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【写真:戸嶋ルミ】オリックス・バファローズの張奕(ちょう・やく)選手

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”令和初の支配下登録選手”となった、オリックス・バファローズの張奕(ちょう・やく)選手。台湾出身で、日本の高校と大学に進学。2019年シーズンは先発投手としてプロ初登板を果たし、その試合で見事初勝利を手にした。2016年に育成野手としてオリックスに入団した彼が、何故マウンドに上がることになったのか。そして叶えたい「あの人の夢」とは。

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叶うべき夢の先へ~野球のために海を渡ったオリックス張奕投手【Global Baseball Biz vol.26】

■高1で台湾から単身来日 日本の高校と大学野球で実力をつける

 台湾での中学校時代、甲子園で投げる花巻東高・菊池雄星投手の姿をテレビで観て奮起し、日本の高校野球で甲子園を目指すと決めた張選手。従兄弟の陽岱鋼(読売ジャイアンツ)選手と同じ福岡第一高校へ入学し、外野手兼投手として日々野球に打ち込むものの、惜しくも甲子園の土を踏むことは叶わなかった。

 高校卒業後は日本経済大学に進学し、野球部で1年次からレギュラーとして活躍するなど存在感を発揮。大学時代は着々と実力と自信をつけ、プロ入りの可能性も大きく膨らんだ。

「高校で甲子園に行けなくて、次の目標をどこに設定しようかと考えたとき、陽岱鋼選手のように日本球界でプロになりたいと思いました。せっかく野球のために日本に来ているのだから『とことん日本の野球をやりたい』と。中途半端な内容で台湾に帰るようなことはしたくなかった。そう思ってプロ志望届けを出しました」

【写真提供:共同通信社】オリックス新入団発表  オリックスの新入団発表で福良監督(中央)とポーズをとる選手たち。

 念願叶って、張選手は2016年ドラフト会議でオリックスから育成1位指名を受ける。大学4年次に福岡六大学連盟で本塁打王を獲得しており、当時は長打力を期待する声が高まっていた。

■「このままではクビだ」悩みだらけの日々

 育成選手として日本の球団に入団することは叶った。次に目指すは支配下登録だったが、入団してからの約一年半は苦悩の毎日だったという。

「入団から特に大きな怪我などもせずに一年半やっていましたが、野手時代はとにかく悩みだらけの毎日でした。そもそも好調・不調の波とか、そういうものではなくて……『どうやって打っていたっけ』という感じで。周りの選手がいとも簡単に打つ様子を見て、羨ましさを感じたりしていました」

 2018年の6月のことだった。当時の張選手は、結果が出せていないことから「もうこのままではクビだ」と思っていたという。そこに、転機が訪れた。

「『ちょっと投げてみるか』と声を掛けられたんです」

 酒井勉育成コーチと、弓岡敬二郎育成チーフコーチ(当時)の提案だった。プロ入り前は外野手兼投手としてプレーをしていたこともあり、肩の強さにも定評はあったが、投手として本格的にやってきたわけではなかった。しかし、このまま野手を続けてもやっていけるかどうかと不安もあった。コーチと相談を重ねた結果、張選手は転向を決意したのだった。

■先輩たちに学び 祖父との思い出に励まされ

 背水の陣の覚悟での投手転向だったが、投げ始めて1ヶ月ほどで肩を痛めてしまった。しかし、そんな状況下だからこそ気付けたことがあった。

「転向したばかりですぐに怪我をして『投手って本当に大変だな』と痛感していたとき、僕のまわりには偉大な投手の先輩たちがたくさんいることに気付きました。タツさん(佐藤達也元投手、現・球団広報)や、金子さん(金子弌大投手、現・北海道日本ハムファイターズ)、マモさん(岸田護投手)も……」

【写真提供:共同通信社】オリックス―楽天17  9回に3番手で登板したオリックス・佐藤達=京セラドーム

 そう、彼の周りには実績も実力も十分な投手の先輩たちがすぐ側にいたのだ。張選手は「先輩たちには相談して話を聞いてもらったり、観察して勉強をさせてもらった」という。それでも辛いときは、亡くなった祖父のことを思い出し、心の支えにしていた。

「僕が小4のときに亡くなったんですが……当時のことは忘れられないですね。亡くなる直前に病院に行ったんです。もう起き上がることも喋ることも出来なくて、なのに僕に向かって野球のスイングの動作をして、『がんばれよ』って最後に伝えてくれたんです。お祖父ちゃんのことを思い出すと、野球をがんばろうっていう気力が湧いてくるんですよ」

 先輩たちに学び、亡き祖父との思い出に励まされ、日本で生き残るため必死に投げる日々。この年、ウエスタン・リーグで5試合を投げ、5回を防御率1.80という数字を残した。

■ついに勝ち取った支配下登録 次の目標は「あの人の夢を叶えること」

 2019年からは外野手から投手に登録を変更し、同年5月1日に念願の支配下登録を果たす。中継ぎとしての登板や調整を経て、8月8日の北海道日本ハムファイターズ戦(旭川スタルヒン球場)でプロ初先発デビューし、その試合でプロ初勝利を挙げた。育成野手として入団した選手による初先発での初勝利という、日本プロ野球史上初の快挙達成だった。

 これまで何度も壁にぶつかりながらも乗り越えてきた張選手。次なる目標を伺った。

「僕はこれから先も、日本球界で長くやっていきたいです。まずは来シーズン、先発ローテに定着して結果を出したいです」

 そして、一呼吸おいてからこう言った。

「マモさんの夢を叶えたいです。マモさんの夢……なんとか、優勝したいですね」

 2019年シーズンをもって現役を引退した、岸田護投手。オリックス一筋14年の右腕は引退会見で、”「オリックスで優勝してから引退」が叶わなかったことは悔いが残る”とコメントを残していた。

【写真提供:共同通信社】記者会見で今季限りでの現役引退を表明するオリックスの岸田護投手=20日、京セラドーム

 張選手は2019年11月開催のWBSCプレミア12での台湾代表に選出が決定し、大舞台のマウンドに上がる日もそう遠くない。国際大会は未経験だが、選手として成長するためにも経験しておきたいという。すべてはチームの優勝のため、やるからにはとことんやりたいと語る瞳には静かな闘志が燃えていた。

取材協力:オリックス・バファローズ
文:戸嶋ルミ