「正直、これくらいは出るよな、という感覚でした」 中村克(かつみ/イトマン東進所属)は端正なマスクを崩すことなく、淡々とそう話した。短距離自由形で世界を相手に戦う中村克「これくらい」とは、47秒87のタイムを指す。 2018年2月に行なわれ…

「正直、これくらいは出るよな、という感覚でした」

 中村克(かつみ/イトマン東進所属)は端正なマスクを崩すことなく、淡々とそう話した。



短距離自由形で世界を相手に戦う中村克

「これくらい」とは、47秒87のタイムを指す。

 2018年2月に行なわれたコナミオープンで、中村は自らの持つ100メートル自由形の日本記録を更新した。これは、リオ五輪の銅メダルにも匹敵するタイムである。

「それくらい出せる力がついていると感じていたので。その前のトレーニングも充実していて、記録は出るなと。むしろ、これだけやってきたのだから、出ないわけがない。記録を出せる確信はありました」

 中村にとって、準備がすべてである。

 本番から逆算し、それまでに何をするべきかを徹底的に掘り下げていく。求めるのは量ではなく、精度だ。自己記録が出る時はほとんどの場合、質の高いトレーニングができた時に限られるという。

 初めて出場した4年前のリオ五輪も「47秒台で泳ぐ」という目標を掲げ、大舞台で見事に実現した。日本人初の47秒台を記録した背景には、確かな準備があったからに他ならない。

「ずいぶん前から『リオで47秒台で泳ぐ』と自分の中で決めていて、この時期にどこまで到達していないといけないのか、そうやってひとつひとつ逆算して、完璧なプランニングができていた。あとは、ここで絶対に泳ぐんだという強い覚悟があったから、47秒台を実現できたんだと思います」

 だから、中村は自らの結果に喜んでも、驚くことはあまりないという。

「本番で自分の力以上のものが出るっていうじゃないですか。でも僕の場合は、自分の想定をはるかに超えることはあまりないですね。それがいいことかわからないけど(笑)、これくらいの準備であれば、これくらいのタイムだろうと。それは逆に言えば、自信を持って準備をしているから。目標達成のためにやるべきことをやってきた証だと思っています」

 ただし、リオ五輪では48秒の壁を越えても、メダルには届かなかった。

「47秒で泳ぎたいという気持ちはあったんですが、メダルを獲りたいという気持ちは少し欠けていたのかなと。でも、ほかの種目で友だちがメダルを獲っていたのを見ると、やっぱり五輪ではメダルが大事なんだと実感しました。だから、次の東京では絶対にメダルを獲りたいと、あの時に強く思いました」

 メダル獲得へ向けて、大会後に中村はさっそく行動に移した。コーチ変更の決断を下したのだ。

「僕よりひとつ歳上の、若いコーチについてもらうことにしました。自分たちで情報を入れて、メニューを作るというやり方に変えたんです」

 通常、競泳は経験豊富なコーチに師事するケースがほとんどだ。しかし、中村はこれまでのやり方に限界を感じていたという。

 競泳のなかでもとりわけ短距離自由形は、世界に後れを取っている種目だ。果たして、今までのやり方で太刀打ちできるのか……。そう考えた時、自分たちの方法論でこの4年間を過ごしていこうと決めたのだ。

 その決断に至ったのには、ひとつのきっかけがあった。

「大学の時に、この練習で合っているのかなと感じたことがあって。200メートルは速くなったんですけど、本職の50や100が遅くなったんです。ああ、これは短距離向きの練習ではなかったんだなと。

 そもそも、日本では短距離の自由形が弱いから、目を向けない人が多かったのかもしれない。じゃあ、勝つためにはどういう練習をしていかないといけないのか。自分の経験や知識をもとに、独自の練習を考えていく必要があったんです」

 もっとも、リオ五輪後はなかなか結果が出なかった。記録が停滞したわけではなかったが、翌年の世界水泳では予選落ちも経験。そのため、独自の練習方法には否定的な声もあったという。

