昨年夏の甲子園で、今でも印象に残っているシーンがある。3回戦の星稜(石川)と智弁和歌山の一戦。延長11回に星稜のエース…
昨年夏の甲子園で、今でも印象に残っているシーンがある。3回戦の星稜(石川)と智弁和歌山の一戦。延長11回に星稜のエース・奥川恭伸(現・ヤクルト)が右足をつりかけた際、熱中症を緩和する錠剤を手渡したのが、智弁和歌山の主将・黒川史陽(ふみや/現・楽天)だった。

高卒1年目ながら春のキャンプでは一軍に抜擢された楽天・黒川史陽
試合は延長14回の末、星稜がサヨナラで勝利したのだが、この黒川の行動について父・洋行さんはこう語る。
「いつも『自分がやったる』という気持ちを持てと、子どもの頃から言ってきました。あの試合、まったく打てなかった(6打数無安打)のですが、『ここで活躍するのはオレや』って、そう信じてプレーしていたと思います。あのシーンについては、すべては自分のために返ってくるという思いだったのかもしれないですね」
黒川は情に厚く、自分にも厳しい。普段の練習でもストイックに追い込む姿を何度も目にした。自分が主役になりたいと思う一方で、相手には最高のコンディションでいてほしい……それがあの行動につながったのだろう。
ちなみに、黒川は5季連続で甲子園の土を踏み、兄の大雅(現・九州共立大4年)は日南学園(宮崎)で3年春夏に甲子園に出場。弟の怜遠(れおん)も現在、星稜の2年生で、この春に開催されるはずだったセンバツでもベンチ入りする予定だった。
なにより、父の洋行さんは上宮(大阪)で1年秋からレギュラーとして活躍し、1学年上の黒田博樹(元広島)や筒井壮(元阪神)らと一緒にプレー。主将として出場した1993年春のセンバツでは全国制覇を果たすなど、まさに”甲子園一家”である。
洋行さんが高校時代を振り返る。
「僕がいた頃の上宮は、上の2学年で7人もプロに行くほどレベルが高かった。そのなかで早い段階から使ってもらったんですけど、高いレベルのなかに身を置くと、『自分はこんなにできるんだ』と思えるほど上達するんです」
当時の上宮は、大阪で屈指の強豪校としての地位を築いており、ハイレベルな選手が集まっていた。厳しい練習と激しい競争に揉まれ、洋行さんは野球の奥深さを学んだ。
その後、同志社大、ミキハウスでプレー。7年目のシーズン後に休部が発表されると、セガサミーへ移籍。「自分よりも若い子を優先して試合に使ってほしい」と、おもにコーチとしてチームを見守った。8年間在籍したのち、母校・同志社大のコーチに就任。その傍ら、現在は地元・奈良でバッティングセンターを経営している。
このように黒川家の日常に野球があるのは当然で、3人の息子たちも自然と野球に触れていった。
「一応、家にテレビゲームはあったんですけど、『野球のほうが面白いよ』とボールやグラブを置いて、(子どもたちが野球に興味がわくように)仕向けました(笑)」
交友関係の広い洋行さんが連れてきた野球仲間と家族ぐるみで食事をともにすることもあり、そのなかにはプロの第一線で活躍する選手もいた。『こんなすごい選手になりたい』と子どもたちは大きな目標を持ち、野球への興味はどんどん強くなっていった。
もちろん、3人それぞれ性格が違う。父は息子たちの性格についてこう分析する。
「長男(大雅)は周囲を見て、遠慮しながら前に進むタイプ。次男(史陽)は自分の目標に向かって突き進むタイプ。三男(怜遠)はどちらかというとマイペースですね」
唯一共通するのは、小学校の時に所属したチームでキャプテンをやったことぐらいである。
「『これを絶対にやるな』とか、『これは必ずやれ』ということは一度もしていません。むしろ、『好きなようにやれ』と育ててきたつもりです。とくに技術に関しては、自分で興味を持たないとうまくならないですから。ただ、接していくなかで、『落ち込んでいるな』とか『気分が乗ってないな』とわかった時は早めに対処していました。私自身、原因が何なのかを探りたいタイプですので、そこはちゃんと話を聞くようにしていました」
