元全日本監督・野平孝雄を父に持ち、現役時代は全日本男子ダブルスチャンピオンなど、数々の輝かしい戦績を残した元卓球選手の野平直孝。現役引退後は西国分寺に「餃子屋とんぼ」をオープンし、今年で12年目を迎える。>>なぜ男は、卓球全日本チャンピオン…

元全日本監督・野平孝雄を父に持ち、現役時代は全日本男子ダブルスチャンピオンなど、数々の輝かしい戦績を残した元卓球選手の野平直孝。

現役引退後は西国分寺に「餃子屋とんぼ」をオープンし、今年で12年目を迎える。

>>なぜ男は、卓球全日本チャンピオンから餃子屋になったのか<野平直孝・前編>

僕にはチャンスボールに見えた




写真:餃子屋とんぼの外観/撮影:ラリーズ編集部

このお店、いわゆる住宅街の中にある。売上が望めそうな繁華街ではなく、西国分寺駅から徒歩5~6分の場所で営業中だ。

お世辞にも有利な立地とは言えないが、野平の中で勝算はあったのだろうか?それとも、何かこだわりが……?

「こだわりは全然ないです。最初は家の近くに出したかったんですけど、家賃が高くて。なるべく借金せず、少ない資金で始めたいと思っていたので、段々ずれて行った結果がここです」軽やかに笑う。

なかなか、イメージ通りの物件が見つからないとき、ふと、この物件を紹介してもらったのも卓球関係の知り合いからだった。
「不動産をやってる知り合いにこの物件を紹介してもらったんです。卓球関係の方なんですけど。ここは駅から歩いて来れるし、1階だし、広さがちょうど良かった。飲食関係の仲間からは『こんなところによく決めたね』って言われたけど、その人たちにはチャンスボールに見えなくとも僕にはチャンスボールに見えたんです」

お店も卓球も自分ができることで勝ちを目指す




写真:餃子屋とんぼの店内/撮影:寺西ジャジューカ

物件など物理的な準備は、卓球界の人脈のおかげで整った。
そして、店主としてのポリシーにも、食べ歩きの経験と卓球で身に付けた戦い方が影響している。

「今みたいにネットがない時代、知らない地方に行くとタクシーの運転手さんに『この近くで地元の人に愛されてるような飲み屋さんはないですか?』とよく聞いていました。そういうとき、運転手さんが連れて行ってくれるお店ってだいたい辺りが真っ暗なんです。『こんなところに店があるのかな?』と思ったらポツンと赤提灯が見えてきて、『こんなところに人いるのかな?』ってガラッと開けたら人がいっぱいいて『いらっしゃい! お兄ちゃん、初めてだね』って。常連さんが来たら『また、来たの?』って」。

そして、味にも驚いたと言う。
「さぞおいしいんだろうなと思ってもつ煮込みを頼むと普通なんですよ(笑)。僕がラーメン屋さんを食べ歩いていたとき、興味は丼だけに集中していました。でも、『ここ(丼)じゃないな』と。『うまいものを作ったら勝てる』ではなく、居心地いいお店を作るほうが料理の味より重要なんじゃないかって気づいたんです」




写真:現役時代の野平直孝/提供:野平直孝

「これって、卓球と同じですよね。フットワークが良くなければ勝てないわけじゃないし、逆にスマッシュが凄いのに勝てない選手もいる。自分ができることで上手に勝ちを目指すのが卓球です。卓球と飲食店は一緒。メニューが1個しか出せないのなら、極端な話1個でもいい。基本的には今持ってるもので戦う。でも、できることのスキルを上げる練習はする。それに気づいてからは、お店を出す勇気が出ました」

コツコツやってればそんな変な結果は出ない




写真:仕込みを続ける野平直孝/撮影:寺西ジャジューカ

卓球と客商売の相通ずる要素を挙げると切りがないという。特に触れたいのは、その“イレギュラー耐性”についてだ。
「ラーメン屋さんで修行していたとき、同僚がよく怒っていたんです。調理が始まってから、お客さんに『さっきの塩ラーメン、しょうゆに変えてもらっていいですか?』って言われると。でも、卓球の試合中ってそんなことばかりです。フォア前だと思ってたらバックにロングサーブが来たり、下回転だと思ったらナックルだったり。だから、お店で急に何か言われても『じゃあ、今茹でてる麺を他の人に回せばいい』とか『塩ラーメンはまかないにしよう』ってやればいいだけの話って思えるんです。卓球の試合中と違って、oコンマ何秒でオーダーが、レモンサワーからいきなりビールになったりはしませんから」と笑う。

