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 今でこそ、スタジアムDJは球場を盛り上げる役割としてプロ野球界で認知されているが、南さんが学生時代の20年前は違った。選手名をアナウンスするのはウグイス嬢で、DJが球場を盛り上げるという発想すらなかった。目標にたどりつくレールが敷かれていたわけではない。なぜ、スタジアムDJになり得たのだろうか。

 南さんは物心着いた時から、「世界を舞台に活躍する人間になりたい」と漠然とした夢があったという。幼少の頃に父親の明夫さんから「世界をまたにかけろ。英語をしゃべれるようになれ」と口癖のように言われた影響も大きかったのだろう。中学3年時に、ドジャース・野茂英雄が日米を熱狂の渦に巻き込んだ活躍が、思春期の多感な時期で大きな刺激になった。「スポーツニュースを見れば毎日野茂さんが報道されている。野茂さんが行く前は日本人がメジャーリーグで活躍する発想がなかったのでなおさら凄さを感じましたね。僕もどんな分野でもいいので、世界で活躍したいと思いました」。

 スタジアムDJの仕事に出会ったのは、大学3年の豪州留学中だった。留学先でニューカレドニア世界親善野球大会に出場。その時に出会った外国人のスタジアムDJに魅了され、自身の人生のターニングポイントになった。「音楽がかかって球場を盛り上げている外国人の姿を見て、野球とDJの相性が良いことを確信しました。日本でも絶対に成功すると。どの仕事をやりたいとかそれまで目標がなかったのですが、自分の中で覚悟が固まりました」と振り返る。

ニューカレドニアの世界親善野球大会に出場した南さん(後列右から3人目)

 大学卒業後に京都のアナウンサースクールに通ったが、就職活動では「僕がなりたいのはスタジアムDJだから」とテレビ局アナウンサー職の採用試験は一つも受けなかった。24歳で上京すると、神宮球場のグラウンド整備、ハワイアンレストランのアルバイトを2つ掛け持ちした。神宮にいれば野球に携われる。外国人客が多いハワイアンレストランで働けば英語の学習に役立ち、ステージショーを盛り上げるDJもできる。06年から冬場は地元・岐阜と福井で計10年間、スキー場でDJのアルバイトを続けた。スキルアップに励む日々。一方で同世代の人間は定職につき、サラリーマンとして安定した生活を送っている。不安はなかったのか?「不安がないことはないですけど、自分のやりたい夢を叶えるために必要な時間だと思いましたね。やるしかないと。もうそういう思いしかなかった」。覚悟を決めて、その道を貫いた。

 南さんの持ち味は行動力だ。ルートインBCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスでスタジアムDJを希望して履歴書を送ったが、球団から返信が来なかった。だが、あきらめない。東京から夜行バスで群馬に向かい、球場で選手のコールをやらせほしいと球団関係者に直訴した。報酬が出るわけではない。イニング間のわずかな間でも球場のアナウンスでコールすると、「もう少しやってみる?」と声を掛けられた。その積み重ねで主催試合に呼ばれるように。10年から1年間、球団のスタジアムDJを務めた。

 海外でもエネルギッシュな姿勢は変わらない。16年にエンゼルススタジアムをプライベートで見学に訪れた際にスタジアムの中を見たいと思ったが、球場が改修工事の時期だった。この時も、あきらめなかった。「少しでも見ることができないだろうか」と警備員に頼み込むと、球場職員を紹介されてグラウンドに入れてもらった。翌17年のWBCオフィシャルレポーターでアナハイムを訪れた際、その球場職員に1年前のお礼を伝えようと再び球場に訪れると、喜んで歓迎してくれた。米国国旗のデザインがあしらわれた帽子をプレゼントされ、南さんは侍ジャパンのユニフォームを贈ったという。勇気を持って一歩前に踏み出したからこそ、新たな出会いが生まれて絆が深まった。「出会いに感謝ですよね。その半年後の17年オフに大谷翔平がポスティングシステムを利用してエンゼルスに移籍した時も何か不思議な感じがしました。エンゼルススタジアムのDJとして大谷選手のプレーを伝えられる日が来たら最高ですよね」と思いをはせた。

台湾のラミゴ・モンキーズでスタジアムDJした際にスタッフと記念撮影

 国によって野球への捉え方が違うからこそ奥深い。 メジャーリーグは日本のプロ野球のように鳴り物の応援がない。投手の剛速球が捕手のミットに収まる音、その剛速球をバットで打ち返した際の打球音…。米国のファンはプレーを目だけでなく、耳を澄まして野球を音で楽しむ文化が根付いている。音に敏感な国民性だからこそ、試合前やイニング間に音を使って球場を盛り上げるスタジアムDJがプロフェッショナルとして重宝される。

 台湾は日本の社会人野球の応援スタイルに近い。音楽をかけてチアガールが踊ったり、マイクを使って応援団が盛り上げる。ウグイス嬢やスタジアムDJが公式記録員を兼務していることには驚いたという。WBCでは野球に対する選手のスタンスの違いを感じた。「日本はプロ野球選手になると夢を目指していくのに対し、中南米の選手たちはお金を稼ぐためにプロになる。家族を養ってあげたいとか、大きな家を買ってあげたいとか…夢というよりは生きる術という印象を受けました」と話す。南さんの夢もまだ道半ばだ。「メジャーリーグの舞台でスタジアムDJとして海外のファンに認められたい。日本人では今までやったことがないと思うので大きな目標です」。その言葉には重みがあった。

文・平尾類