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【写真提供:池永大輔】

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 今回は、日本・アメリカ・オセアニア・ヨーロッパのプロ野球チームで活躍された池永大輔さんのお話を紹介したい。おそらく日本人で池永さんと同様のキャリアを持つ人はいないだろう。これは、唯一無二の海外野球挑戦記録である。

■日本の学生野球からアメリカの独立リーグへ

 池永さんは東京都出身で、元々は水泳をやっていたが、父親の影響で小学生の頃から野球を始めた。右投げ右打ち、ポジションは主に内野手(遊撃・二塁)としてプレーした。大学まで日本の学校で野球部に所属しており、当時のチームは決して強い方ではなかったという。池永さんは大学時代のことをこう振り返る。

「野茂英雄さんの活躍の影響もあって、大学生の時にメジャーリーグをよく見るようになったんです。大学ではひたすらウェイトトレーニングをしたり、バットやバッティンググローブなんかの用具をアメリカから個人輸入したりしていました。日本でプロを目指すとかではなく、アメリカに行きたいという想いが強かったです」

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大学卒業後の24歳の2005年、池永さんは以前から憧れていたアメリカの野球へ挑戦する。ジャパン・サムライ・ベアーズへ入団し、単身渡米したのだ。このチームはアメリカの独立リーグであるゴールデンベースボールリーグの日本人で編成され、NPBチームから戦力外になった人や、アメリカ独立リーグでプレーしていた日本人選手などが主なメンバーだった。しかし、残念ながらチームは一年で解散となってしまう。来年はどうしよう? そんな池永さんの次の所属先チームは、日本人からしたら意外な場所となった。

■ブンデスリーガはサッカーだけじゃない ドイツのプロ野球でプレー

 翌年、池永さんはアメリカ人監督からの紹介もあり、ドイツ・ブンデスリーガ南リーグ所属のマインツ・アスレチックスへ入団する。”ブンデスリーガ”と聞くとサッカーのイメージだが、実は野球ブンデスリーガというものも存在しており、2019年現在北リーグ・南リーグに8チームずつの計16チームが所属している。

「最初はドイツに野球があることも知らずに行きましたが、結果的には行ってよかったです。ドイツ人は体格がいいですし、ナショナルチームに選出されるような選手はすごく優秀でした。普通の日本人選手じゃちょっと敵わないくらいですよ。ドイツの野球のレベルは近年かなり向上していて、メジャーにもドイツ出身選手が数名デビューしているんです。有名なところで言うと、ミネソタ・ツインズのマックス・ケプラー(マクシミリアン・ケプラー・ルジツキ、ドイツのベルリン出身)がそうですね」

ドイツのチームでは、監督がアメリカ人ということと、若い世代は皆英語が話せるということで、やり取りは主に英語で行ったという。池永さんは遊撃手としてプレーしたが、二塁手がアメリカ・テキサス出身の選手でルームシェア仲間だったこともあり、コミュニケーションに問題はなかったそうだ。

■アメリカへの想いを断ち切れず再渡米 そして日本へ

 この年、チームではプレーオフまで進出し準優勝を果たす。非常に充実感と達成感を得られたシーズンで「正直もう野球やめてもいいかな」とすら思えたという。しかし、もう一度アメリカ野球に挑戦したいという気持ちも捨てきれず、オフシーズンにはアメリカのウインターリーグに行くことに。

2007年の年明けからアリゾナでプレーをしていたところ、ロングビーチ・アーマダ(アメリカ・独立リーグ)の監督から誘いを受け、2007年シーズンはアメリカに戻ってプレーする。翌2008年シーズンは日本に帰国し新潟アルビレックスBCへ入団するも、加入時期が8月中旬だったということもあり、あまり試合には出場できなかったそうだ。

■海外でプレーするということ

 日本の学生野球から始まり、この時点でアメリカの独立リーグ、ドイツのブンデスリーガとすでに三カ国の野球を経験された池永さん。それぞれの国を経験して思うこととは。

「海外のチームでは、日本以上にいろんな国や人種の人と一緒にプレーすることになるんです。たとえばドイツのチームでは、ドミニカやベネズエラ人がいて、オーストラリア人もいて、国籍・人種・言葉・文化を超えて一緒になって戦うんです。これは対戦相手のチームも同じで、向こうにもいろんな選手がいます。その中でやっていくということは、すごく刺激がありました」

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「野球だけじゃなく私生活の部分でもそうで、生き方や考え方が違ってぶつかることも分かり合えないことも経験しました。でも、そんな中でも日本では味わえない”多様性”を楽しめたんじゃないかなと。日本に帰国したときは、日本人選手の大人しさに少しびっくりしたくらいです。海外の選手は自己主張がかなりハッキリしていて、『自分はプロ野球選手になるんだ』という気持ちはみんなとても強かったですね」

記事後半では、オセアニアでの経験、そしてヨーロッパの意外な国で選手兼監督を務めた話などを紹介したい。

文:戸嶋ルミ