ベスト11に見るJリーグの歴史(2)2000年代編1990年代編はこちら>> Jリーグの歴代ベスト11を振り返る第2回も、まずはいくつかのクイズから。答えは本文の中に出てくるので、前回同様、順に読み進めてもらいたい。Q1:過去、2クラブ…

ベスト11に見るJリーグの歴史(2)
2000年代編

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 Jリーグの歴代ベスト11を振り返る第2回も、まずはいくつかのクイズから。答えは本文の中に出てくるので、前回同様、順に読み進めてもらいたい。

Q1:過去、2クラブの選手だけでベスト11が独占された年がある。○か、×か?

Q2:異なるふたつのクラブでベスト11に選ばれた最初の日本人選手は?

Q3:ベスト11選出回数の通算最多記録を持つ選手は?

Q4:外国人選手の中で、ベスト11連続選出の最長記録を持つ選手は?

Q5:Jリーグ創設時の10クラブのうち、所属選手のベスト11選出が最も遅かったのは?

Q6:川島永嗣、長谷部誠、岡崎慎司、本田圭佑、長友佑都、内田篤人。この中で、ベスト11選出回数が最も多い選手と、最も少ない選手は誰?

 ヴェルディ川崎の黄金期が終焉を迎えたJリーグは、世紀をまたいでジュビロ磐田と鹿島アントラーズの”2強時代”に入った。ベスト11を見ても、両クラブの選手だけで7人以上を占めたシーズンが4回もあり(1997年=鹿島3人:磐田4人、1998年=鹿島3人:磐田6人、2001年=鹿島5人:磐田5人、2002年=鹿島2人:磐田7人)、その事実をはっきりと映し出している。

 ただし、さすがの2強もベスト11独占には至らず、最高でも2クラブ合わせて10人(2001年)まで。その後も、2019年にFC東京(6人)と横浜F・マリノス(4人)とで、同じく10人を占めた例があるだけで、2クラブの選手でベスト11が独占されたことはない(Q1の答え=×)。

 2強独占を阻止したのは、2001年がウィル(コンサドーレ札幌)で、2019年がアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)。2001年の札幌は年間11位、2019年の神戸は8位と、いずれも優勝争いには加われなかったが、そのなかでも出色の働きを見せた外国人選手が2強の間に割って入った。

 鹿島と磐田で年間優勝が独占された7年を経て、”2強時代”に終止符が打たれたのは2003年。横浜FMが1995年以来、2度目の年間優勝を果たしたこの年、ベスト11でも偉大な記録が生まれている。

 GKで楢崎正剛(名古屋グランパス)、DFで中澤佑二(横浜FM)が選ばれ、楢崎は1998年に横浜フリューゲルスで、中澤は1999年にV川崎で、いずれもベスト11に選出されており、異なるクラブでの受賞となったのである。

 まだまだ移籍が活発とは言えなかった2000年代はじめ、実績のある選手が別のクラブでプレーすることは、相当なプレッシャーもあったはずだが、それを乗り越え、再びベスト11に選出されたことは大いに称えられていい。それ以前にも、ビスマルクがV川崎(1994、1995年)と鹿島(1997年)で選ばれているが、日本人選手としてはふたりが初めてだった。(Q2の答え=楢崎正剛、中澤佑二)。

 その後は、Jリーグでも選手の移籍が当たり前になり、彼らに続く選手が出てきてはいる。

奥大介(磐田=1998年、横浜FM=2003、2004年)
柳沢敦(鹿島=1998、2001年、京都サンガ=2008年)
田中マルクス闘莉王(浦和レッズ=2004~2009年、名古屋=2010~2012年)
阿部勇樹(ジェフ千葉=2005、2006年、浦和レッズ=2007、2016年)
藤本淳吾(清水エスパルス=2010年、名古屋=2011年)
槙野智章(サンフレッチェ広島=2010年、浦和=2015、2016年)
西川周作(広島=2012、2013年、浦和=2014~2016年)

 ただ、こうした選手の移籍先を見てみると、浦和、名古屋、横浜FMがほとんど。つまり、すでにベスト11に選ばれているほどの選手を獲得できるような(資金力のある)クラブは、概ね絞られているということだろう。

 それを考えると、一口に”異なるクラブでのベスト11選出”といっても、鹿島から京都へ移った柳沢の例は、一段と価値が高いのかもしれない。ちなみに過去、京都からのベスト11選出は、このときの柳沢が唯一である。



