レアル・マドリード王者の品格4 今シーズンのレアル・マドリードで、新人賞、もしくは敢闘賞を与えるなら、ウルグアイ代表…

レアル・マドリード王者の品格4

 今シーズンのレアル・マドリードで、新人賞、もしくは敢闘賞を与えるなら、ウルグアイ代表MFフェデリコ・バルベルデ(21歳)になるのではないか。



スター軍団の中でレアル・マドリードB出身の若手として期待を集めるフェデリコ・バルベルデ

 バルベルデは、ジネディーヌ・ジダンの戦い方の軸を担っている。インテンシティを感じさせる攻守で、局面を制し、敵に優位を与えない。苦しみに歯を食いしばり、反撃では目を血走らせ、闘志に満ちた戦士のようだ。

 18歳だったバルベルデは2016-17シーズン、カスティージャ(レアル・マドリードBチーム)に入団して試合経験を積んでいる。その後、デポルティーボ・ラ・コルーニャに期限付き移籍。武者修行を終えて2年ぶりに戻り、今シーズンはトップチームでポジションをつかんだ。

 カスティージャは、若手のトップ昇格の試金石になっている。

 カゼミーロ、ヴィニシウス・ジュニオール、ロドリゴ・ゴエスなどのブラジル人選手もカスティージャを経由してトップへ。2020年1月、新たに入団したブラジルの新鋭レイニエル・ジェズス・カルヴァーリョも、ラウル・ゴンサレス監督が率いるカスティージャで揉まれている。さらに言えば、日本代表の久保建英(マジョルカに期限付き移籍)も、当初はカスティージャで場数を踏む予定だった。

 今や、カスティージャからトップへという道はひとつのパターンになりつつある。それほど、高いレベルを誇ったBチームと言える。

 そこでは幼少期からの英才教育で、誰とでも渡り合える選手を育んでいる。

 右サイドバックを任せられるダニエル・カルバハルは下部組織で育ち、カスティージャでプレー後、いったんドイツに渡ってから復帰し、欠かせない選手になった。守備のユーティリティ、ナチョはレアル・マドリードひと筋でカスティージャまで昇格し、地道に居場所を作ってきた。ルーカス・バスケスも下部組織で鍛えられ、カスティージャを2部に引き上げ、トップでは献身性が売りになっている。マリアーノ・ディアスも10代でマドリードのユースに入団し、実力は折り紙付き、今シーズンのクラシコでは得点を決めた。

 レアル・マドリードはカスティージャ抜きには語れない。そこでは、勝利の精神を叩き込まれる。その気高さこそ、マドリードの礎だ。

 1980年代、そんなカスティージャの先駆けになったヒーローとは――。

 カスティージャがその名を世界的に轟かせたのは、1983-84シーズンだろう。Bチームにもかかわらず、2部リーグで優勝。トップチームが1部にいるため、レギュレーションで昇格はできなかったが、若手だけで呆気にとられる強さだった。

 エミリオ・ブトラゲーニョは、当時のカスティージャで先頭を走っていた。ほかに、ミチェル、マヌエル・サンチス、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサなど、その後スペイン代表の中核ともなる一騎当千の強者がそろった。彼らはいっせいにトップへ昇格し、レアル・マドリードの覇権を担うことになるのだ。

 ブトラゲーニョはカスティージャで得点王に輝いているが、そのゴールセンスは異端だった。どんな時も冷静沈着。エル・ブイトレ(ハゲワシ)の異名にふさわしい”静かなる狩猟者”だった。

 たとえばGKと対峙した時、多くの選手は気負う、もしくは失敗を恐れて体が硬くなるが、彼は平常心でゴールを揺らした。浮き球を使い、相手を翻弄する技は出色。アクロバチックなボレーで合わせる感覚に優れ、小柄だがヘディングのゴールも少なくなかった。

 ブトラゲーニョは、初めてカスティージャが出した俊英だったと言える。指南役にも恵まれた。エースナンバー背番号7にふさわしい人間として、アマンシオ・アマーロ、アルフレッド・ディ・ステファノというマドリディスモの権化2人の指導を受けたのだ。

「プロとして恥ずかしくない振る舞いをしろ」「常に勝者たれ、しかし卑怯な戦い方はするな」「男は言い訳をするな!」……。

 ディ・ステファノが授けた掟を、ブトラゲーニョは守った。

 ブトラゲーニョとその仲間たちは、1985-86シーズンから、リーガ・エスパニョーラ5連覇の偉業を成し遂げている。

 その間、ブトラゲーニョは単純なゴールゲッターというよりも、静謐なる”前線のプレーメーカー”として真価を示した。現代ならカリム・ベンゼマやフィルミーノに近い。密集地帯でボールを受け、相手を動かし、スペースを作り、攻撃の起点になった。ウーゴ・サンチェスの5度の得点王獲得を”援護”し、勝利のために主役を譲った。

 ジョン・トシャック監督が率いた1989-90シーズン、レアル・マドリードは当時のシーズン最多得点記録、107ゴールを叩き出している。一直線にゴール向かい、得点力の差で相手をねじ伏せる。パス主体と違う、剛毅なサッカーだった。

 しかし、盛者必衰のことわりか。サイクルの終わりは唐突に訪れた。

 1990-91シーズンは、ウーゴ・サンチェスの衰えが明らかだった。イバン・サモラーノが奮闘するが、最後は失速し、連覇は途絶えた。1991―92,1992-93シーズンは、いずれも最終節でテネリフェに敗れ、タイトルを失った。クラブは指揮官にディ・ステファノ、ラドミル・アンティッチ、レオ・ベーンハッカー、さらに”スペインのサッキ”と称された知将、ベニート・フローロを招聘したが、ヨハン・クライフが率いるバルサに太刀打ちできず、お返しのようなリーガ4連覇を許した。

 ブトラゲーニョは、1990-91シーズンには得点王を受賞している。しかし、得点数は減り続け、チャンスメーカーとしての神通力も衰えていった。1993-94シーズンは明らかに陰りが見え、先発を外れる機会も増えた。

 レアル・マドリードは、次の背番号7の”出現”を待つしかなかった。
(つづく)