-Baseball Job Fileの記事一覧はこちら- 野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる連載。今回は、野球防具に定評のある「ベルガードファクトリージャパン」の永井和人社長に話を聞いた。倒産からの会社再建に成功し、今では多く…

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 野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる連載。今回は、野球防具に定評のある「ベルガードファクトリージャパン」の永井和人社長に話を聞いた。倒産からの会社再建に成功し、今では多くのメジャーリーガーに愛用されるようになった。その理由は一体、何なのだろうか。

■ある日突然、知らない方がやってきた

――捕手のプロテクター、打者のエルボーガード、レガースなどの防具を中心に製造・販売している「ベルガード」ですが、会社自体は今年で何年目になるのでしょうか?

永井 会社を新しく始めたのが2012年6月ですから、今年で7年目になりますね。それまでもベルガードという会社はあったのですが、その年の2月に倒産したんです。その後にいろいろと整理するのに3カ月ぐらいかかって、4カ月が経った6月に商標を引き継ぐことができて、そこから新たにスタートしました。

――その頃は業績的には厳しい状況だったということですよね?

永井 はい。職人として入社して、そこから29年間働きましたが、その間にどんどん売り上げが落ちて行っていました。元々は大手のOEM(他社ブランドの製品を製造すること)が中心だったのですが、価格競争の中でどんどん利益率が落ちていって、私が入社した頃と倒産する直前の売り上げを比べると、3分の1ぐらいになっていましたから。

 当然、「このままでは危ないな」と思っていたんですが、そういう中である日突然、仕事中に知らない方がやってきて、「会議室に来てください」と…。弁護士の方だったんですが、その方が「今日で会社はおしまいです」と。「荷物を片付けて、帰ってください」と。今でも鮮明に覚えているぐらい衝撃的でしたね。

――そこから会社を引き継いだということですが、ご自身の中で再建プランはあったのでしょうか?

永井 倒産したのが2月で、新たにスタートしたのが6月。この仕事は2月から4月が一番忙しくなる時期で、6月からだと時期的にそれまでのOEMの仕事をやるには難しくて、どうしようかと。そこで「だったら自分たちでやるしかない」、「自社のブランドでやるしかない」という方向になりました。

 元々、自社で作ってはいたんですが、その製品を多くしよう、と。それが結果的には良かったのかも知れないですね。業界の中で名前自体は知ってくれていましたし、自社でやると利益率も高くなる。以前はOEMが7割、自社製品が3割という感じでしたが、今は自社が7割、OEMが3割という感じになっています。

■メジャーリーガーたちからのダイレクトメッセージ

――社長として事業を引き継いでからの7年間も、決して順風満帆ではなかったのではと思いますが?

永井 そうですね。最初は自分一人で始めて、取引先もゼロになりましたからね。ですので、最初は売り上げも少なかったです。ただ、前の会社にいた人に手伝ってもらうことができましたし、前の会社から材料を安く買えたのは助かりました。そこで最初の年に利幅を多く取れたので、元社員さんに戻ってきてもらって、今は5人でやっています。元々、職人だけで12人ぐらいいたので、それと比べるとまだ少ないですけど、おかげさまで会社的には安定してきました。

――その中でメジャーリーガーを中心に多くの外国人選手がベルガードの製品を使うようになっていった。どのような経緯があったのですか?

永井 一番最初のキッカケは10年ほど前でしたね。イチローのトレーナーの方が知り合いで、その方がマリナーズのトレーナーになった時に、「日本の製品を使いたいメジャーリーガーはいないか?」と聞いてもらったら結構オファーが来るようになりました。

 そこから始まって、その後にマリナーズの選手が他の球団に移籍したりして、他のチームにも広がっていった流れです。向こうはトレードとかも多いので、徐々に知名度も高くなっていって、いろんなチームの選手が使ってくれるようになったのだと思います。

――今はSNS経由で、メジャーリーガーたちと直接メッセージのやり取りをしていると聞きましたが?

永井 はい。そのやり方が一気に増えたのは、インスタグラムを初めてからですね。英語のメッセージが来ていて、最初は何だかよく分からなかったんですけど、よく見たらメジャーリーガーからのメッセージで…(苦笑)。それが2人、3人から10人となり、20人、30人と増えていった。

 外国人選手の世界っていうのは思った以上に狭くて、みんな友達で、仲が良くて繋がっているんですよね。最大で80人ぐらいのメジャーリーガーがうちの製品を使ってくれていた時期もあって、今も60人か70人ぐらいの選手に使っていただいています。

――日本にいる外国人選手たちもベルガードの製品を愛用しているようですが?

永井 そうですね。広島の外国人選手からはいろいろと頼まれたりして、それ以外にも中日のビシエドとか、西武のメヒアとか。多くの選手に使っていただいています。日本人選手も10人ぐらいはいると思うんですけど、外国人選手の方が多いですね。

 私自身は英語を話せる訳ではないので、電話ではなくて全部メッセージでのやり取りをお願いしています。読むだけなら理解できる部分がありますし、ウェブ翻訳などもありますから。そのやり取りの中で、製品の感想だったり、「ありがとう」というような感謝のメッセージだったりを直接送ってくれるので、私としても嬉しいですね。

<後編に続く>
メジャーリーガーたちが! 再建に成功した野球防具メーカー「ベルガード」の永井社長に聞く<後編>【Baseball Job File vol.22】

■プロフィール
永井和人(ながい・かずと)
1961年4月13日生まれ。
東京都出身。
高校卒業後にベルガードに入社。
職人として腕を磨いたのちに企画にも携わり、会社の倒産を機に新たに社長に就任。
自らが最初に作った防具はヤクルトの八重樫幸雄選手のレガース。

【ベルガードファクトリージャパン株式会社】
埼玉県越谷市にある野球国産メーカー。防具を中心に、グラブ、ミット、スポーツウェアなども製造販売。「人と人との繋がりに感謝しジャパンテクノロジーを世界へ」を経営理念に掲げる。
HP:http://www.belgard.co.jp/
オンラインショップ:http://www.belgard.co.jp/shop/
Facebook:https://www.facebook.com/belgardfactoryjapan/
Instagram:https://www.instagram.com/belgard_factory_japan/

取材・構成:三和直樹