輝かしい成績を残している選手も、我々には想像もできないような挫折や絶望を乗り越え、卓球台に向かっている。数多の栄冠や挫折を経験した選手たちの生き様や紡ぎ出される言葉は、我々の心に深く響き、勇気をくれる。今回は数々のインタビューの中から全日本…

輝かしい成績を残している選手も、我々には想像もできないような挫折や絶望を乗り越え、卓球台に向かっている。

数多の栄冠や挫折を経験した選手たちの生き様や紡ぎ出される言葉は、我々の心に深く響き、勇気をくれる。

今回は数々のインタビューの中から全日本選手権ダブルスで優勝した及川瑞基(専修大学)、三部航平(専修大学)2選手の名言を抜粋してお届けする。

『海外で人間的な強さも身につけたい』(及川瑞基)




写真:及川瑞基/撮影:伊藤圭

5歳からラケットを手に取り、張本智和(木下グループ)の両親が監督を務める「仙台ジュニア」の門戸をたたいた及川。他のトップ選手とは異なり、意外にも幼少期はあまり勝てなかったという。しかし、張本夫妻の指導やパートナーであり、ライバルであった三部航平(専修大学)の存在により、徐々にその秘められた才覚を発揮していく。

日本卓球界の登竜門であった青森山田中高を経て、専修大学に進学し、インターハイをはじめ全日学(インカレ)のタイトルを手にしてきた及川はついに全日本選手権のタイトルを手にした。

しかし、日本の頂点に立った及川はまだまだ先を見据えていた。普段のプレー拠点をドイツのブンデスリーグ1部・ケーニヒスホーフェンに置く及川。言葉が通じないため、卓球以外の面でのストレスを感じることが多い環境の中で、当たり前に生きていく上で自然と身につけたのは「自分で考えて自分で解決する力」だ。

そんな環境でプレーすることが卓球のメンタルの強さや自信につながっていると話す及川。勝てる卓球の型がある程度決まっている日本とは異なり、やりづらい選手や日本選手にはあまりない展開を経験することで自身の引き出しを増やし続け、2024年パリ五輪を目指す若武者の”覚悟”がうかがえる言葉だ。

『卓球をずっと続けられる環境に身を置いて、やれるところまでやってみる』(三部航平)




写真:三部航平(専修大学)/撮影:佐藤主祥

小学2年から頭角を現し、全国常連となった三部。「伸び悩んだ時期はなかった」と自身で話したように、小6で全国優勝を果たすと、2012年全国中学校大会で2冠、2015年インターハイ優勝、さらには森薗政崇(BOBSON)と組んだ男子ダブルスで全日本選手権2連覇の輝かしい成績を残している。

そんな三部にとって最大の挫折が大学2年の時に味わった”イップス”だ。これまで通りのプレーができなくなり試合で勝てなくにつれて、これまで積み上げてきた自信を失っていった三部。全日本大学総合選手権・団体の部(通称・インカレ)を終えた後はついにラケットを置いた。

そのどん底から立ち直ったきっかけは「ウエイトトレーニング」だ。トレーニングを続けるうちに目に見えて成長を感じた三部は徐々に自信を取り戻し、再びラケットを握って及川と組んだダブルスで全日本選手権3度目の優勝を果たした。

以前のプレーを取り戻しただけでなく、気持ちの面でも余裕を持てるようになったという三部。どん底を知ったからこそ視野が広がり、新たに「社会人生活と卓球の両立」を目標に掲げた。

Tリーグとともに日本の卓球界を支えている実業団も非常にレベルが高い世界だ。2018年チームワールドカップで活躍した上田仁(協和キリン、現・岡山リベッツ)や、最近実力を伸ばしている神巧也(シチズン時計、現・T.T彩たま)もかつては高いレベルを誇る実業団で活躍していた。

全日本選手権での3度の優勝という輝かしい実績を引っ下げた三部は、新天地でどのようなプレーを見せてくれるのだろうか。新たな三部のプレーに期待だ。

今回は及川瑞基、三部航平の2選手の名言を紹介した。それぞれ異なる卓球人生を生きてきた2人から紡がれる言葉には、我々に勇気をくれる確かなパワーがある。

皆さんも数あるインタビューの中から自分の支えになるような名言を探してみてはいかがだろうか?

文:ラリーズ編集部