現在、3人の息子たちはそれぞれ離れて生活しているため、近況報告や情報交換はもっぱらLINEだ。黒川家には”黒川組”というグループLINEがあり、父の仕事が終わると3人それぞれが今日あったことを報告し、LINE内での会話が始まる。
野球以外の他愛ない内容も多く、そこから子どもたちがいま何を考えているのか、ヒントを得ることもあるという。その一方で、野球の話になると互いにヒートアップ。自身が撮影した動画を父がチェックし、いろいろとアドバイスするなど、野球談義は延々と続く。
息子たちにとってはよき父であり、よきコーチでもあるが、3人への接し方はそれぞれ違っていたと、洋行さんは言う。
「長男が幼い頃、『自分の息子ならできる!』と泣きじゃくるなか、結構スパルタで教え込んだことがありました。でも、それではアカンと。その経験から、次男にはポイントしか教えず、何か聞いてくるまでこっちは黙っていました。そうすると、質問が増えてくるんです。三男はほったらかしでしたね(笑)。自由にやってきたと思いますが、今ではLINEによく動画を送ってきて、質問してきます」
高校進学の際も相談には乗ったが、最終的には行きたい学校を自分で決めさせた。
長男は、日南学園の練習環境が見たいと言い、父とともに宮崎まで足を運び、自らの目で見て決めた。
次男は将来的に関東の有名大学に進みたいと、当初は関東の強豪校への進学を希望していた。兄と同じく見学に行ったのだが、都合が合わず練習を見ることができなかった。その後、中学の試合で当時、智弁和歌山のコーチだった喜多隆志氏(現・興国高校監督)が現れ、「智弁和歌山でも頑張れば関東の大学に進学できる」とアドバイスを受け、そこから憧れを抱くようになった。
智弁和歌山で1年から経験を積んでいくと、やがて目標は関東の大学からプロ1本へと変わっていく。
「正直、プロに行くにしても大学に進学してからと思っていました。高卒で即プロというのは怖かったですね。プロに行けると言われて行けなかった先輩や後輩を何人も見てきましたし、プロはそんな甘い世界ではないというのはわかっていましたから……」
そう語る洋行さんだが、それでも最終的に本人の意志を尊重したのは、黒川の性格もあった。
「史陽じゃなかったら反対していたと思います。アイツならなんとかなると思わせる姿勢が普段からありました。自分から進んで練習しますし。家族会議を何度も重ねたうえで、最終的には史陽がやりたいようにやれば……という結論になりました」
昨年のドラフトで楽天から2位指名で入団。2月の春季キャンプでは一軍に帯同するなど、高卒ルーキーながら高い評価を得た。これからの活躍が楽しみでならない。
三男も自らの意志で星稜へと進んだ。昨年秋、左ヒジの手術をし、冬場はリハビリなどに時間を費やしたが、ふたりの兄に負けない野球センスを持ち、2年生ながら星稜の主力として期待されている。
「3人とも進学先については大正解でした。星稜の林(和成)監督と僕は同い年で、いろいろと気を遣っていただいています。日南学園、智弁和歌山もそうでしたが、やっぱり安心できるところでないと預けられません。すべて本人たちが決めましたが、自分たちが『ここなら成長できる』と思ったのでしょうね。ただ、息子たちと高校進学の話になると、まず『上宮は?』って聞きましたけどね(笑)」
今後、長男の大雅は教職をとり、大学卒業後は指導者の道を志すという。次男・史陽はこれから本格的にプロの世界での戦いがスタートする。三男・怜遠は高校野球界でどんな成長曲線を描いていくのか、楽しみでならない。
どんな世界に身を置こうが、親として息子たちに願うことはただひとつだと洋行さんは言う。
「人の気持ちがわかる大人になってくれたら……それだけですね」