「もちろん『今日は天気がいいし、みんなビールを飲んでくれるはず』って準備万端にしていたのに全然人が来ない日があるし、『今日は雨だし少なめに仕込んどくか』って言ってたら満席の日もあるし。計画的に物事が進まないときもあります」

でも、と続ける。

「コツコツやってればそんな変な結果は出ないだろうと信じている部分はあります。それも、卓球から学んだことです」

オープン当初はあえて卓球色を出さなかった

ちなみに、お店に訪れる卓球ファンは多いのだろうか。
「来てくれますよー。僕が把握しきれないくらい来てくれてると思う。『卓球やってたんです』って仰ってくれる方もいるし、全く言わないで来てくれてる人もいます。地元の人たちが落ち着けるお店をやろうとしたから、オープン当初はあえて卓球色を出さなかった。オープン時の常連さんは僕が卓球やってたことを知らない人ばかりでした」




写真:野平が巻く卓球柄のバンダナは常連客が買ってきてくれた/撮影:寺西ジャジューカ

でも、10年以上お店を続けてきて、心から卓球ファンに感謝している。
「ただ、こうしてやってこれた約10年は、卓球ファンの方に支えてもらったとつくづく感じています。卓球の試合が終わってから『今から行くけどいい?』って連絡をくれたり。だって、どこの飲み屋さんに行ったっていいのに『東京で試合があったら西国分寺の野平のところに行こう』って、わざわざ来てくれるんですよ」

現役時代より応援してもらっている




写真:身にまとう前掛けも常連のお客さんが作ってくれた。『ITSとんぼ会』という文字が見える/撮影:寺西ジャジューカ

「みんな、可愛がって育ててくれてる感じがします。周りに応援してもらってるなって、今は現役時代より感じています。選手のときも応援してもらってたんですけど、あの頃は『しんどい』『頑張らなきゃ』っていう気持ちのほうが強すぎて(笑)」

特に嬉しいのは、今日は仕事終わったらとんぼで飲もうと思ってくれる人たちがいることだと言う。
「お客さんはそれを楽しみに1日を頑張れてるわけですよね。缶ビール買って家で飲めば100~200円で済むのに、うちに来て数千円払って飲んでくれるなんて物凄い価値がある。卓球の試合は『ありがとうございました』で終わるけど、今の方が本当に『ありがとうございました』と思ってます。選手時代は『うまくなりたい』『あいつに勝ちたい』ということで頭がいっぱいでした。それはプロとして素晴らしいことです。でも『どうやったらみんなに喜んでもらえるかな?』『こういうお店にしたらくつろげるかな』を考えているほうが、自分には合ってました」

ラケットを置いても卓球は生かせる




写真:バタフライの練習着を着てカウンターに立つ野平直孝/撮影:寺西ジャジューカ

最後に、現在のこの困難な状況の中、ラケットを置いて引退する全国の卓球プレーヤーたちにエールを求めた。

「卓球ほど、一瞬で情報を整理して自分の判断を求め続けられるスポーツを懸命にやってきたのだから、絶対次に生かせる」と力を込める。

「僕がコーチの道を選ばなかったのは、『選手を勝たせることはそんなに大きなことじゃない』と思ってしまったからです。どっちにしろ、勝敗は一生懸命やった結果だから。負けたってそんな大きいことじゃない。次に何が必要かを相手が教えてくれているわけで、その連続だと。ただ、その考え方だと卓球のコーチは務まらないなと思いました」




写真:壁に卓球関係のお客さんが残していった多くのメッセージや色紙/撮影:寺西ジャジューカ

「でも、卓球が自分に教えてくれたことで、少なくとも僕はここまでやってこれた。自分がワクワクすることに挑戦すればいいと思う」

カウンターで絶え間なく続けていた仕込みの手をふっと止めて、言った。
「たどり着かないと価値がない、というのは違うと思うんです。そこに向かってやったことに価値がある。ワクワクできるってお金じゃ買えない。卓球は、いつも頭の中に置いておけばいいんじゃないかなって」

野平さんの頭の中にもいつも?そう問うと、間髪入れずに答えた。

「もちろん。だって、僕が一番得意で、一番時間を費やし、一番情熱をかけたのは卓球なんですから」




写真:幼少期からの卓球仲間は今もお店に来る(写真左から遊澤亮、藤本貴史、野平直孝)/提供:野平直孝

(取材:3月)
取材:ラリーズ編集長 槌谷昭人
文:寺西ジャジューカ