甲府工・山村親子「ふたりの夏物語」(後編)前編から読む>><技術者となる前に人間となれ> 甲府工が掲げる信条を、山村貫太…

甲府工・山村親子「ふたりの夏物語」(後編)

前編から読む>>

<技術者となる前に人間となれ>

 甲府工が掲げる信条を、山村貫太は好む。

 工業高校であるから、「技術者」とは機械や建築、土木など産業の礎となる技術を習得する生徒を指すのだが、貫太としての解釈は「野球選手となる前に」だろうか。



1年秋から強打の外野手として試合に出ている甲府工・山村貫太

「野球部としての目標は甲子園で校歌を歌うことだが、おまえたちには社会に出ても立派な人間に育ってもらいたい」

 ミーティングで繰り返す前田監督の言葉に、貫太の背筋が伸びる。

 コロナ禍の影響で甲府工は3月4日から休校となり、野球部も活動自粛を余儀なくされた。それでも貫太は「レベルを上げるチャンスだ」とプラス思考を貫いた。

 シーズンオフの冬から取り組んでいる打撃フォームの調整。楽天の浅村栄斗のように上半身をリラックスさせ、下半身は広島の鈴木誠也のような重心移動を心がける。庭でティー打撃ができるようにと、ネットを立て人工芝を敷き、ボールを用意してくれた父のサポートにも力がみなぎった。

 自粛期間中の貫太は、「落ち込んでいる暇なんてない」と言わんばかりに積極的だった。

 チームのグループLINEでは、主将の山本圭介と相談した上で、副主将として仲間たちを鼓舞した。

「あの時期は、自分でも腹をくくっていました。気持ちを押し殺すことなく、伝えたいことは伝えようって。『みんなのためにやろう』ってことだけを考えていました」

 5月20日。貫太はいつもと同じように、チームメイト数人と近所のグラウンドで練習をしていた。すでに「たぶん夏の大会はないんだろう」と、覚悟を決めつつあった。それでも貫太は、仲間に「中止になっても、部活が再開するまで練習しような」と約束した。

 正式に夏の高校野球選手権大会と都道府県大会の中止が決まっても、大きな落胆はなかった。それよりも「あいつら大丈夫かな?」とチームメイトを心配する自分がいた。

「代替大会があることを信じて頑張ろう」

 夕食時、仕事から帰ってきた父からかけられた言葉はそれだけだった。

「うん。やるだけだね」

 貫太は短く答え、夕食を済ませると自室にこもった。泣くわけでも、うなだれるわけでもない。女子マネージャーを含む3年生部員と、主力メンバーの2年生に電話をするためだ。

「どんな形でも大会は絶対にあるから。ここから、みんなで頑張っていこう!」

 チーム全員が前向きになってくれていることが、貫太にとって何よりの救いだった。だからといって、甲子園が断たれた事実は覆らない。”山村宏樹の息子”という看板を背負わされながらも、「父と甲子園に行く」という目標を励みにやってきた。なのに、父と甲子園に行く夢はもう叶わない。

「悔しくなかったのか?」。そう尋ねると、少しの沈黙のあと「そうですねぇ……」とつぶやき、こう答えた。

「悔しくないと言ったら嘘になるんですけど、暗くなっても仕方ないと思っていたので。『自分の役割をまっとうしよう』って、どこかで割り切っていた部分はありました。父はもちろんですけど、チームのみんなも僕の立場をわかったうえで支えてくれたので、苦しくはなかったです」

 貫太の思いに触れ、ふと感じたことがあった。父がプロ野球選手で、さらに選手と指導者という特殊な環境に身を置くことで、物事を冷静に、俯瞰して見るようになったのではないかと。

「いやぁー」とやんわり否定し、次いで出た言葉が、甲府工の信念と前田監督の訓示だった。

「やっぱり、工業にきて育ててもらったことが一番じゃないですかね。人間性を重んじる姿勢っていうのは、自分でも大切にしているので」

 息子の克己する姿に頼もしさを抱く一方で、宏樹の胸は張り裂けそうだった。自粛期間中、息子の愚痴や不満を一度たりとも聞いたことはなかった。強いて言えば「いつになったら、グラウンドで野球ができるんだろうね」といった、ちょっとした不安だけだ。

 心のモヤモヤを吐き出すように、宏樹が揺れ動いた感情を言葉にする。

「息子にとって大きな、大きな目標だったんです。僕にとっても大きな、大きな夢でした。甲子園を目指してみんなも練習して、僕も指導してきて。それがなくなってしまったわけですから、本当に残念でした」



2014年から母校である甲府工のコーチを務める山村宏樹氏(写真左)

 そして、本人にとって酷だと知りながら、あえて聞いた。

「指導者としてではなく親として、よりによって、なんで今年なんだと思うことはなかったのか」と。すると、宏樹は即答した。

「思いましたよ。今でも思います。保護者会の会長とも話すんですけど『この苦しみ、悲しみは当事者にしかわかりませんよね』と。そうはいっても、何も始まらないこともみんなわかっているんです。親はそういう感情を出さないで、子どもたちに次の目標を与えて、導いてあげないといけないんです」

 甲府工野球部は、6月第2週から活動を再開した。1週間は1日30〜40分程度の自主練習という形だったが、宏樹は選手たちに自由を与えず「今日はノック」「明日はバッティング」とチーム全体練習を行なった。それが、スポーツができる喜びを再確認し、チームの結束力が高まることにつながると思ったからだ。

 6月25日、47都道府県で最後に山梨県の代替大会の開催が決まった。例年のように、万全の準備で臨めるわけではない。しかし、貫太が言っていたように、チームの本気度は昨年を上回るほど熱を帯びている。

「優勝して悔しがる」

 これが、チームの合言葉だ。貫太が言う。

「だって、優勝しないと『甲子園には行けなかったけど……』って言えないじゃないですか」

 心身ともに逞しくなった貫太は、不動の1番打者として7月23日の日大明誠戦に臨む。初陣を目前にし、父への想いを語った。

「僕が工業で野球をやりやすくしてくれたのは、やっぱり父がいたから。チームのみんなに親身になって接してくれているし、保護者の方たちとも仲良くしてくれて……。父が近寄りがたい存在だったら、僕だってそうなっちゃうじゃないですか。そういう環境で野球をさせてくれて、本当に感謝しています。みんな『山さん』って慕っていますからね。多分、父は知らないと思いますけど(笑)」

 思いは宏樹も同じだ。同校の先輩として、指導者として、父として……山村貫太という選手を最後まで見届ける。

「プレッシャーだったり、苦労だったり、息子なりに言葉にしなくても感じながらやってきた部分はあると思うんです。それを最後の夏にぶつけてほしい。本当にいい仲間に出会えて『甲府工業に来てよかった』と思ってくれているはずなんです。その3年間の証を大会で残して、卒業してもらいたい」

 山村親子の集大成の夏──頂点への道筋は、たしかに見えている。