肩だけは痛めたことがなかった。 しかし2年前、和田毅を悪夢が襲う。突然、左肩に痛みが襲ってきたのである。「高校の時から…
肩だけは痛めたことがなかった。
しかし2年前、和田毅を悪夢が襲う。突然、左肩に痛みが襲ってきたのである。
「高校の時からたくさん投げてきて、大学でも何度も連投しましたし、プロに入ってからもずっと投げ続けてきましたから……ヒジのケガについては、これはもうしょうがない、トミー・ジョン手術も投げている以上は避けられないものだと思っていました。でも肩については、ついに自分にも来てしまったかと思いましたね。自分のなかでは肩をやってしまったら、もうピッチャーとしてはヤバいんじゃないかとずっと感じていましたから……もし去年、投げられていなかったらもう野球人生は終わりだと思っていたでしょうね」

昨年、651日ぶりに勝利を挙げたソフトバンク・和田毅
2017年のベイスターズとの日本シリーズで、和田は第4戦に先発した。立ち上がりから「飛ばしていた」という和田は最初の一巡目、ベイスターズの9人のバッターから4つの見逃し三振を奪うなど、快調なピッチングを披露していた。
一方、ベイスターズのルーキー左腕、濱口遥大もヒットを許さないピッチングを続け、結果、5回に宮﨑敏郎にインハイのツーシームをレフトスタンドに運ばれた和田が、4連勝で日本一を目論んだホークスの勢いを止めてしまった。
その後、和田はこれまでに経験したことのない肩の張りを感じた。そのシリーズでは和田が2度目の登板をすることなく、チームは日本一を勝ち取った。そしてオフに入ると和田は1カ月、肩を休めた。
「あそこで休んでしまったのが逆にダメだったのかもしれません。1カ月後、投げ始めた時にもあまり感じはよくなくて、でも年齢のこともあるし、このくらいの張りはあるんだろうなと思って投げていたんです。何しろ肩を痛めたことがなかったので、投げていくうちに解消していくだろうと、たかをくくっていました」
今から2年前の2018年のキャンプ、和田は初日からブルペンに入って42球を投げた。さらに中2日ずつあけて63球、78球と球数を増やした。しかし左肩の張りが消えることはなかった。それどころか、肩のなかで「何かがぶつかる感じ」(和田)が出てきて、ノースローに切り替えたが、やがて戦列を離れることになる。
「37歳になろうかという時でしたから、いくらいいフォームで投げていたとしてもあれだけ投げ続けてきたんですから、そういう時期にきたんだろうなと、なんだか妙な覚悟をしていましたね」
実際、和田は2018年のシーズン、一度も登板することができなかった。ホークスはシーズン2位もクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズでカープを破って日本一を手にした。和田はその戦いを、ずっとテレビで見ていた。何もできない自分を歯痒く思いながら、それでも和田の心が折れることはなかった。地道なリハビリを続け、2018年の秋にはPRP注射(患部に自身の血小板を注入する再生医療)を打ったことを機に、ようやく回復の兆しが見えてくる。
その後、右肩上がりに復活したわけではなかったが、去年の6月5日、交流戦で一軍のマウンドに戻り、23日には651日ぶりに白星を手にした。投げられなかった間、和田を支えていたのはいったいどんな想いだったのだろう。
「……そうですね、やっぱり(松坂)大輔の存在だったのかな。大輔がホークスにいた時、ずっと肩の痛みに苦しんで投げられなかった姿をすぐそばで見ていましたからね。彼は本当に苦しんでいたし、でもあきらめずにリハビリを続けていた。僕が投げられなかった2018年、あんなに苦しんでいた大輔がドラゴンズで復活して、一軍のマウンドで投げているところを見て、思ったんです。僕はまだ1年も頑張ってないじゃないか、このままちゃんとリハビリすれば自分もあの場に戻れるかもしれないって……同級生が、それも僕たちの世代を代表して引っ張ってきてくれた大輔が(あきらめない姿を)示してくれたことで、僕は励まされたんだと思います」