史上最多となる通算12回もベスト11に選出されている遠藤保仁(中央)

 そして、2003、2004年と連覇した横浜FMとともに、2000年代の”ポスト2強時代”に台頭してきたのが、ガンバ大阪と浦和。現在も残る個人最多記録がスタートしたのも、2003年のことである。

 横浜Fから京都を経て、2001年にG大阪に移籍加入した遠藤保仁は2003年、初のベスト11を受賞。すると、遠藤はここから10年連続でベスト11に選出され、通算の選出回数でも現時点で2015年を最後に、12回を数えている。連続回数でも、通算回数でも、遠藤がベスト11の最多記録保持者である(Q3の答え=遠藤保仁)。

 連続回数、通算回数ともに、遠藤に続くのは、闘莉王の9年連続9回。つまり、いずれの記録とも、ふた桁に乗せているのは遠藤ただひとりなのだから、とてつもない大記録だ。今後もこれが破られる可能性は、ほとんどないのではないだろうか。

 その2003年にMVPに選ばれたのは、浦和のエメルソン。2005年にクラブを去り、2006年の初優勝時にはすでに在籍していなかったが、2000年代の浦和躍進をけん引したのは、間違いなくこの快速ストライカーだった。

 エメルソンは、2002年から3年連続のベスト11選出。とはいえ、2002年の浦和は年間11位とチーム成績は伸びず、MVPを受賞した2003年にしても、まだ年間6位だったのだから、それだけ彼個人のプレーが強烈なインパクトを残したということだろう。

 外国人選手として通算3回のベスト11選出は、ビスマルク、ストイコビッチと並ぶ最多タイだが、3年連続受賞は外国人選手としては最多。3年連続はおろか、2年連続すら、レアンドロ・ドミンゲス(柏レイソル=2011、2012年)や、エウシーニョ(川崎フロンターレ=2017、2018年)など、9人しかいないのだから、唯一無二の大記録である(Q4の答え=エメルソン)。

 2005年には、千葉から阿部勇樹とイリアン・ストヤノフのふたりが、ベスト11に選ばれた。2003年のイビツァ・オシム監督就任後、すっかり上位争いの常連となっていた千葉だったが、これがクラブ史上初のベスト11だった。

 千葉からのベスト11選出は、”オリジナル10”としてはオーラス。10クラブ中9番目のG大阪から初のベスト11(パトリック・エムボマ)が選ばれた1997年以来、8年がかりでの全10クラブコンプリートとなった(Q5の答え=ジェフ千葉)。

 続く2006年に、クラブ初となるベスト11が誕生したのは、川崎F。中村憲剛と谷口博之のふたりが選ばれた。

 なかでも中村は、ここから2010年まで5年連続で選出され、通算回数でも歴代3位となる8回を誇る。今年40歳になる中村が、ここから大幅に記録を更新するのは難しいだろうが、遠藤に続くふた桁到達はあるかもしれない。言い換えれば、その可能性を残す最後の選手が、中村なのではないだろうか。

 海外移籍が当たり前になった現在、何度もJリーグのベスト11に選ばれるような選手が、いつまでも日本にとどまっているとは考えにくい。

 1990年代から2000年代あたりまでは、Jリーグのベスト11というと、現役日本代表+外国人選手が一般的だった。ベスト11の選考においては、もしかすると、単純にJリーグでの活躍だけではなく、日本代表としての印象度が多少なりとも判断材料として加味されていたかもしれない。

 しかしながら、最近では若くして海を渡る、つまり、Jリーグで長く活躍する前に海外移籍してしまう選手が多くなった。

 日本代表の主力として長年活躍した、川島永嗣、長谷部誠、岡崎慎司、本田圭佑、長友佑都、内田篤人といった選手も、そのイメージほどにベスト11の選出回数は多くない。

 6人のなかでは、内田の2回(2008、2009年)が最多で、川島(2009年)、長谷部(2004年)、岡崎(2009年)、長友(2009年)は、それぞれ1回ずつ。本田にいたっては1回も選ばれたことがないのだ(Q6の答え=最多は内田篤人、最少は本田圭佑)。

 とはいえ、さらにさかのぼってみても、中田英寿も1回(1997年)、中村俊輔にしても、海外移籍前には2回(1999、2000年)しか選ばれていないのだから、彼らが特別ということではないのだろう。

 遠藤保仁の10年連続、通算12回のベスト11選出は、不滅の大記録と言って差し支えあるまい。