MVPに見るJリーグの歴史(1) さて、いきなりだが、クイズをひとつ。 1993年の創設以来、今年で28年目を迎えたJリーグだが、過去の年間MVP受賞者のうち、そのシーズンの優勝クラブ以外から選ばれた選手は何人いるだろうか。 JリーグのMV…

MVPに見るJリーグの歴史(1)

 さて、いきなりだが、クイズをひとつ。

 1993年の創設以来、今年で28年目を迎えたJリーグだが、過去の年間MVP受賞者のうち、そのシーズンの優勝クラブ以外から選ばれた選手は何人いるだろうか。

 JリーグのMVPというと、1993年に行なわれた初めての授賞式(Jリーグアウォーズ)で、初代受賞者の三浦知良がド派手な赤のタキシードを身に着け、しかも、風船の中から登場する姿を思い出す人も多いだろう。

 ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)を初代王者に導いたカズがそうであったように、MVPにふさわしい条件として、選手個人として優れたパフォーマンスを発揮することはもちろんだが、所属クラブの成績も重要な要素となる。

 結果として、MVPの多くは優勝クラブから選ばれる。MVPが”シーズンの顔”であることを考えれば、当然の考え方だろう。

 だとすると、優勝クラブ以外からMVPが選ばれることは少ないのではないかと思えるが、クイズの答えは、延べ9人。過去のMVP受賞者数は、延べ人数にして全27人だから、3年に1回は、優勝クラブ以外からMVPが誕生している計算になる。

 個人的には、意外と多い、というのが率直な印象だ。

 では、なぜ優勝クラブ以外からのMVPがこれほど多く生まれているのか。その理由は、かつてJリーグが、2ステージ制を採用していたからに他ならない。

 その証拠に、優勝クラブ以外からのMVPが多かったのは、1990年代後半から2000年代にかけて。なかでも1998年から2001年までは、4年連続で優勝クラブ以外からMVPが選ばれている。

 Jリーグ(1999年以降はJ1)が、2ステージ制を採用していたのは、1993年から2004年までの間だから、両者の期間はほぼ合致するのだ(ただし、1996年は1ステージ制。2005年以降でも、2015、2016年で2ステージ制が採用された)。

 2ステージ制とは、1シーズンのなかで総当たりのリーグ戦を2度、すなわち2ステージ行ない(1993~1995年はステージごとに2回戦総当たり。1997~2004、2015~2016年は1回戦総当たり)、それぞれの優勝クラブが最後にチャンピオンシップ(2015、2016年は両ステージ王者に加え、年間勝ち点最上位も出場)を戦い、勝者が年間王者となるという方式だ。

 2ステージ制の最大のメリットは、チャンピオンシップを開催できること。つまりは、最後に必ず”雌雄を決する大一番”を作り出せるということだ。プロ野球における、日本シリーズをイメージするとわかりやすい。

 しかし、その一方でデメリットもある。優勝決定に至る納得感の低さだ。

 仮にファーストステージで最下位に終わったクラブでも、セカンドステージで優勝し、チャンピオンシップを勝てば、年間優勝。これをJ1王者と認めていいのか。そんな疑問が湧いてくるのは、当然のなりゆきだ。

 優勝クラブからMVPが選出されないという事態は、2ステージ制ゆえの納得感の低さが反映されたものだと言っていい。要するに1シーズンをトータルで見たとき、最も高い評価を受けるのが優勝クラブとは限らないのである。



1998年にMVPを受賞した中山雅史

 わかりやすい例を挙げてみよう。

 例えば、1998年MVPの中山雅史(ジュビロ磐田)。

 この年、ファーストステージ優勝は磐田だったが、セカンドステージを制した鹿島アントラーズが、チャンピオンシップで磐田を下し、年間優勝となった。

 とはいえ、ファーストステージで5位だった鹿島は、年間総勝ち点(ファーストステージとセカンドステージの合計)を見ると、磐田に次ぐ2位。しかも、年間総得点では磐田の「107」に遠く及ばない「79」にとどまった。1998年は、いわば「磐田強し」を印象づけたシーズンであり、27試合出場で36ゴールという驚異的な記録を残した中山は、まさにそれを象徴する存在だったわけだ。

 あるいは、1999年MVPのアレックス(清水エスパルス)。

 この年はファーストステージを制した磐田が、セカンドステージ王者の清水をチャンピオンシップで下し、年間優勝。前年の屈辱を晴らす結果となった。

 しかしながら、年間総勝ち点に目をやると、トップは清水で、これに続くのはステージ優勝がなかった柏レイソル。磐田はセカンドステージで12位(!?)に沈んでいたため、年間総勝ち点では6位タイという成績だったのである。

 要するに、1998~2001年に共通するのは、年間優勝クラブといえども、1シーズンを通してコンスタントに結果を残したわけではない、ということ。わかりやすく言ってしまえば、そのシーズンで一番強かったクラブが、優勝クラブとして認められなかった、ということだ。

 実際、2ステージ制のシーズンであっても、2002年のように磐田が両ステージを制覇し、完全優勝を成し遂げた年は、磐田の高原直泰がMVPに選ばれている。2ステージ制が抱えていた問題点を、図らずもMVP受賞者が指摘していると言えるだろう。

 2ステージ制がある種の矛盾を引き起こしていたことは、2ステージ制が採用されていた2004年以前と、現在に至る1ステージ制が”ほぼ”定着した2005年以後を比べると、はっきりわかる。優勝クラブ以外からMVPが選ばれたことが、2004年以前には6回もあるのに対し、2005年以後は3回に半減しているのだ。

 しかも、2004年以後の3回のうち1回は、一時的に2ステージ制が採用された2016年でのこと。つまり、1ステージ制のシーズンで言えば、2回しか起きていない。やはり、1ステージ制と2ステージ制では、優勝決定に至る納得感に差があるというだろう。

 1ステージ制のなかで起きた2回の”例外”についても、極めてよく似た共通点がある。

 1度目は、2007年MVPのロブソン・ポンテ(浦和レッズ)、そして2度目は、2013年MVPの中村俊輔(横浜F・マリノス)。彼らはともに、勝てば優勝決定の最終節で敗れ、2007年の浦和は鹿島に、2013年の横浜FMはサンフレッチェ広島に、それぞれ逆転優勝を許したことで共通する。

 鹿島や広島にしてみれば、なぜうちから選ばれなかったのか、と言いたくもなるだろう。もちろん、優勝クラブに満場一致でMVPに推されるような選手がいたなら、話は別だったはずだ。

 しかし、そうでないとなると、シーズンを通して優勝争いをけん引してきた”準優勝クラブ”の選手のほうが、印象度で上回ったとしても不思議はない。そのなかで見せた出色の働きがMVP選出につながった、ということだろう。

 かつてJリーグが採用していた2ステージ制の不合理さは、歴代MVPの顔ぶれにも色濃く反映されている。