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「オープン球話」連載第23回 

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ヤクルト、西武、メジャーリーグでも活躍した石井一久 photo by Kyodo News

【ヤクルト史上ナンバーワンサウスポーは?】

--ここまで、スカウト時代の思い出を振り返っていただいていますが、今回は「スカウト編」の最終回として、八重樫さんにとってのスカウト最終年となる2016(平成28)年について伺いたいと思います。

八重樫 この年は履正社高校の寺島成輝が1位だった年だよね。

--そうです、1位・寺島、2位・星知弥(明大)、3位・梅野雄吾(九州産)、4位・中尾輝(名古屋経済大)、5位・古賀優大(明徳義塾)、6位・菊沢竜佑(相双リテック)という指名になっています。

八重樫 この年、僕の担当エリアである北海道・東北の選手は6位の菊沢だけど、彼の場合は軟式出身できちんと見ていなくて、別の担当者が見ていたんですよ。29歳でのプロ入りだったけど、ひじを壊して、肩も壊してプロ選手人生は2年間と短かったですね。1位の寺島は早い段階から指名を決めていたようだけど、個人的にはそんなに評価していなかったんですよ。

--評価しなかったのはどうしてですか?

八重樫 僕は花巻東時代の菊池雄星を見ていますから。同じサウスポーの雄星と比べると、どんな投手でもかすんでしまうのは仕方がないことかもしれないけどね(笑)。ただ、寺島もこの年の高卒投手の中では抜群の素質でしたよ。彼も今年4年目で、開幕第3戦でもいいボールを投げていたし、そろそろ台頭してくるんじゃないかな?

--前回も伺いましたが、八重樫さんにとっての「歴代最強投手」は阪神時代の江夏豊さんでしたよね。これまで、ヤクルトにもさまざまなサウスポー投手が在籍していましたが、ヤクルトの歴代左腕で印象に残っているのは誰ですか?

八重樫 ヤクルトの歴代最強サウスポーと言えば、やっぱりカズ(石井一久)じゃないですか。高校卒業当時はまだ粗削りだったけど、ボールの勢いはすごいし、モノが違ったよね。

--菊池雄星投手と比べるといかがでしたか?

八重樫 僕の考えでは、1位がカズで、そのちょっと下の2位が雄星という感じです。2005年ドラフト1位の村中恭兵もいいサウスポーでしたね。もっと活躍してもいいと思ったけど、今は独立リーグの琉球ブルーオーシャンズで頑張っているんでしょう? まだ32歳だから、もうひと踏ん張りしてほしいよ。

【指導者とスカウトはまったく異なる職責】

--そして、2016年限りでスカウトを退任されました。指名や獲得にはいたらなかった選手で、八重樫さんにとって印象に残っている選手は誰でしたか?

八重樫 野手なら八戸大学の秋山翔吾、投手なら菊池雄星ですね。2人とも西武に行って、今ではどちらもメジャーリーガーになった。ちなみに、西武の北海道・東北担当スカウトは秋田出身の水沢英樹っていうんだけど、彼がすごく熱心なんだ。

--秋田経法大付属高校(現・明桜高校)から1988年に広島入りした後、西武の打撃投手を経て西武のスカウトになっている方ですね。

八重樫 細川亨、岸孝之もそうだし、最近では山川穂高、外崎修汰、多和田真三郎もそう。彼は富士大学との関係が強くて、いい選手を獲得しているね。僕らも必死にパイプを作ろうとアプローチをしたけど、なかなかうまく進まなかったんです。

--八重樫さんは一軍、二軍で指導者も務め、スカウトも経験しました。両方の経験を踏まえて、自分ではどちらが向いていると思いますか?

八重樫 指導者とスカウトは、似ている部分もあればまったく違う部分もあります。「選手を見る」という部分では近いものがあるけど、入団交渉や駆け引きというのはスカウトならではのものだし、そういう部分は最後まで苦手でしたね(苦笑)。もちろん、反省点も多いですよ。もっと何度も足を運びたかったし、ルールの範囲内でもっと積極的な交渉もしたかったな。ただ、球団の事情として何度も現地に行くことはできなかったり、自分の性格的にもできなかったりしました。

--正直なところ、ルール内でギリギリの駆け引きが繰り広げられるであろうスカウトの世界より、泥にまみれて若手を指導する方が八重樫さんに向いている気がします(笑)。

八重樫 そうなのかな? 自分ではわからないけど、スカウトを経験することで、アマチュア選手を多く見る機会も得られたし、今、野球教室をする際にもすごく役に立っているとは思います。スカウトはチーム強化に直結する大事な役職だから、自分なりにこの8年間は一生懸命頑張ったっていう思いはありますよ。でも、もう一度、どちらかを選べるとしたら、やっぱり指導者を選びますけどね(笑)。

【46年間過ごしたヤクルト球団を退団】



現役時代の八重樫氏(写真:本人提供)

--そして、八重樫さんはこの年限りで球団を去ります。1970(昭和45)年のプロ入り以来、実に46年間もヤクルトひと筋のプロ野球人生でした。感慨もひとしおだったのではないですか?

八重樫 もちろん、感慨深かったよ。僕たちはヤクルトが球団経営を始めたときの入団で、いわば1期生みたいなものだからなおさらだね。野球の「や」の字も知らなかった頃に、プロ野球選手として、社会人としていろいろなことを教わった。若手の頃の三原脩さんから始まって、中堅時代には広岡達朗さん、現役晩年には野村克也さんなど、「名将」と呼ばれる人たちの下でプレーすることができましたからね。

--さらに現役引退後も、指導者として、スカウトとしてもチームとかかわり続けたわけですからね。

八重樫 指導者時代には、自分が現役時代に学んだこと、感じたことを大切に若い選手たちに伝えるように心がけてきました。現役時代に中西太さんに教わったことをベースに自分なりに若い選手たちを鍛えていくのは楽しかったです。スカウト時代は、さっきも言ったように慣れないことも多かったけど、新しい才能を探す面白さがあったよ。

--ヤクルト時代、最大の思い出は何でしょうか?

八重樫 やっぱり、現役時代のことかな? 初優勝した1978年、僕は開幕スタメンも任され、絶好調だったんだけど、4月後半の巨人戦、ホーム上のクロスプレーで左ひざ内側靱帯を断裂して半年近く野球ができなかった。何とか日本シリーズで一打席だけ代打で立ったけど、あのときの悔しさがあったから、その後は体を大切にするようになって、24年間も現役を続けられたわけだからね。

--それにしても、46年間はとても長い期間ですね。

八重樫 ホントにそうだよね。だから今でもヤクルトに愛着はあるし、ヤクルトのおかげで幸せなプロ野球人生を過ごすことができた。本当に感謝しかないよ。

(第24回につづく)