和田の脳裏には、リハビリ中の松坂が垣間見せたあるシーンが焼きついている。それはキャッチボールをしていた松坂が、それを途中で打ち切った時のことだった。キャッチボールが好きで、投げたがりの松坂が、肩の状態が思わしくないせいでキャッチボールをやめた。その時の松坂の苦渋の表情が忘れられないのだという。
「投げることが大好きで、あれだけ痛みに強い大輔が、自分から投げるのをやめるというのは相当なことなんだろうなと思いました。僕は大輔には『肩はどうなの』って普通に話しかけていたんですけど、大輔は肩の状態がどんなに悪い時でも周りにそれを感じさせることはなかったんです。僕は彼が内心、苛立っていたのはわかりましたよ。でも、そんな時でもみんなに気を遣っていて、彼はいつも普段の松坂大輔だった。僕はそれがすごいと思いましたし、だから自分が同じ立場になった2018年、グラウンドのなかでは大輔のような立ち居振る舞いをしなくちゃいけないんだと自分に言い聞かせていました」
甲子園で強烈な光を放った松坂大輔が引き寄せた”松坂世代”——なかでも、もっとも飛躍的な成長を遂げたのが和田だった。松坂とともに3年夏の甲子園に出場し、ベスト8に残った和田。松坂と対戦することはなかったが、じつは松坂にとってはライバルというほどの存在でもなかった。春夏連覇を目指していた横浜高校のエースにとって、島根県の浜田高校など、気に留めるような存在ではなかったのだ。
まして線の細い左腕エースが投げるボールは、ストレートが130キロにも満たない。いったい誰がこのとき、和田がプロに行くと想像しただろう。甲子園にたまに現れるコントロールのいい左ピッチャーは、松坂にとってはプロとは無縁の世界で野球を続けるであろう存在でしかなかった。
しかし、和田は松坂を脅かす存在にまで成長した。松坂にしてみれば、思わぬライバルの出現だった。和田は早大のエースとして江川卓が持っていた東京六大学の奪三振記録を塗り替え、通算476奪三振を記録した。スピードガンが弾き出す数字は140キロでもキレがあり、バッターからすればこれほど手こずるボールはなかった。150キロを超え、相手のバットを押し込むほどの力を持っていた当時の松坂のストレートを持ってしても空振りを取るのは容易ではなかったのに、和田はプロの世界でもストレートで空振りを取り続けた。和田が以前、こう話していたことがある。
「大輔のボールはロケットです。ビューン、ドーンって感じ。僕のは、弓かな。シュパッという感じ。ドーンって感じがないんです。だから理想はシュパッといって、ドーンといくボール。何球か、投げたこと、あるんですよ。でも、どうやって投げたらそうなるのか、投げ方がわからんのです(苦笑)」
その時の言葉を今の和田に伝えると、39歳になった和田は苦笑いを浮かべた。
「そういえば、そんなこと言ってましたね。本当に、大輔のボールはドーンというイメージなんですけど、僕の弓の耐久性は落ちているかもしれません。弦が緩くなったのかな(笑)」
今年、14年ぶりにライオンズへ復帰した松坂とは今シーズン、投げ合う可能性がある。ふたりが最後に投げ合ったのは、2006年3月30日の福岡。その時は和田が6回を投げて1点に抑え、完投しながら2点を失った松坂に投げ勝っている。
「でも、覚えているのは初めて大輔と対戦した2004年(4月16日)の西武ドームで負けた時のことです。プロ2年目の僕はあの時、大輔に0-1で投げ負けました(松坂は完封、和田も1失点完投)。大輔と投げ合うと言われると、あの時の印象が強いせいか、ビジターのイメージがあるんですよね。だから今年も投げ合うとしたら、なんだか所沢のような気がします」
松坂世代で現役を続けているのは、和田、松坂の他にはタイガースの藤川球児、イーグルスの久保裕也、渡辺直人の5人だけになった。和田はこう言った。
「僕は若い時から、1つ歳を取るたびにその10年後を見てやってきたつもりです。つまり、今年の僕は29歳の時に見ていた僕なんです。それが間違っていなかったのかなとは思いますね。その頃から積み重ねてきた練習が間違っていなかった……耐久性は多少、落ちているかもしれませんけど、ボールの質については、むしろ若い時よりもいいボールを投げているつもりなんですよ、これでも(笑)」
年齢を感じさせない見た目と、フレッシュなピッチング--39歳の和田毅は、若いピッチャーとはひと味違う、渋みや深みを醸し出している。