欧州スター選手列伝
極私的バロンドール(6)
ティエリ・アンリ(2003−04)

 きっと、サッカーを愛する者ならば、忘れられないチームというのがあるだろう。現状のチームと照らし合わせて、「あの頃は……」と物思いに耽(ふけ)ってみたり、当時を思い出して誰かと熱く語り合ったりする機会もあるはずだ。



アーセナルを無敗優勝に導いたティエリ・アンリ

 最近でいえば、ペップ・グアルディオラが采配を振るうマンチェスター・シティや、ユルゲン・クロップが指揮するリバプールも、いずれはそうした存在へと昇華していくことだろう。

 インビンシブルズ——。かつて無敵と称されたチームが、私にとっての”それ”だった。

 2003−04シーズン、プレミアリーグを無敗で優勝したアーセナルだ。そこから今日まで辿っていっても、この快挙を達成したチームは存在しない。

 26勝12分。ドローの数こそ多かったものの、アーセン・ベンゲルに率いられたアーセナルは心底、小気味よいサッカーを展開していた。

 4−4−2システムを用いていたアーセナルは、流れるようなパスワークで中央をこじ開けたかと思えば、両SBの攻撃参加から得点を奪った。それでいて速さを活かしたカウンターも得意とし、まさに遅攻と速攻を組み合わせたサッカーは圧巻だった。

 当時はまだ荒々しいイメージの強かったプレミアリーグのなかで、アーセナルは気品とか、エレガントと形容できるサッカーを体現する役者も揃っていた。

 デニス・ベルカンプ、ロベール・ピレス、パトリック・ヴィエラ、フレドリック・リュングベリ……。だが、そのなかにあって、いわゆる私の推しメンだったのが、FWのティエリ・アンリだった。

 ストライカーであるアンリは、文字どおりエースだった。このシーズン、アンリは30得点を挙げ、アラン・シアラーやルート・ファン・ニステルローイを抑えて自身2度目の得点王に輝いたのだが、彼の何に引きつけられたかといえば、フィニッシュだった。

 アンリはおおよそ、力強いシュートを放つことがなかった。足を大きく振りかぶったり、手を大きく回したりといった予備動作が極端に小さい。

 FKも得意としていて、たとえば2003−04シーズンにも第28節のブラックバーン戦で直接FKを叩き込んでいるのだが、その助走はわずか一歩。クリスティアーノ・ロナウドのように仁王立ちになって、蹴るぞ、蹴るぞとアピールすることはなかった。

 188cmの長身ながらスピードがあり、ドリブルはまさにしなやか。第33節のリーズ戦では、ハーフライン付近からドリブルすると、あっという間に4人のDFを置き去り。フィニッシュ時には倒れ込みながらシュートするのだが、「ちょん」と浮かすようにゴールを決めた。

 そうしたシーンが好例なように、アンリのシュートは表現するならば、流し込むものがほとんどだった。

「簡単にゴールを決めるな」

 彼のプレーを見るたびに、感嘆の声をあげていたことを思い出す。「シュートは力以上にコースが重要」とは、よく言われることだが、そのお手本を示しているかのようだった。

 得点王争いをしていたシアラーやファン・ニステルローイが豪快でパワーを売りにしていたFWだとすれば、アンリはスピード以上にテクニックが最大の特徴だった。

 だから、アンリはアシストでも貢献していた。

 まるでダンスを踊るかのようにひざ下だけを動かしてDFを騙しては、ピッチを滑るようなスルーパスを出した。2トップのパートナーであるベルカンプのラストパスにも惚れ惚れしたが、アンリのパスに懸命に走らされて得点を決めるピレスとのコンビネーションにも引き込まれた。

 それでいて、ミドルシュートにも目を見張るものがあった。第23節のマンチェスター・シティ戦では、得意の左45度から右足を振り抜くと、鮮やかに右上にゴールを決めてみせた。

 さらに圧巻だったのは、優勝を争っていたマンチェスター・ユナイテッドと第30節で激突した試合だ。結果的に引き分けに終わるのだが、後半開始早々、アンリはロングレンジからシュートを叩き込み、先制点を挙げたのである。

 だが、そうしたミドルやロングシュートですら、豪快さよりも、優雅さが際立つ。それこそが、アンリの魅力だったように思う。

 2003−04シーズン、アーセナルはノースロンドンのライバル、トッテナムとのアウェーゲームに引き分け、4試合を残して早々と優勝を決めた。一方、UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝でやはりロンドンのライバルチーム、チェルシーに負けて大会から姿を消した。

 ヨーロッパの舞台で結果を残せなかったこともあり、実際にアンリがバロンドールを手にすることはなかった。

 加えて、2003−04シーズンに無敗でプレミアリーグを制してからというものの、アーセナルがリーグ優勝を達成したことは一度もない。それどころか、翌シーズン以降、アーセナルは優勝争いから離れるようになっていくと、徐々に主役の座を明け渡すようになった。

 その儚(はかな)さゆえだろうか。インビンシブルズと呼ばれたチームが、そして、そのチームの得点源として、ピッチに両ひざを滑らせて何度も喜びを爆発させていたエースの姿が脳裏に刻まれている。

 その記憶が上書きされるには、さらに強烈な結果と強いインパクトが必要になるだろう。悔しいかな、それがしばらく叶いそうにないから、「あの頃は……」と、ノスタルジーを感じるのかもしれない。

 流し込むように軽々と、易々とゴールを決めてしまうアンリというストライカーは、いつまでも特別な存在——私にとって、とびきりのバロンドールなのである。