天野純のベルギーでの戦いは、わずか1年で終わった。所属するロケレン(ベルギー2部リーグ)は新型コロナウイルスに起因した資金難により、破産してしまったからだ。



天野純のヨーロッパ挑戦は不本意な形で終わりを告げた

「海外でのし上がる」という目標は達成できなかった。28歳の天野は悔いを残したまま、今季から古巣の横浜F・マリノスに戻ってプレーする。

 ただ、この1年で得られたものも大きい。ベルギーでは「縦への意識」「前への推進力」「球際の強さ」を培い、メンタル面も鍛えられた。復帰したJリーグでは、進化した「天野純2.0」の姿を披露できるのではないだろうか。本人に今の心境を聞いた。

—— ベルギーでの1年を振り返ってもらえますか。

天野 苦しい時期が長かったですけれど、最終的には手応えを感じることができました。個人的には来シーズンもやるつもりだったし、1部リーグでもやれる手応えはありましたから。

—— 海外移籍で学んだことは?

天野 「前に行く意識」がめちゃくちゃ高いところ。とにかく「前に行け、後ろに下げるな!」みたいな。

—— 日本人は次のプレーの布石としてバックパスに意味を見出しますが、ベルギーではすぐブーイングが飛びますよね。

天野 ホント、そうです。だから、日本の感覚でそのままベルギーでバックパスを出した時は衝撃を受けましたね。「えっ、こんなに怒られるの?」って。

—— ベルギーでは、右サイドに張った位置から中へカットインするシーンが目立ちました。横浜FM時代とは違う役割だったのでは?

天野 はい。サイドアタッカーでした。開幕前のプレシーズンでいいプレーをしたので、グレン・デ・ブーク監督(当時)も最初は右サイドでの起用が多かった。

 でも、ロケレンの調子が上がらず守り一辺倒となり、ボールを前に放り込むサッカーになってしまった。そうなると、俺にボールが来なくなって……。身体能力でゴリゴリ行けるようなタイプだったら、ボールを放り込むサッカーもできるとは思うんですけど。

—— ベルギーでは上半身の強化に努めたのですか?

天野 ベルギーに行って、あらためて「日本人の特徴はやっぱり俊敏性だな」と感じました。ターンした時の一瞬の速さとか、そういう部分。だから、少し体重を落として身体のキレを出そうとしました。体重を重くして”向こうの土俵”で戦うより、身体のキレで戦おうと。

—— 右サイドで新たな自分を見つけることができましたか?

天野 いや。やっぱり自分は「真ん中の選手だな」と感じました。サイドもできると思っていたんですけど、アフリカ系のめちゃくちゃ速いアタッカーを目の当たりにすると……。サイドアタッカーとしての限界を感じました。

—— ベルギーでは娯楽も少ないなか、サッカーのことを考える時間が多くできたと思います。自分と向き合うことができましたか?

天野 けっこう考えてしまうタイプなので、友人もおらず誰にも相談できないから、ベルギーでは完全にメンタルの修行だった。俺のグチばかり聞かされて、嫁さんも大変だったんじゃないですか。だけど、次の試合でうまくいったりすると、その喜びも倍になりました。

—— メンタル的に負のスパイラルに陥ったり?

天野 最初の何カ月かは、実際にそうでしたね。身体の調子はいいのに自分のプレーができないのはなんでなんだろう……とか悩みました。

—— ヨーロッパで活躍する日本人選手の本当のすごさを、ヨーロッパに来たことでわかった。

天野 本当にそうですよ。若い選手は勢いもあるけど、すごいなと思いますよね。海外だと誰も助けてくれないですから。そこからのし上がっていくのはすごい。そこは、行ったからわかる部分です。

—— マリノスにはベテランの大津祐樹選手がいます。彼はドイツやオランダでプレーして苦労も重ねてきました。ベルギーに行く時、アドバイスをもらったりしましたか?

天野 僕の移籍の記事が出た時に「絶対に行ったほうがいい。行かないとわからないところがあるから」と言ってくれました。12月末のウインターブレークで帰った時も(大津)祐樹くんは『2部にせよ、ヨーロッパでやってることには変わりがないから、そこで絶対長くやったほうがいい』と言ってくれた。

 そういう舞台を祐樹くんは経験しているので、説得力がある。「自分もやらなきゃいけない」という気持ちになりました。

—— 昨年11月下旬にスタイン・フレーフェン監督になってから、チームは変わりましたか?

天野 だいぶ変わりました。彼になってから戦術の決め事が多くなった。攻め方にしても守り方にしても整理されたので、チームが大崩れしなくなりました。僕自身も新しい監督になってから、ゴールへの意識が変わりました。

—— ただ、今年1月ごろからロケレンの資金難が報道され始め、2月になると給料を受け取れない選手たちが練習をボイコットしました。ものすごく緊迫した雰囲気だったのでは?

天野 かなり深刻な状況でした。「次の試合までに給料が払われなかったら試合をボイコットする」と言う選手もいて……。でも、結局は『ロケレンを応援してくれているサポーターのため、ロケレンというチームのため。そして自分のアピールのために試合をするぞ』ということになったんです。

—— 試合前の報道では、「これがロケレン最後の試合になるかもしれない」と言われていました。

天野 ファンも「これで最後になるかも……」という思いがあったでしょう。アウェーゲームだったんですが、ファンがたくさん来てくれました。あの時のロケレンは、チームとして強かったです。

—— 天野選手もゴールを決めました。

天野 チームメイトもみんな、いいプレーをするんですよ。こんなプレーを最初からやっておけばなあ……うまくいかないものですね。こうやって終わってみると、普通の人には経験できないことができた。だから、ベルギーに行ってよかったです。

—— 普通の人には経験できないこと?

天野 日本で積み上げてきたキャリアをゼロにして、「天野純って誰?」「このアジア人は?」いうところからスタートした。「最初はパスが出てこない」のは本当だったし、全員を認めさせないと試合に出られなかった。だから、ゼロから始めて自分の力だけでのし上がっていった、ヨーロッパで活躍している日本人選手たちやっぱりすごい。自分がもっと若かったらな、とも思います。

—— 正直、日本にはまだ帰りたくなかったですか?

天野 そうですね。チャンスがあるなら、まだヨーロッパでチャレンジしたかった。ほかのチームから声がかかるんじゃないか、とも思っていたし。チームメイト(アミン・ベンシャイブ)がシャルルロワに移籍する記事などを読むと、やっぱりうらやましいと思いました。

 マリノスへの復帰が決まった時、アンジェ・ポステコグルー監督に「ヨーロッパでもっとやりたかったはずだろうけど、気持ちを切り替えることができるのか?」と聞かれました。「もちろん切り替えられているし、マリノスに貢献したいという気持ちが強いです」と伝えたら、徐々に切り替わってきましたね。

—— 言葉に出したことがよかった。

天野 そうそう。だから、今はもう大丈夫です。

—— Jリーグに復帰して、これからプレーで生かしていきたいことは?

天野 精神的な部分はもちろんですけど、プレーでは球際の部分だったり、前への推進力だったり、個の力を生かしていきたい。また、自分がボールを運ばなくても、前への選択肢を持ちながら、常に受ける準備をしておくこととか。日本でも『縦への意識』を継続していきたいです」

—— では、進化した「天野純2.0」のキーワードは「縦」ですね。

天野 はい! マリノスで活躍してもう一度、日本代表に入りたいです。