ドラフト会議において最大の見せ場は、複数球団入札指名における運命のくじ引きであることに疑いの余地はない。くじ引きが復活…

 ドラフト会議において最大の見せ場は、複数球団入札指名における運命のくじ引きであることに疑いの余地はない。

くじ引きが復活して久しいが、90年代末から00年代中盤までは、逆指名に始まり、自由獲得枠、希望入団枠と名を変えて大卒・社会人以上の上位指名者のくじ引きはなかった。

 

 いわゆる自由競争での獲得枠。だが長期的視野に立って過去を振り返れば、決して各球団の補強において良い制度とは言えなかった。1993年に導入された逆指名には、巨人の強い意向が働いた。当時は唯一無二の人気球団。有力選手を複数、囲い込みたかった。

 これが裏金を交えてドラフトの価格競争を生む。故障などで実力を発揮できない選手もおり、コストパフォーマンスの面で限界がきていた。不正の温床でもあり、2006年を最後に廃止。球界全体で見れば自然な流れだったのかもしれない。

 ではその2006年、自由競争最後の年に希望入団枠でチームを選んだ選手たちの顔ぶれはどうだったのか。

 日本ハム 宮本賢投手(早大)

 西武 岸孝之投手(東北学院大)

 ソフトバンク 大隣憲司投手(近大)

 オリックス 小松聖投手(JR九州)

 中日 田中大輔捕手(東洋大)

 阪神 小嶋達也投手(大阪ガス)

 ヤクルト 高市俊投手(青学大)

 巨人 金刃憲人投手(立命大)

 広島 宮崎充登投手(ホンダ鈴鹿)

 横浜 高崎健太郎投手(日産自動車)

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 ラストイヤーの面々を見渡せば分かる通り、岸以外の選手はおおよそ期待外れの結果に終わり、ユニホームを脱いでいる。

 小松は2年目の2008年に救援もこなしながら、15勝3敗、防御率2・51の数字を残した。だが、満足に働いたのはこの1年だけ。大隣も2008、2012年と2度2桁勝利(11勝、12勝)を挙げたが、黄色靭帯骨化症に苦しみ、通算52勝止まりだ。

 金刃は1年目は先発ローテーション入りし7勝したが、2年目以降は中継ぎ降格し、ワンポイント起用もあった。通算216試合で17勝17敗。

 宮本は1軍では全て救援でわずか22試合の登板のみ。田中も控え捕手として通算出場は10シーズンで51試合だけ。小嶋も10シーズンで1軍登板64試合止まり。高市は通算5シーズンで15試合に投げただけ。宮崎は通算43試合だが、3年目以降は1軍マウンドに立てなかった。高崎は2012年には開幕投手を務めるなど、常に大器と期待を集めたが、救援含め通算178試合で25勝40敗1セーブ、防御率4・22と最後まで期待に応えることはできなかった。

 この年のドラフトはハンカチ世代と呼ばれた田中将大、前田健太、坂本勇人、会沢翼、福田秀平、梶谷隆幸、福田永将、吉川光夫ら高校生ドラフトが当たり年。大卒・社会人でも嶋基宏、渡辺直人、永井怜、浅尾拓也、大引啓次ら希望入団枠以外の選手が後に活躍している。入団拒否したが、長野久義も日本ハムに4巡目指名されていた。

 本来ならばチームの弱点を埋める、補強テーマに合った獲得が可能なはずであった自由獲得枠。ただ実態は、球団フロントやスカウトなどの人脈次第であったり、コストに見合わない投資を迫られたりと、機能していたとは言い難かった。健全な自由競争が望めない球界が抱える不健全さ、その闇を世間に露呈する結果に終わった。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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