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『私のベストチーム』
第9回:2005年のヴァンフォーレ甲府

 年間予算が7億円にも満たない地方のスモールクラブが、かつて日本サッカーの中心を担った”丸の内御三家”のひとつを粉砕し、夢のJ1昇格。そんなおとぎ話の世界のような出来事が、Jリーグの歴史にも存在する。



2005年、柏との入れ替え戦でダブルハットトリックの大爆発を見せた、ヴァンフォーレ甲府のFWバレー

 時は2005年。主役は、J1・J2入れ替え戦で、当時J1の柏レイソルに連勝して初昇格を決めた、ヴァンフォーレ甲府である。

 しかもその大番狂わせには、入れ替え戦独特の緊迫感のみならず、サッカーの娯楽性がふんだんに詰まっていた。誰も予想できない展開が次々と起こり、それが2試合を通してつづいたのだから、見る者にとってはまさに極上のエンターテインメント。そしてその最大の要因となっていたのが、甲府の超攻撃的サッカーだった。

 チームを率いていたのは、3年ぶりに甲府を指揮することになった大木武監督。自身の監督キャリアの出発点となった02年に、J2で万年最下位だった甲府を初めて7位に浮上させた手腕を買われての復帰だった。

「プロサッカーはエンターテインメント」とは、大木監督が当時よく口にしたフレーズだが、たとえばそれは02年に日本で初めて4-2-3-1を導入したことにも表れていた。J2だったこともあってあまり注目されなかったが、トルシエジャパンの影響で3バックのシェアが国内に広がるなか、その攻撃サッカーは先進的に見えた。

 05年のチームもそうだった。4-4-2でチームづくりを進めながら、02年同様、シーズン途中に戦術変更。まだ3バックが主流のJリーグにおいて、当時ヨーロッパで流行り始めていた4-3-3を採用すると、それが見事に的中した。攻撃サッカーが席巻していた当時のヨーロッパのトレンドを、いち早く取り入れた格好だ。

 その集大成が、柏との入れ替え戦だったと言える。甲府ホームの第1戦は、先制を許しながら、藤田健と共にインサイドハーフでゲームをつくる倉貫一毅が同点弾を決め、後半早々に1トップのバレーが逆転ゴール。リード後は個々の実力で勝る柏の反撃に苦しんだものの、なんとか先勝することに成功した。後半アディショナルタイムには前代未聞の”停電事件”が発生したが、振り返れば、そのハプニングもおとぎ話の一部と言える。

 極めつけは、柏での第2戦だ。中2日の過密日程のなかで問題を修正できなかった柏に対して、甲府の攻撃力が爆発すると、エースのバレーが1試合6得点というダブルハットトリックを決めた。下馬評を覆し、アウェーの地でJ1クラブを6-2で下したのである。

 たしかに柏は後半に入って49分に退場者を出して、10人での戦いを強いられたこともあったが、それでもあの試合の甲府の勝ちっぷりは尋常ではなかった。ある種、神がかり的なものがあった。

 もっとも、その兆しはレギュラーシーズン終盤の残り3試合から見え始めていた。

 3位ベガルタ仙台と1ポイント差の4位に位置していた甲府は、第42節にアウェーでコンサドーレ札幌と対戦。同じ節で勝利した仙台に対し、甲府は90分を終えて1-2とリードを許しながら、アディショナルタイムに怒涛の3ゴールを叩き込み、奇跡的に首の皮一枚を残した。

 そして勝ち点1ポイント差のまま迎えた最終節は、同時進行のアビスパ福岡対仙台戦が1-1で進むなか、甲府はホームの首位京都パープルサンガに対して80分にアライールが決めて2-1と逆転。ところが終了間際に右サイドバックの杉山新が自陣ボックス付近でファールを犯して退場すると、そこで与えた相手の直接フリーキックがポストを直撃。まるでジョットコースターのようなアップダウンを繰り返した末、福岡に引き分けた仙台を抜いて、入れ替え戦出場権を得られる3位に滑り込んだのである。

 その4~5年前には、財政破たんにより消滅の危機に晒されていた地方の弱小クラブにとって、それはジャイアントキリングという言葉では片付けられない壮大なサクセスストーリーだった。人件費約2.6億円規模のほぼ無名選手で構成されたチームが、ヨーロッパのトレンドに沿った攻撃サッカーで偉業を成し遂げたという事実も、大きな意味を持つ。

 おとぎ話の世界を現実のものとした05年のヴァンフォーレ甲府は、だから日本全国のスモールクラブに夢と希望を与えたのだと思う。