バルセロナの不安定な魅力4 ヨハン・クライフは、今もバルセロナのアイコンである。 1988年に監督に就任すると、クライフは天才的なセンスでバルサのプレーモデルを確立した。クラブの土台となる下部組織「ラ・マシア」を整備。日本代表MF安部裕葵が…

バルセロナの不安定な魅力4

 ヨハン・クライフは、今もバルセロナのアイコンである。

 1988年に監督に就任すると、クライフは天才的なセンスでバルサのプレーモデルを確立した。クラブの土台となる下部組織「ラ・マシア」を整備。日本代表MF安部裕葵が所属するバルサBの本拠地が、「ヨハン・クライフ・スタジアム」という名前を冠するのは象徴的だ。

 そして現在、トップで采配を振るうキケ・セティエン監督は熱烈なクライフ主義者である。現役時代、クライフの”ドリームチーム”と対戦し、大勝したあとにもかかわらず、そのプレー構造にひどく感銘を受けた。そこで、当時のプレーメーカーだったジョゼップ・グアルディオラに、その仕組みを詳しく聞きに行ったという。指導者となってからは常にクライフを鑑にしてきた。



2003年にバルセロナの監督に就任したフランク・ライカールトとロナウジーニョ

 バルサの歴代監督には、”クライフの使徒”が少なくない。オランダのアヤックスで功成り名を遂げたオランダ人ルイス・ファン・ハール、クライフの右腕だったカルレス・レシャック、クライフ派を自認し、ラ・マシアのディレクターにもなったロレンソ・セラ・フェレール、そしてクライフの指導を受け、直系の弟子と言えるジョゼップ・グアルディオラ、その懐刀だったティト・ビラノバ。

 前監督のエルネスト・バルベルデも、現役時代にバルサでクライフの指導を受け、開眼したと言う。

 そして、最も濃厚にクライフと接したと言える指導者が、混迷期のバルサを救ったのである--。

 2003年6月、オランダ人のフランク・ライカールトはバルサの監督に就任している。クライフの推薦が決め手になった。

 ライカールトは80年代、アヤックス時代に選手としてクライフとともにプレーしている。当時、ルーキーだったライカールトは、ベテラン選手のクライフに感化された。チームメイトとして、直にトータルフットボールを学ぶことができたのだ。

 85年からは、ライカールトは監督になったクライフの指導を受けている。マルコ・ファンバステンとともに成長した。しかし、クライフの高い要求に対し、次第にストレスを抱え、87年夏に急遽、退団している。

 クライフとは喧嘩別れに近かったようだが、2人の関係はそれ以上、悪化していない。ライカールトは高い評価を受けていたことを感謝していたし、ミランで世界最高のMFとなるなど、人間としても成長を遂げていた。クライフもその心中を察し、感情のほつれを度外視した。その力量を見極められる判断力を持っていたのだ。

 ライカールトは寛大で鷹揚な性格の人物である。その点、クライフから見たら勝負への野心のなさが物足りなかったのかもしれない。しかし覇気は外に出さず、内に込める人だった。結果的に、そのキャラクターは”ボス”として功を奏した。

 ライカールトはどっしりと構え、メディアやファンが煽る問題を避けることで、選手に集中できる環境を与えている。世界のトップレベルで鍛えた慧眼の持ち主だけに、選手の気力の充実やプレーヤーとしての資質を見抜けた点も、信頼の高さにつながった。一方、コーチとして入ったヘンク・テン・カーテは管理主義者で、選手を厳しく縛り、怠惰を許さない。そのバランスのよさで、リーダーとしての求心力が高まった。

 なにより、ライカールトは長いキャリアの経験から、優れた選手がピッチ上で戦術をアップデートできる力を信じていたし、その自由さがバルサの持っていた力を開花させた。

「フットボールはエモーションだ」

 ライカールトは言う。

「ホワイトボードを使い、誰がどこのスペースを担当するのか細かく伝えれば、組織されたチームを作り出せる。これで、60~70%は勝ち負けが決まる。監督は正しく守り、正しく攻められるように、選手を配置しなければならない。ただ、サッカーでは選手の自主性に勝るものはない。彼らがチームの一員として、力を発揮できる環境を作る。それが監督の仕事だ。ボードはボード。監督の本懐は、選手の可能性を信じることができるかだよ」

 ライカールトは現役時代、戦術能力を感覚的な鋭敏さで出せた選手で、机上の話を好まなかった。徹底的に、選手のひらめきを促した。自由奔放な創造的プレーが相手を蹴散らす、と信じていたのだ。

 一度、筆者は監督室で彼のインタビューに同席している。会話中、ライカールトは煙草をふかし続けていた。有名なチェーンスモーカーだったが、落ち着き払ってたばこをくわえる格好は様になった。そこに少し苛立ったテン・カーテが入ってきて「練習を始めますよ」と急かすのだが、「客人が来ているから、始めておいてくれ」と返す。テン・カーテが鼻息を吐いて部屋から出ると、彼は再びたばこをうまそうにくゆらせた。

 なぜかその落ち着きには人を惹きつけ、励ます不思議な雰囲気があった。

 それにインスパイアされたのが、ブラジル人のロナウジーニョとその仲間たちだった。エモーションが爆発した。感情はバルサを形作る分子だ。
(つづく)