追憶の欧州スタジアム紀行(2)エルンスト・ハッペル・シュターディオン(ウィーン) 約5万人を収容するオーストリアの首都ウィーンにあるナショナルスタジアム。陸上トラック付き総合競技場だ。 オーストリアはユーロ2008をスイスと共催している…

追憶の欧州スタジアム紀行(2)
エルンスト・ハッペル・シュターディオン(ウィーン)

 約5万人を収容するオーストリアの首都ウィーンにあるナショナルスタジアム。陸上トラック付き総合競技場だ。

 オーストリアはユーロ2008をスイスと共催しているが、その時はメイン会場として稼働。決勝戦を含む計7試合を行なっている。

 ウィーンと言われてイメージするのは音楽の都。森の都としても知られるが、映画好きは『第三の男』をイメージするのではないだろうか。ウィーンの北駅に降り立つと、その映画の中で重要な舞台となった「プラーター大観覧車」を、視界に捉えることができる。

 ユーロ2008の期間中は、その大きな観覧車にチェコの名GKペトル・チェフが両手を伸ばした状態で構える広告写真が掲載されていて、観衆は観覧車とともにくるくる回るツェフを仰ぎながらスタジアムに向かったものだ。



ユーロ2008決勝スペイン対ドイツの一戦が行なわれたエルンスト・ハッペル

 エルンスト・ハッペルがあるのは北駅から見て観覧車の先。公園を抜けたドナウ川のほとりにある。

 ユーロ2008決勝トーナメントの取材で、筆者はスペイン戦を3試合、イタリア戦(準々決勝)、ロシア戦(準決勝)、ドイツ戦(決勝)と観戦した。スペインの試合はグループリーグでも3戦中2試合を観戦していたので、結果的に、優勝に至る過程をかなり克明に把握することができた。

 それまで国際大会(ユーロ、W杯)で、1度もタイトルを獲ったことがなかったスペインは、2年後の2010年、南アフリカでW杯初優勝を飾り、4年後のユーロ2012(ウクライナ・ポーランド共催)でも連覇を飾ることになる。

 ユーロ2008、とりわけエルンスト・ハッペルで行なわれた決勝トーナメントの3試合は、最強時代に向かっていったスペインを語るうえで欠かせない事象と言える。

 エルンスト・ハッペルとは、オーストリアを代表する元サッカー選手の名前だ。引退後、指導者となり、特にオランダで知名度を上げた。1969-70シーズンにはフェイエノールトの監督として、チームをチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)初優勝に導いている。

 モダンサッカーを語る時、まず名前が挙がるのは、同大会で翌1970-71 シーズンから3連覇を達成したアヤックスだ。フェイエノールトをオランダのクラブとして最初に欧州一に導いたエルンスト・ハッペルより、アヤックスのリヌス・ミヘルス監督とヨハン・クライフの名前が先に来る。

 だが、この時のフェイエノールトもアヤックス同様、攻撃的で画期的なチームだったとされる。フェイエノールトの優勝がなければ、アヤックスの3連覇はなかったという声さえ聞く。

 オランダは1974年の西ドイツW杯で準優勝に輝いた。本命視されながら、決勝で開催国西ドイツの軍門に降った。続く1978年アルゼンチンW杯でもオランダは開催国アルゼンチンに延長で敗れ、2大会連続準優勝に終わっている。この時、オランダ代表監督を務めたのもエルンスト・ハッペルだった。

 ちなみにオランダはもう一度、W杯で決勝に進みながら準優勝に泣いている。2010年南アフリカW杯だ。決勝戦を戦ったのはスペイン。W杯でまだ優勝したことがない国同士の対戦だった。

 スペインが、たとえばPK戦に及んだユーロ2008準々決勝イタリア戦で敗れていたら、2010年南アW杯の優勝はあっただろうか。ユーロ2008で優勝を飾り、「勝てない国」から脱皮できたことが、その原因だったのではないか。「エルンスト・ハッペル」と、スペインとオランダとにまつわる因果について、思わず想像をめぐらしたくなる。

 エルンスト・ハッペルはチャンピオンズリーグ(CL)決勝を開催する資格をもったUEFAが定めるカテゴリー4(最上位)スタジアムでもある。

 最後にその舞台となったのは1994-95シーズン。アヤックス対ミラン戦だった。アヤックスが連覇を狙うミランを1-0で下し、1972-73シーズン(前に述べたアヤックスが3連覇した最後のシーズン)以来、22シーズンぶりに優勝を飾った一戦だ。

 オランダ国内でアヤックスと激しいライバル関係にあるフェイエノールトの、特に年配サポーターは、エルンスト・ハッペルで起きたこの出来事をどう見ただろうか。またしても「おいしいところをアヤックスに持っていかれた」と地団駄を踏んだのか、同じオランダのクラブの快挙として喜んだのか。日本では後者が当たり前だが、欧州は必ずしもそうではない。

 この決勝戦、ミランにとって痛かったのは、中心選手に成長していたデヤン・サビチェビッチを故障で欠いたことだった。

 彼は2001年に現役を退いているが、最後の2シーズンをラピド・ウィーンで過ごしている。

 1999年夏、筆者はそのウィーンを訪れていた。CLの予備予選2回戦ラピド・ウィーンとバレッタ(マルタ)が、ちょうど行なわれていたので、観戦にも出かけている。

 その時、ウィーンの空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手は、どういうわけかイタリア人で、後部シートの後ろのスペースには、ミランファンであることを誇示するように、ミランのマフラーが横たわっていた。「俺の生まれたミラノから、サビチェビッチがやってきたからな。チャンピオンズリーグ本戦出場は大丈夫だ」と、運転手は胸を張った。しかし、ラピド・ウィーンは、続く予備予選3回戦でガラタサライに合計スコア0-4で完敗。涙を飲んだ。

 現在、エルンスト・ハッペルを試合で使用するのは主にオーストリア代表チーム。ナショナルスタジアムとして機能している。再び欧州サッカーのメイン舞台となる日は訪れるのか。鷹揚(おうよう)とした雰囲気を備えた国立競技場らしいスタジアムだ。