「私は、テニス界のために何がしたい? 私には何ができる……?」 それは、彼女が3年前にセカンドキャリアを終えた時から幾度も、幾度も、自身に質し続けた問いだという。熱のこもった指導を行なう伊達公子 26歳のキャリア全盛期で現役を退いた時には、…

「私は、テニス界のために何がしたい? 私には何ができる……?」

 それは、彼女が3年前にセカンドキャリアを終えた時から幾度も、幾度も、自身に質し続けた問いだという。



熱のこもった指導を行なう伊達公子

 26歳のキャリア全盛期で現役を退いた時には、当分はテニスから離れたいと願った。

 だが、ケガや常識にも抗い、体力の限界まで戦いに戦い抜いた47歳での引退後は、「テニスから離れるつもりは、まったくなかった」と言う。

「選手を終えて次のキャリアに進むうえで、何かしら引きだしを増やそう」

 その思いから、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科へと入学する。

 多くの刺激的な出会いもあったその学び舎では、国内のテニスコートと育成・強化の関連性について研究した。そこで、適切な環境整備と正しい指導が今、灯るテニスの火を絶やさぬためにも急務だとの思いを強くした。

 伊達が世界4位まで上り詰めた1990年代には、グランドスラム本戦に日本女子選手が10人前後出場していた。それが、現在は2、3名にまで減っている。

「今は大坂なおみ選手という、トップを走る大きな存在があるものの、そこに続く選手が出てきていない。その現状に、何か手を打たなくてはいけないのでは……?」

 そう思った時に「女子ジュニアの育成に興味が湧いてきた」のは、必然だっただろう。彼女には圧倒的な知名度と発信力、そして「他社のラケットを試打したこともない」ほどに信頼を寄せる、ヨネックス社というパートナーもいる。

 それら種々の要因が重なり、ひとつの方向を示した時、彼女の「何ができる?」との自問にも解が出た。

 指導する選手は、まだ色がつく15歳前がいい。将来性を見極めるためにも、オーディションで自ら参加者を選考し、隅々まで目が届くように少数精鋭とする。

 そのような理念を掲げた『伊達公子×YONEX PROJECT』が、昨年5月に発進した。

 書類選考と選考会を経て、4人の第一期生が決まり、東京で第1回キャンプが行なわれたのが1年前の6月末のことである。

「私自身、『トップ・オブ・トップ』で育ってきた選手ではない。その私に隠れていた才能をコーチたちが見つけ、早い段階で世界で戦えるように引き出してくれた」

 伊達は自らの足跡を、そのように定義する。

 必ずしも幼少期から、トップである必要はない。大切なのは将来を見据え、そこに至るまでのプロセスをおろそかにしないこと……。

 自身の経験に即し、その真理を知る伊達は、今回のプロジェクトの選考会でも過去の戦績や履歴にとらわれることなく、「何か普通じゃない才能、何かしら世界で戦える武器を作れる要素を持っている子」を選んだのだと言った。

テニス歴は4年ながらも、小学1年生時に極真空手国際大会で優勝した山上夏季などは、その好例。

「そのような子どもたちに、自分たちにも可能性があることに気づいてほしい。彼女たちが無駄な寄り道をすることなく、できるだけいい形、いい環境のなかで目標を持って世界で戦えるようにするのが、私にできること。自分の経験を伝えることを第一に考えています」

 それが、自ら立ち上げたプロジェクトにおける、伊達の指導理念だという。
 
 それら伊達の信念は、今年6月20日、21日に行なわれた第5回キャンプでも存分に発揮されていた。

 選手相手に自らラケットを手にし、ストロークやサーブなどひと通りのウォームアップを終えると、伊達は選手ひとりひとりと長い話し合いの時間を持った。とくに、この時はコロナ自粛明け直後のため、選手個々の状況を把握しておきたかったこともある。

「本人の口から、どんな状況であったのか話してもらいました。(コロナのため)大会もなくなり、目標を立てにくい状況であることも踏まえて、彼女たちがいつ、何を目指していくか見失わないためにも、明確な目標の大会や時期を私と話したほうがいいかと思いました」

 その話し合いの効果と手応えも実感できたと、伊達は言った。

 キャンプ初日に伊達の指導を受けた山上も、「まず目標を決めて、それに対する行動を一緒に考えたりしました。目標は、来年の全日本ジュニア選手権で優勝することです」と明言。

 また、技術面では「打ったあとにすぐに構えるように、とのアドバイスや、ボレーの打ち方も細かく教えてもらえました」と顔を輝かせた。

 伊達からの助言は時に、日頃通うテニスクラブのコーチのそれと、異なることもある。ただ、その時には「ふたつの意見を足して取り入れています」という山上。このような自主性と思考力も、伊達が選手に求める資質だろう。

 伊達自身は、指導者としての自分を「まだ自信はないし、一緒に成長していくしかない。今日も言葉にすることの難しさも感じているし、どう表現すればいいのかを勉強中」だと評価した。だからこそ、選手の経験も豊富なコーチ陣やトレーナーも交えてチームを結成し、広く意見を取り入れている。

 そのうえで、伊達が何より重視するのは「みんなが同じところを見ている」こと、そして「子どもたちがいい方向へ向かっていくこと」。

 伊達はこのプロジェクトを発足する時、「覚悟を持って、一歩を踏み出した」と言った。

 その一歩が、才能の原石を磨く旅路へとつながり、日本テニス界の未来を切り拓くと信じて……。