-Global Baseball Bizの記事一覧はこちら- スタジアムDJ・南隼人さんは東北楽天イーグルスのラジオ実況、千葉ロッテマリーンズの中継レポーター、プロバスケB1リーグ所属チームのアリーナMCなど毎日のようにスポーツの現場で声を…

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 スタジアムDJ・南隼人さんは東北楽天イーグルスのラジオ実況、千葉ロッテマリーンズの中継レポーター、プロバスケB1リーグ所属チームのアリーナMCなど毎日のようにスポーツの現場で声を張る。

 17年の第4回WBCでは侍ジャパンのオフィシャルMC、昨夏は台湾プロ野球・ラミゴモンキーズのスタジアムDJを務めるなど、活躍の舞台は世界に広がっている。

侍ジャパンのオフィシャルMCでDeNA・筒香嘉智をインタビューする南さん

 南さんはスタジアムDJの醍醐味を熱弁する。

 「チームを勝たせる空気を作ることです。もちろんプレーするのは選手ですが、少しでも勝利の後押しをしたい。お客様に楽しんでもらうことも重要です。ラミゴのスタジアムDJで台湾に行った時は、台湾語ができないので正直不安がありました。でも『パイソー!』(日本語で拍手)と呼びかけると、お客さんが反応して大きな拍手を何度もしてくれました。球場の熱気に国境はないのだなと感動しました」

 球場の空気に同じ瞬間はない。どの言葉をチョイスすれば盛り上げられるか。言葉を必要としない場面もある。一瞬一瞬の判断が求められる奥深い世界だ。

 大きな失敗を犯した時もある。横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJを務めていた13年5月15日の楽天戦(横浜)。

 「当時新人だった白崎浩之選手(現オリックス)がプロ初スタメンの試合でした。盛り上げることばかり考えてしまって…」

 試合開始時、南さんがベンチから守備につくスタメンの選手たちを次々に紹介する。一塁・ブランコ、二塁・内村賢介、遊撃・白崎浩之…ここで本来なら三塁・中村紀洋をコールするはずが飛ばしてしまい、捕手・鶴岡一成へ。ベンチからは「ノリさん!ノリさん!」という声が聞こえたが、時すでに遅し。取り残された形の中村が最後に苦笑いで三塁の定位置に走っていった。

 「ノリさんは猛打賞3打点の活躍だったので少し救われましたが、許されることではありません」

 試合後に謝りに行ったら、「打ったからええで」と笑って許してくれたが、翌日の練習前に再びグラウンドで謝罪した。「大丈夫やから。これからもよろしくな」と声を掛けられて救われた。

 「大きなミスだったのですが、あの一件以来他の選手にいじられるようになりました。翌日の試合前もベンチでは『ノリさん、今日も呼ばれないんじゃないですか?』と選手たちが話していたそうです。ノリさんが許してくれたからこそ話せるエピソードです」と笑った。

 南さんの名が知れ渡ったのは当時不動の4番だったトニ・ブランコのコールだった。13年からバッターコールも任されるようになり、巻き舌で「トォニィイイイイ・ブゥウウウウ
ウウランコオオオオオ!」と叫ぶのが、野球ファンの間で話題になった。実はあのコールに特別な思いが込められているという。

 話は04年にさかのぼる。南さんが大学4年時にヤンキースタジアムで試合観戦した。先発投手はヤンキースが通算303勝左腕のランディ・ジョンソン、レッドソックスがナックルボーラーで通算200勝右腕のティム・ウェイクフィールド。ヤンキース打線はバーニー・ウィリアムス、デレク・ジーター、松井秀喜、アレックス・ロドリゲスと豪華な顔ぶれだった。

 この試合で、南さんが最も鮮明に記憶しているのが球場アナウンサーを務めていたボブ・シェパード氏の「ジェイソン・ジアンビ」コールだった。シェパード氏は51年から07年までの56年間、ヤンキースの選手紹介を務めた伝説のアナウンサーだ。

 「ジアンビのコールがものすごくかっこよかったんです。今でもシェパードさんの声を覚えています。球場で聞いたら打つ気しかない。スタジアムDJになった時にジアンビのコールをブランコで真似させて頂きました。ブランコが13年の春先凄かった(3,4月月間打率・350、15本塁打)のもありましたね。球場のボルテージも凄かったので、こちらも雰囲気に乗せられてどんどん巻き舌になってああいう形になりました」と明かす。

 DeNAのスタジアムDJは球団創設した12年から15年まで4年間務めた。

 「貴重な経験でした。特に中畑清監督にはお世話になりました。試合の次の日に囲み取材に顔を出すと、『昨日の仕切り良かったよ』、『あのヒーローインタビューは少し長かったな』と幾度も指摘してくれました。15年限りで退任されたのですが、中畑監督のおかげで仕事の人脈も増えました。本当にありがたいです」と感謝の念を口にする。

試合前にトークで球場を盛り上げる南さん。

 ただ、スタジアムDJとして自立するまで順風満帆な道のりではなかった。南さんが就職活動していた12年前はプロ野球のグラウンドでDJが盛り上げる発想すらなかった。だが夢を叶えるために、神宮球場のグラウンド整備、ハワイアンレストランのホールスタッフなど様々なアルバイトをしながら、少しずつ経験を積んでいった。後編ではスタジアムDJとして活躍するまでの南さんの生活を伺っていく。

文・平尾類