リーガに挑んだ日本人(9) 幾多の日本人サッカー選手が、リーガ・エスパニョーラの門を叩いた。だが、1部リーグで「成功」の評価を満点で与えられる選手はひとりもいなかった。失敗ではないにしても、大手を振って成功とは言えなかった。 しかし、ひとり…

リーガに挑んだ日本人(9)

 幾多の日本人サッカー選手が、リーガ・エスパニョーラの門を叩いた。だが、1部リーグで「成功」の評価を満点で与えられる選手はひとりもいなかった。失敗ではないにしても、大手を振って成功とは言えなかった。

 しかし、ひとりの日本人アタッカーの"降臨"で、歴史は変わった。彼の成功によって、日本人に門が開かれた。多くの選手がたて続けにスペインの地を踏むことになった。

 乾貴士(エイバル)は、スペインで金字塔を打ち立てたのだ。
 



スペインで5シーズン目を迎えている乾貴士(エイバル)

 2015年8月、ドイツ・ブンデスリーガのフランクフルトに在籍していた乾は、リーガ1部のエイバルと契約を交わしている。

 エイバルはスペイン北部、バスク地方のビルバオとサン・セバスチャンの間にある小さな町のクラブである。専用の練習芝生グラウンドはなく、郊外で施設を借りている。スタジアムも1部に昇格してから改修したが、収容人数は約8000人。規模は決して大きくない。

 おそらく乾にとって、過去に在籍したどのクラブよりもハード面は"貧弱"だろう。だが、そのエイバルを出発地にしたことこそ、彼の幸運だった。バスクの片田舎の町でなかったら、この"奇跡"は起きていなかったかもしれない。

 乾がスペインで成功した理由のひとつは、卓抜とした技術にあるだろう。ボールを持ってゴールに迫るとき、彼はしばしば神がかる。

「ドリブルで向かってくる乾は、うまいというよりも怖い。ボールを触るたび、ゴールにつながっている気がして」

 Jリーグの複数のディフェンダーがそんな感想を口にしていたが、そのドリブルは凄みを帯びる。ボール技術を極めた乾は、その自信をベースにして、得点も狙える。2017年のバルサ戦では2得点を放り込み、カンプ・ノウを沈黙させた。リーガ1部在籍5シーズン目で合計14得点は、日本人歴代最多ゴールだ。

 しかし才能だけで言えば、乾に匹敵する選手もいた。また、多くの選手が苦しんできたコミュニケーションの部分を、乾がクリアしていたわけではない(少なくとも、2年目まではスペイン語を習得したと言えるレベルではなかった)。

 では、なぜ彼は成功をつかめたのか。率直に言って、乾は運に恵まれていた。

 エイバルのホセ・ルイス・メンディリバル監督は、規律と闘争を重んじる人物だ。バスク人指揮官は、乾の技術と献身性を正当に評価した。"日本人"という色眼鏡で見なかった。

 乾が戦術的に未熟で守備に問題があった時(プレスをかけるタイミングが周囲と連動せず、ひとり突出していた)も、ボールホルダーの進行方向とパスコースを切って、ボールを下げさせる守備ができるようになるまで、1年目は強豪相手ではベンチに置き、我慢強く適応させていった。

 2年目、乾は28試合に出場し、3得点を記録する。この数字だけを見ると、1年目の27試合出場、3得点とほとんど変わらない。しかし、1年目が18試合先発だったのに、2年目は26試合先発だった。そして3年目は31試合先発で5得点。主力からエースになったのだ。

 エイバル在籍3シーズンの活躍で、乾は2018-19シーズン、アンダルシアの雄、ベティスへ移籍している。当時のベティスはキケ・セティエン(現バルセロナ監督)が率い、ヨーロッパリーグに参戦するなど、欧州でも有力クラブのひとつと言っていい。乾も欧州カップ戦の舞台を踏んだ。

 結果から言えば、ベティス挑戦は失敗に終わった。ポジションが見当たらず(システム的には3-4-2-1に近く、サイドアタッカーのポジションがなかった)、次第にセティエンの構想から外れていった。リーグ戦はわずか8試合出場で0得点だった。

 シーズン途中の2019年1月、同じ1部のアラベスに移籍。12試合出場2得点と息を吹き返した。そして今シーズン、乾はエイバルに復帰。メンディリバル監督の下、再び主力としてプレーしている。

 バスクの土地と人が、日本人に味方していることはあるだろう。

 独特の文化を持つバスクは、イメージ的にはスペインというよりドイツに近い。人々は質実剛健を美徳とし、謙虚で真面目に生きる。たとえばアンダルシアは「盗まれた奴が間抜け」という文化だが、バスク人はずる賢さよりも、誠実さや努力を評価する。外国人がスペイン語を話せなかったとしても、無下に扱うことはしない。そもそもバスク人にとっての第一言語はバスク語なのだ。

 エイバルの乾には、日本人選手が数多く活躍を遂げているブンデスリーガのクラブと同じ現象が起こった。少しぐらい言葉が不自由でも、技術と振る舞いによってチーム内でリスペクトされた。監督も正当な競争を好むバスク人監督で、成功する条件は揃っていた。相性のよさは強い影響を及ぼす。

 ちなみに、Jリーグで成果を挙げたスペイン人選手や監督も、面白いことに、軒並みバスク人である。フリオ・サリナス、チキ・ベギリスタイン、ハビエル・アスカルゴルタ、フアン・マヌエル・リージョ、ミゲル・アンヘル・ロティーナなど枚挙にいとまがない。さらに、リーガ2部ヌマンシアで福田健二が10得点した時の監督もバスク人のアンドニ・ゴイコエチェアだった。

 乾が切り開いたリーガ市場へ、2016-17シーズンにはドイツから清武弘嗣が挑むことになる。乾は巡ってきた幸運を生かしたのは間違いない。戦術的に成長を遂げ、チームのエースにまでなった。そしてスペインにおける日本人サッカー選手の価値を高めたのだ。
(つづく)