-Future Heroes 一覧はこちら-  社会人野球最高峰の大会である都市対抗野球大会。今年の頂点に立ったのは大卒新人4人の野手がスタメンに名を連ねるJFE東日本(千葉市)だった。落合成紀監督が「超攻撃野球」を掲げ、その象徴的存在の一…

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 社会人野球最高峰の大会である都市対抗野球大会。今年の頂点に立ったのは大卒新人4人の野手がスタメンに名を連ねるJFE東日本(千葉市)だった。落合成紀監督が「超攻撃野球」を掲げ、その象徴的存在の一人でもあるのが、攻撃的2番打者を任された今川優馬だ。新人賞にあたり幾多の名選手が過去に受賞してきた若獅子賞を獲得したスラッガーは、高い向上心で進化を続けている。

今川優馬(いまがわ・ゆうま)・・・1996年1月25日生まれ。北海道札幌市出身。山鼻イーグルス(軟式)→真駒内曙中(軟式)→東海大四高(現東海大札幌高)→東海大北海道キャンパス。176cm85kg。右投右打。外野手。

 高校3年生の夏は、全国的にはもちろん北海道内でも無名の存在。背番号もふた桁の控え選手だった。「甲子園は最高の場所、特別な場所でした」と振り返る。仲間と目標を達成できた喜びは今も大きな財産だ。ただ、今川自身の打席は2回戦で代打に立って安打を放った1打席のみ。
 
 中学時代は軟式野球部で札幌市大会にも出場できず区大会止まり。高校で一般入部した当初は「同学年でも下から3番には入っていました」と振り返る。それでも一軍の選手たちの練習が終わった後に自主練習を欠かさず、「僕は野球が好きだし、成長は実感していたので」と決して諦めなかった。

 そうして3年春にようやくひと桁の背番号を獲得した。しかし左手中指の中手骨をダイビングキャッチの際に骨折。懸命のリハビリで夏は代打として甲子園の打席に立ったが、不完全燃焼の気持ちも強かった今川は東海大北海道キャンパスに進学した。

 そこで出会ったのが現在の打撃スタイルだ。当時コーチをしていた岩原旬さんに指導を受けて、現在の常に本塁打を狙うかのような豪快なスイングを身につけた。最初は疑心暗鬼だったが、打球の飛距離がどんどんと増すようになっていき、野球がより楽しくなった。3年春の全日本大学野球選手権で本塁打を放つと、4年時はリーグ戦春秋通算19試合で9本塁打を放った。

 調査書は届いたが惜しくもドラフト指名漏れとなったが、その後に声をかけてくれたJFE東日本で大暴れを続けている。
 都市対抗予選で打率.429を残して、南関東第1代表獲得に貢献。本戦では21打数8安打の成績を残し、準決勝の東芝戦では今秋ドラフト1位候補右腕の宮川哲から逆方向ライトへ本塁打を放った。また守備や走塁も阪急などで活躍した山森雅文コーチから指導を受けて技術や意識が向上。今大会でも積極的な走塁に加え、レフトからの好返球で本塁を狙った走者を刺すなど、存在感を示した。

 大学4年時の全日本大学野球選手権でも初戦を東京ドームで戦うはずだったが、下級生の不祥事で直前に出場辞退。やるせない悔しさを仲間とともに味わっただけに「当時のみんなを代表してという思いもありました。少しは晴らせたかなと思います」と話した。

 そして何よりも「“楽しかった”の一言です」と振り返るように、モットーを大舞台でも貫き通したことが嬉しかった。優勝直後には「(MVP相当の)橋戸賞や首位打者を狙っていたんですけどね」といたずらっぽく笑ったように、まだまだその向上心は尽きることはない。

 常々話す「最後まで諦めなければ必ず報われることを伝えたい」という思い。その説得力は下克上を続けていくたびにどんどんと強いものになっている。

6月には侍ジャパン社会人代表との練習試合で3打席本塁打を放つなど、NPB球団スカウトからの注目度も増している

文・写真=高木遊