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 ケニアのスポーツと聞いて、おそらく多くの人はサッカーやマラソン、ラグビーなどを連想されるのではないだろうか。野球と答える人はほとんどいないだろう。だが、ケニア国内の一部地域では学校の授業で野球をやるようになっていたりと、徐々に身近なスポーツになりつつある。そしてケニアにも日本同様に「野球が大好き」「もっと練習して上手くなりたい」という野球選手たちがいる。そんな彼らを率いるのは、日本人の廣谷弥咲(ひろたに・みさき)さん。元独立リーガーで、現在はケニア野球代表監督を勤めている。



 兵庫県芦屋市出身の廣谷さんは、小学校6年生で野球を始める。そこから中学・高校・大学と学生時代は野球に費やした。硬式クラブチームの茅ヶ崎サザンクラブを経て、アリゾナウインターリーグ・トライアウトにも挑戦したことも。四国アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)愛媛マンダリンパイレーツや、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス、関西独立リーグ(初代)の神戸サンズなどでプレーしNPB入りを目指したものの、実力不足を感じ現役引退を決断した。

 ちなみにここまでの経歴で、アメリカは出てきてもアフリカはまだ一度も登場していない。アフリカとの繋がりは、野球とは全く無関係なところから生まれたのだ。廣谷さんは父親や父親の仲間たちとボランティア活動を行なっており、その一環で「ケニアに小学校を建設する」支援をしたことがあった。これがきっかけで当時のケニア大使の方と親しくなり、ケニアという国に興味を抱き始めていたところに「一度ケニアの野球を見に来ないか」とケニア政府の方に誘いがかかる。

 迷わず行くことを決意した廣谷さんは、到着後すぐに現地野球機構の方々を紹介され、選手の練習見学や、関係者とミーティングを行なった。そのとき聞かされた選手やスタッフたちの「ケニアで野球のプロを作りたい。野球で人生を、自分を変えたい。両親や家族を支えたい」という想いが廣谷さんを突き動かす。



「ケニアで子どもたちが無邪気にボールを追いかける姿に感動してしまって……ケニアには、サッカーやマラソンなどの”稼げる”スポーツもあるんですよ。それなのに、貧困で生活が大変な中で、マイナーな野球を選んでやっているんです。僕も野球をやっていた人間として、どうしてもほっとけないという気持ちになって」

 当時のケニアには野球のルールを教える人はいても技術的な指導者はおらず、それどころかプレーに必要な道具もグラウンドもなかった。でもそこには、かつての自分のように野球が大好きな子どもたちがいた。廣谷さんは一念発起して当時勤めていた会社を辞め、ケニアでの野球指導を行うことを決意する。



 指導を始めた当初は、グラウンドとは名ばかりの照明もない草っ原でのスタートだった。必要な用具は日本にいるかつてのチームメイトや仲間に協力してもらい、寄付を募った。使い古されてボロボロのスパイクやグラブ、縫い糸がほつれて無くなってしまったボール……日本だと捨てられてしまうようなものも、ケニアでは今も大切な道具として活躍している。



 現在指導しているナショナルチームの選手たちは、16歳から30歳までが在籍し、学生から社会人、子持ちのパパなどもいる。日本の部活動に見られるような年齢による厳しい上下関係などはないが、年長者の面倒見は良いそうだ。練習は週4日行なっているが、それでは足りずに「毎日でも練習させてほしい!」と言ってくるという。お昼休憩も取らずに練習してしまう選手もいるという。そんなに熱心に練習しているのに、大会メンバーに選出されず不貞腐れたりするような選手はいない。ただただ「野球が大好き」、その気持ちが揃っているからだろうと、廣谷さんは言う。



 ケニア人は基礎体力が高く、また身体能力が優れており、やり方やコツを掴めば大化けする可能性を秘めている。サッカーやマラソンなど、他のスポーツの成功例を見れば明らかだ。野球もそうならなくてはならないのだ。

「自分は2015年から指導を始めましたが、2019年現在も野球をやる環境は整っていません。野球はまだ”稼げるスポーツ”になっていないんです。でも、ケニア人持ち前のポテンシャルの高さと野球愛で、世界に通用する選手になれると信じています」



 もしケニア人選手がプロ野球選手として成功し、家族や地域に貢献できると知れば、後輩たちも希望を持って後に続くことだろう。ケニアに眠るダイヤモンドの原石が輝きを放つ日を待つばかりだ。

文/戸嶋ルミ