「そういうやり方だから記録が出ないんだよ、とか。わからなくもないですよね。僕みたいな感じでやっている選手は、ほとんどいませんから。

 だから、そういった声を払拭するためにも、早い段階で自己記録を出さないといけなかった。納得させるには、それが一番手っ取り早いだろうと」

 コナミオープンで出した47秒87は、東京五輪でメダルを獲るための通過点であると同時に、中村にとっては自らのやり方が間違っていなかったことの証明でもあったのだ。

 東京五輪に向けても順調だった。

 日本記録を出したあとはケガもあってやや伸び悩み、昨年の世界水泳でもケガの影響から決勝進出はならなかった。それでも、中村は自らのパフォーマンスを前向きに捉えている。

「結果的に10番目で決勝には行けなかったんですが、ケガの影響でストロークの精度が悪かったなかでは上出来だったのかなと。(4×100mの)メドレーリレーでは過去最速のラップもマークしましたし、完璧な状態になればとんでもない記録が出ると確信しました」

 五輪イヤーの今年、そのケガも癒えて、状態はますます上がっていたという。

「今年に入っていよいよとなった時に、身体の動きが一気に変わったんです。不安定だった連動もよくなって、ぐんぐん調子が上がっていました」

 ところがそんな折、東京五輪の延期が決定する。

 その報を聞いた時は、多少のショックもあったという。だが、中村はすぐに気持ちを切り替えて、これからの1年をどう過ごすかにベクトルを向けている。

 自粛期間中は当然、水に入ることができず、筋トレを中心に調整を続けた。空いている時間は映画を見たり、ゲームをしたりと、トレーニング中心の日々だったこれまでにできなかったことを楽しむ余裕もある。

「今から追い込んでも、ガス欠してしまいますから。気持ちが乗らなければ、トレーニングの量を少なくします。映画とか料理とか、ゲームとか、違う生活パターンも新鮮ですね。外に出られないのはもどかしいですが、決してマイナスな面ばかりではない。与えられた環境でうまく過ごせていると思います」

 1年後への逆算も、すでに頭の中に描かれているという。

「しっかりプランはできています。五輪本番までそんなに時間があるわけではないですけど、焦らずやっていきたい」

 では、その舞台でメダルを獲るためには、何が必要なのだろうか。

 中村自身は世界に伍する力を培ってきた。しかし、日本人にとって短距離自由形は、競泳で最もメダルのハードルが高い種目である。体格、瞬発力、筋力とあらゆる要素が欧米勢と比べて劣るなか、日本人がこの種目で勝負するのは難しいという声も小さくない。

 しかし、中村はそうした考えも意に介さない。なぜなら、この競技で日本人が勝てなかった原因は、体格的な問題だけではないと理解しているからだ。

 中村は決して「今までの選手を否定するわけではない」と前置きしたうえで、持論を語った。

「僕が高校生くらいまでは、『短距離自由形は世界で戦えない』という認識が日本の水泳界にはあった。どこかで自由形は無理なのかなと思っている風潮はありました。

 でも、僕は水泳を始めたのが遅かったこともあって、そういう感覚はなかったし、そんなことはどうでもよかった。ただ、自分は速く泳ぎたいだけ。誰かが無理だと言っても関係ない。

 固定観念に縛られなかったから、ここまで来られていると自負しています。自分を信じて完璧な準備ができれば、メダルを獲れると思っています」

 爽やかな見た目とは対照的に、その中身は骨太である。

 揺るぎない信念を持ち、目的を達成するために、いかなる努力も惜しまない。いいものがあれば積極的に取り入れ、新たな潮流を察知する先見性も備える。

 そしてなにより、このイケメンスイマーには「歴史を変えてやる」という並々ならぬ覚悟がみなぎっている。

「今の水泳界にはもう、短距離自由形が世界に通じないと思っている人はいないはずですが、一般の人たちにはまだ、そういう認識を持っている人もいるかもしれない。その認識を変えるために、わかりやすいのはやっぱりメダル。だから、東京でメダルを獲って、世界に通じるってことを証明したいです」

【profile】
中村克(なかむら・かつみ)
1994年2月21日生まれ、東京都出身。中学1年時から競泳を始め、インターハイ50m自由形で2連覇を達成。2012年に早稲田大に進学し、2015年のジャパンオープン100m自由形で日本新記録を樹立する。2016年リオ五輪の4×100mリレーメンバーに選出され、第1泳者として47秒99を記録。日本人として初めて48秒台の壁を突破した。イトマン東進所属。183cm、75kg。