
「昔から、なんっとも、思わないですね(笑)。周りが勝手に言っているだけで、僕が何かを思ったことは、ひとつもないです」
―― カッコいい、美しいと感じるプレーは?
「派手にプレーしていると、それがカッコいいとか、美しいとかになるのかもしれませんけど、僕はそういうプレーよりも、泥臭く、ひたむきにプレーしている人を見ると、カッコいいなと思います」
―― 野球の神様の存在を信じますか。信じるとしたら、存在を実感したことはありますか。
「信じます(笑)。いるんじゃないですかね。いる気がします」
―― じゃあ、存在を実感したことはあるということですね? どんなときに?
「すごいいい場面で回ってきたりとか、そのくらいですかね」
―― では、堂林さんにとっての野球の神様の性別や年齢など、見た目のイメージを教えてください。
「うーん……これはわかりません。これ、却下でお願いします(笑)」
―― でも、男だろうね。
「そうですね。でも、神様の年齢とかをイメージする人って、いるんですかね。逆に教えてほしいです。教えて下さい(笑)」
―― もし野球の神様がいるとして、ひとつお願いできるとしたら、何を叶えてもらいますか。
「えー、なんだろう……絶対にケガをしない身体かな」
―― やっぱり身体が元気じゃないと、練習もできないし。痛かったら、何かしら影響が出てくるからね。
「そうですね。僕もそう思います。ケガをしない、丈夫な身体を、最強の身体を下さいとお願いします」
過去、球界で『プリンス』という冠がついた選手はそんなにいるものではない。記憶に残るプリンスと言えば60年代、”甲子園のプリンス”と騒がれた太田幸司、70年代に”六大学のプリンス”と呼ばれた山下大輔、さらには80年代、”球界のプリンス”と称された原辰徳が挙がるくらいだろうか。21世紀に入ってからだと斎藤佑樹の”ハンカチ王子”も、日本語バージョンとして含めればプリンスのひとりと言ってもいいのかもしれないが、いずれにしても『プリンス』は過去、球界には数えるほどしかいない。
そんななか、”鯉のプリンス”がようやく覚醒した。まだ早い、と言うなかれ。シーズンが終わってからでも同じ言葉を綴れるはずだと、今は確信している。ボール球を振らない、センターへ打ち返す……そのための技術的な裏づけと精神的な覚悟が、今の堂林には備わっている。河内広報から託された音声ファイルには、そう感じさせるだけの自信に満ちた、28歳のプリンスの声が残されていた。